第43話 嫌な予感
その夜、マリノは妙な気配を感じて目を覚ました。
「……まさか、結界に何かあった? あの剣聖、まだ諦めてないのかな?」
帝国側の要塞の中で一番立派な寝室。結界魔術師マリノは貴族でもないのに、そこをあてがわれていた。
夜はしっかりと休んで魔力を回復させ、結界を維持してもらわなければならない。帝国軍大将のそんな思惑からだ。
マリノは思い出す。王国の剣聖のことを。
十五、六歳だったろうか。子供と大人のちょうど中間のような歳頃の生意気な顔をした男だった。
剣聖はまだまだジョブレベルも低いようで、マリノの張る結界には手も足も出ない。両軍の兵の前で恥をかき、すごすごと王国の要塞に逃げ帰った。
そして、その晩。
マリノは帝国軍大将の名を受けて、国境を越えた。意気消沈して要塞に引き篭もる王国の兵士達。それらを閉じ込める為に要塞を丸っと覆う【大結界】を張った。
それ以来、あの剣聖は結界の外に一歩も出て来られずにいる。
一方の帝国軍は国境を越えて進軍している。増援も加わり、国境から一番近い王国の街を包囲しつつあった。
「気のせいよね……。あの剣聖が急に成長なんてするわけないし」
無理矢理自分を納得させ、マリノはベッドに潜り込む。
こんなにもフカフカの寝具で寝られるのはここにいる間だけだ。何も考えずに瞼を閉じよう。
ゆっくり寝て魔力を回復させないと、結界が弱まってしまう。せっかく上手くいっているんだ。
元来心配性のマリノは何度も何度も自分に言い聞かせ、やがて眠りに落ちた。
幸い、その晩は何も起こらなかった。その晩は。
#
翌晩。
またマリノは目を覚ました。まだ寝付いてから少ししか経っていないのに、妙な気配を感じて起きてしまった。
「……騒々しい」
昨日は気のせいだった。しかし今日は違う。明らかに変だ。部屋の外から兵士の足音がいくつもする。何が起きたのか。
マリノはベッドから起きると慌てて寝巻きを脱ぎ、黒くてボロボロのローブを身に纏った。華奢で少女のような見た目の彼女は戦場で舐められないように、従軍時はいつもこの格好だ。
フードを深くかぶり、右手に杖を握る。
準備は整った。彼女はドアノブを回して廊下に一歩踏み出す。途端、一人の兵士が前を横切った。
ぶつかりそうになるのを躱し、少し険のある目つきで兵士の顔を見る。
「す、すみません!」
「……落ち着きましょう。何かあったんですか?」
「け、剣聖が現れました!!」
そんな馬鹿な。あの間抜けな剣聖ならば王国側の要塞の中に閉じ込めている筈だ。何故……どうやって……?
「どこにいるの?」
「正門の正面にいます!」
自分の目で見ないと信じられない。結界が破られる筈はない。
普段は走ることのないマリノが兵士に付き従い、要塞の中を急ぐ。ローブの裾をたくし上げ、前へ前へ。
息を切らしながらやっと辿り着いたのは、正門の上の城壁だった。何十人もの兵士が弓や投げ槍を持ち、下を睨み付けている。
兵士を掻き分け、城壁のへりにつく。そして見下ろせば──やはり王国の剣聖だ。照明の魔道具がそのふてぶてしい顔を照らしていた。
一体、どうやってここに……?
「帝国兵ども! 死にたくなければ投降しろ!!」
不遜な男の声はよく通る。帝国兵は一気に殺気立ち、攻撃態勢へと移った。
「どうやって出てきたの……!?」
思わず大声が出た。
「ふん。あんなちゃちな結界で俺を閉じ込めたつもりか? 随分と舐められたものだな」
「やれっ!!」
誰かの掛け声をきっかけに、帝国兵から一斉攻撃が始まり──。
キンと甲高い音がして弓や槍は剣聖に届く前に弾き返される。あれはまるで……。
「……結界?」
あらゆる攻撃が剣聖には届かない。まるで結界に守られているかのように。
「もう終わりか!? ならばこちらから行かせてもらうぞ!!」
周囲の兵士達が一気に城壁から離れ始めた。
いくら未熟とはいえ、相手は剣聖。城壁なんて簡単に崩されてしまうと理解していたからだ。
流れに逆らうように立ったままのマリノは、目を瞑って体内の魔力を意識した。
ギリギリだが、この要塞を覆うぐらいの結界はなんとか張れる。自分がやるしかない。
目をカッと見開き、右手の杖を突き出す。
【大結界……!!】
すっと、透明の壁が要塞を覆った。逃げ惑っていた兵士達が俄かに歓声を上げる。
「はぁ……はぁ……」
王国側と帝国側。国境を挟んで睨み合う二つの要塞を同時に結界で覆うのは並大抵のことではない。ずっと維持するのは無理だ。誰か……早くなんとかして……。
縋るような気持ちで天を見上げたマリノが目にしたのは、ポロポロと落ちてくる透明なレンガのようなもの。
「えっ、なに……!?」
歓声から一転。夜空が突然降ってきたような錯覚に襲われ、再び帝国兵達は混乱に陥る。
「結界が、崩れている」
マリノは城壁から身を乗り出し、自分が命をかけて張った結界の崩壊を見つめていた。
「覚悟!!」
剣聖の声が聞こえたかと思うと、ドンッ! という衝撃が走りマリノは意識を失った。
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