4-5
ヒノワが民家の屋根を蹴るたび、ショウタには物凄いGがかかる。
かと思えば降下するたびに胃が浮くような気持ちの悪さを覚え、これはどんなジェットコースターよりも身体に悪いものだと実感する。
「お、おい、アンタ……もっと安全運転はできねぇのかよ」
「おや、酔っ払ったかい? それは失礼。だが、悠長な事を言っている暇はないよ。ヤツらが釣れてる」
炎震法によって逐一エクストの位置を把握しているヒノワには、敵の行動がある程度読み取れていた。
住宅街を囲むように配置されていたエクストたちは、最初の一匹が殺されると同時にこちらに向かって移動を開始している。
「やはり、君を狙っているという僕の見立ては間違いではなかったか」
「狙われる覚えはないんだけどな」
「だがこちらに向かってきているのは事実。君の身に覚えがなくても、何かあるんだろうね。これまで狙われてきた人物と同じような何かが」
「これまで狙われてきた人間……なにか共通点があったのかよ?」
「まぁ、その話は後だね。来るぞ!」
ヒノワの声の直後、二人の横を冷凍ビームが掠める。
気がつくと、すぐ近くにエクストが数体集まってきていた。
「お、追いつかれてるじゃねえか!」
「そりゃそうだ。僕だって全速力で走れてるわけではないし……どうやらエクストの内の数体が追跡に特化しているらしい。今まで見たエクストよりもかなり速い」
ヒノワが振り返り、瞬時にエクストに狙いをつけて熱線を放つ。
しかし、それらはヒラリと避けられる。熱線は民家の壁などに当たって爆ぜた。
「くっ、やはり住宅街で戦うのはリスクが高い」
「向こうへ行けばもうすぐ河に出る。河川敷ならもう少しまともに戦えるだろ!?」
「河川敷か……やむなし」
見えてきた土手に向かってヒノワが高く飛び上がる。
百メートルはあろうかという距離を一跳びで飛ぼうというのだから、その勢いたるやかなりのものであった。
その跳躍が頂点に達そうか、という時、ショウタはこみ上げる吐き気と戦いながら向こう岸で何か光るのを見た気がした。
瞬間、衝撃。
「ぐぅっ!!」
ヒノワの呻くような声が聞こえたと同時にショウタの身体が宙に放り出される。
「えっ……!?」
そのまま重力に引っ張られてショウタの身体は地面へとまっさかさまに落ちる。
幸い、着地点が土手の斜面だったため、衝撃はかなり緩和されたがその身体に受けた衝撃と痛みはゼロには出来なかった。
「ぐ……痛つ……テメェ! 落っことしたらタダじゃおかねぇって――」
恨み言の一つでも言ってやろう、とヒノワの方を見るショウタ。
そこにいたのは、アスファルトの地面に落下したヒノワの姿であった。
受け身もまともに取れなかったのであろう。起き上がろうとしているヒノワの頭からドロリと赤黒い液体が流れ落ちている。
「お、おい神崎!」
「来るな! 身を隠せ!」
駆け寄ろうとするショウタをヒノワが止める。
「対岸にエクストがいる! 僕を撃ったのはヤツのビームだ!」
「って、ことは……」
殺気を感じ、ショウタは慌ててその場から逃げ出す。
次の瞬間にはショウタのいた場所の地面が何かに穿たれ、凍りつく。
「マジかよッ!」
転がるように逃げ出すショウタ。何とか次弾が到達する前に橋桁の陰に隠れる事に成功した。
「どういうことだ……どこから撃ってきやがった……」
ここからではエクストの位置が全くわからなかった。対岸で光ったアレがビームを放った時の発光ならば、対岸の繁華街にあるビルの屋上からの狙撃であろう。
「そんな長距離射程ってアリかよ……くそっ!」
「鏡くん! 僕が援護するから住宅街側に戻れ!」
「あぁ!? そっちにはまだエクストがいるだろうが!」
「どっちにしろ窮地に変わりはない! そこでは狙撃される! 早く!」
確かに河を渡ろうとすれば良い的だ。だが住宅街側に戻れば土手が遮蔽物となって狙撃を回避する事が出来る。
ただし、住宅街側には多くのエクストがまだ残っている。
どちらにもリスクはあるが、ヒノワがやられた以上、河川敷に居座る理由もなく、河を渡る必要もない。であれば狙撃の射線が通りにくい住宅街に逃げ込むのは手である。
逡巡の後、ショウタは橋桁の陰から飛び出す。
直後、そのショウタを狙った狙撃が対岸から飛んでくるが、
「見えてるよっ!」
その射線上に熱線が飛ぶ。
冷凍ビームと熱線がぶつかり合い、一瞬で互いを相殺し合い、小爆破を伴って両者が消えうせる。
その爆風に煽られながらも、ショウタは何とか土手を登りきり、転げ落ちるようにして坂を下りる。
「し、死ぬかと思ったぞ、こらぁ!」
「そのまま逃げろ! エクストが来るぞ!」
ヒノワに対する苦言を飛ばすと同時、足の速いエクストがショウタのほうに向かってくる。
その速さたるや、ショウタの身長を軽々超えるほどの体躯に見合わないほどであり、挙動が恐ろしく気持ち悪かった。
「どうやって逃げろって……ッ!」
挙動の気持ち悪さはともかく、その素早さは驚異的である。
恐らくショウタが全力で逃げた所ですぐに追いつかれてしまうだろう。
だとしたら、ここで覚悟を決めるべきか。
「ダメだ、逃げろ!」
「うるせぇ、アンタの指図は受けねぇ!!」
飛び掛ってくるエクスト二体に対して、ショウタは身構える。
だが、どう戦って良いかはわからない。
エクストはどちらもショウタの身長を軽々超えている。それだけの体躯を持つ相手にまともに殴りかかっても力負けするのは目に見えている。
そもそもイグナイテッドになったからと言って、エクストに直接触れても良いのだろうか。
エクストは全てを凍りつかせる極低温である。そんな物体に触れたら身体はどうなってしまうのだろう? 想像はつかないが良い方向には転がるまい。
結論、戦う事はできない。
それに気付いた時、ショウタの全身から血の気が引く。
目の前に迫っている蒼白の物体が、自分の死を強く連想させる。
いや、最早エクスト自体がショウタの死そのものであった。
圧倒的なプレッシャーを持って目の前に迫る二体の死、エクスト。
それを見てショウタの意気はしぼみ、身が縮こまり、視界が暗転しかける。
あれに立ち向かうなど、蛮勇でしかなかった。
まず間違いなく死ぬ。殺される。
喉がつまり、自然と重心が後ろに向くも足が思うように動かない。
尻餅をつく寸前――ショウタの脚を動かしたのは最後に残った意地だろうか。
「このっ……」
倒れる事を許さなかった自分の意地が身体を支え、残り火のような闘志がエクストを見据える。
「そうだ、冷えるな、少年ッ!」
同時にショウタの目の前に降って来る火の玉。
いや、違う。
「あ、アンタ……ッ!」
「ごめん、遅れた!」
いつぞや、バスの中で見たような光景。デジャヴの様であった。
火の玉に見えたのはアキホであった。
地面に降り立つと同時に、アキホはエクストを炎の剣で切り裂いたのである。
不意打ちを受けたエクストは自慢の俊足を活かして回避する事も出来ず、そのまま炎の剣の露となって消えた。
「ショウタ、怪我は?」
「お、俺は大丈夫だ。でも……神崎が」
「ヒノワさん!」
ショウタの無事を確認した後、アキホはヒノワに向き直る。
「烏丸さん、鏡くんを連れて逃げろ。どこか、一般人の迷惑のかからない場所に!」
「わかりました」
「……はぁ!?」
かなり物分りがよすぎるアキホの対応に、ショウタは一瞬呆気に取られる。
その隙を突いてアキホはショウタを抱え上げ、地面を蹴る。
「ま、まま、待て! 神崎は怪我をしてるんだ! このまま見捨てるのか!?」
「大丈夫だって言ってたわ」
「いつ!? 言ってなかっただろ!」
「炎震法。ショウタには聞こえなかった?」
イグナイテッドのコミュニケーション方法である炎震法は、確かに言葉を操る必要もないし、その真意を読み取る事も可能である。
「で、でも頭から血ぃ流してたんだぞ! 早く病院に連れて行かないと!」
「ショウタは優しいんだね。こないだまでヒノワさんのこと、あんなに嫌ってたのに」
「アイツは確かにイグナイテッドだし、いけ好かないし、親の仇だ! だけど、だからって助けない理由にはならない!」
「ふふ、恰好良いじゃん」
「茶化すなよ!」
「本心だよ。でも、それならやっぱり、ショウタはあの場を離れるべきだと思うよ」
「あぁ!?」
「君は今、エクストに狙われているんでしょ?」
ヒノワが炎震法でアキホに伝えたのはこれまでの全ての経緯。
それにはエクストの配置の情報、超遠距離で狙撃してくるらしい個体や足の速い個体の情報、そしてショウタがエクストに狙われているかもしれないと言うこと。
「あのままショウタがあそこにいたら、ヒノワさんだってエクストに狙われるかもしれない。だとしたら、ショウタは離れた方が良い。違う?」
「うっ……」
ヒノワと一緒に移動していた時にも、エクストは一般人を無視してショウタたちを追って来た。それはショウタが第一目標であると言う事。
そのショウタとヒノワが同じ場所にいてはヒノワに危険が降りかかるのは想像に難くない。
「それに、あれほど強い気持ちが伝わってきたら、言う事を聞かずにはいられないよ」
「どういう事だよ」
「ヒノワさんがショウタを助けたいって本気で思ってたってこと」
気持ちを偽りなく伝える炎震法の利点であろうか。
ヒノワの『ショウタを助けたい』と言う気持ちが痛いほど伝わってきたのである。
「ヒノワさんの事なら大丈夫。私がアライアンスに連絡を入れておいたわ。ボタン一個で救援要請できるんだから、便利なものよね」
アキホがポケットから取り出したのは、通信機。
電話のように通信もできる装置の一種のようだが、緊急の救援要請の場合はボタンを押すだけでどうにかなるらしい。
「なら……良かった」
「安心した? 大丈夫よ、ヒノワさんだってイグナイテッドだもの。ちょっとやそっとじゃ死なないように出来てるわ」
「残る懸案事項はエクストだけだな。アンタと神崎で三体倒したから……」
「あ、私も来る途中に何体か斬ったわよ。確か……四体くらい。エクスト連中もショウタたちを追っかけるのに必死だったんでしょうね。がら空きの背中からバッサリ斬ってやったわ」
「となると計算上はあと六体だな」
一体は河の対岸にいたはず。あの狙撃個体もこちらに向かっているのだとすれば、やつに邪魔されないように他の固体を倒しておくのが得策だろうか。
狙撃手がいるとなると行動に制限ができてしまう。
「敵の位置がわからないと面倒だな……俺にも炎震法とやらが使えれば良いんだが」
「ショウタもすぐに使えるようになると思うよ」
「どうすれば使えるようになる?」
「そーだなぁ……感覚的なことなんだけど――感情を爆発させる事、だよ」
「感情の、爆発?」
アキホの説明は確かに感覚的で把握しづらかった。
「イグナイテッドの力の源は人間の感情なんだよ。感情の熱を外に発することで炎のようなモノを出現させてるってことらしいのよ」
「……つまり、気合って事か」
「まぁ、当たらずとも遠からずってところじゃないかな。……さて」
雑な説明を終えたところで、アキホが足を止める。
抱えていたショウタを下ろした後、その手に炎の剣を握った。
「ど、どうしたんだよ」
「やっぱり私の脚じゃ追いつかれるわ。仕方ないからここで迎え撃つ」
「大丈夫なのかよ!? 神崎だって逃げようとしてたんだぞ!?」
「ヒノワさんは能力の性質上、周りに影響を及ぼしやすいから場所を選んでたってだけでしょ。私の場合はそうじゃない」
ヒノワの能力は高火力の熱線を撃ち出すもの。細かい操作は出来ないと言っていたし、閉所で一度発射してしまえば障害物に当たるのは避けられないだろう。それが建物などであれば著しい損害になるのは想像に難くない。
しかしアキホの場合はせいぜい刃渡り八十センチほどの炎の剣のみ。
これを振り回したところで広範囲に影響を及ぼす事は稀だ。
故に、住宅街の真ん中、そこそこ広い国道のど真ん中であっても戦う事はできる。
「ヒノワさんのメインの活動は外国だからね。広い場所を選ぶ事も出来るかもしれないけど、ここは島国日本。ゴチャゴチャした街中では私の方が取りまわしが良いのよ」
「でも相手は複数だぞ! 物量で攻められたら……」
「そこは気合で何とかする!」
「ほとんどノープランじゃねーか!!」
「私にできる事なんか限られてるからね。その範囲で何とかするしかないのよ!」
アキホが剣を構えると同時、家の陰から二体のエクストが顔を出す。
頭部に光る宝珠がこちらを睨みつけているような気すらした。
「来たぞ!」
「先手必勝!」
エクストを確認するや否や、アキホはアスファルトを蹴り飛ばす。
そして一直線にエクストへと向かい、炎の剣を振りかぶる。
『ぐげぎっ!』
しかし、その斬撃は紙一重で避けられる。
飛び上がったエクストはアキホを無視してショウタの元へと寄って来たのだ。
「やっぱりダメじゃねーか! くそっ!」
二方向から一体ずつ、エクストが寄って来るのにショウタはアキホへの苦言を吐きつつ身構える。
どうしようもないのはさっきと変わりはない。だがアキホの前で無様な姿など見せられるか、と言う良くわからない感情がショウタを勇気付けた。
そのお陰か、目は良く利く。
『ぐげげげげ!』
雄叫びのようなモノを上げながら、その豪腕を振るうエクスト。
だが、ショウタにはそれがスローに見えた。
「……おらぁっ!」
気合一発、エクストの攻撃をなんとか避ける。
気合は入っていたのだが、いかんせん攻撃方法はない。
地面を転がりながらエクストの攻撃を回避し、すぐに立ち上がる。
顔を上げるとすぐに次の攻撃が襲い掛かってきているのだ。
「おおおおおっ!」
鼻先を掠めたエクストの腕。
チリリと痛むような空気が顔面に襲い掛かる。とんでもない冷気が身体中の熱を奪っていってしまうかと思った。
またも地面を転がってエクストの攻撃を回避する。
無様ではあったが、窮地は凌いだ。
「くそっ、これを何度もやれって言われても無理だぞ!」
「よくやったよ、ショウタ!」
ギリギリだったショウタの前にアキホが降り立ち、またも一太刀で二体のエクストを切り裂いた。
炎に焼かれたエクストは蒸発するように消える。
「やっぱりショウタの傍を離れるのはよくないね」
「ンなもん、実行する前に気づけよ、アホ!」
「ゴメンゴメン、次からは気をつけるって」
今の二匹を倒した事で、残りは四匹。その内一匹は狙撃手であり、まだこちらに来るには時間がかかるはず。
そして残る三匹は、
「おい、来てるぞ!」
「わかってるって」
既に近くにやってきており、建物の影や屋根の上にその姿が確認できる。
どうやら奇襲をかけてくることはないらしい。そもそも炎震法の前では奇襲する隙もないとエクストもわかっていると言うことだろうか。
その上、アキホに脅威を感じたのか、こちらの様子を窺うように動こうとしていない。
「狙撃手が合流するまで待つつもりか……!?」
「そうなると弱ったね。三匹同時となると、ショウタも攻撃をかわすのが難しそう」
「無理だよ! さっきのだってほとんど奇跡だったんだぞ!」
「とは言われても、このまま黙ってたらこっちが不利だし……っておや?」
二人がどうしようかと迷っていると、エクストは一所に集まり始め、その身を寄せ始める。
何をしだすかと思えば、エクストの腕がその輪郭を失いだした。
「あ、あれって……まさか」
グズグズと融けていくように、三体のエクストは一つの塊となり、やがてはそれが巨大なエクストとなる。
「が、合体した!?」
「そんなのアリかよ!?」
目算して体長は四メートルほどであろうか。大抵は人間の一回り大きいぐらいのサイズであるエクスト。これほど巨大なエクストはほとんどお目にかかれない。
「いや、だが合体した事で多面攻撃はなくなった。考えようによってはチャンスだね!」
「マジかよ、アンタの異常なポジティブさはこんな所まで発揮されんの!?」
「ネガティブに考えてたって仕方ない! まずは何でも試してみるモンよ!」
ショウタに対して、アキホは飛び切りの笑顔を見せる。
だが、気のせいだろうか。それが虚勢に見えてしまう。
イグナイテッドとは言え、体躯は高校一年生女子であるアキホ。目の前に立つ巨大な壁のようなエクストと比べると、大人と子供と言ってもまだ足りないぐらいであった。
そんな相手を前にして怖気づくなと言う方が無理だ。
しかし彼女はイグナイテッド。守るべき一般人を背にして、弱きでいられないのはアキホの性格である。ショウタは彼女のそんな部分をよく知っている。
「さぁて……どう攻めたもんかしらねッ!」
国内でのエクストの目撃例で、これほどのサイズのモノはほとんどない。その上アキホが活動していた地域はごく一部。当然、巨大エクストと対決した経験などない。
アキホが攻めるきっかけを探しているうちに、エクストが動く。
『グオオオォォォォォォッ!』
低い低い唸り声と共に、重量を感じさせる足が一歩前に出る。
アスファルトを割るかのごとくに着地した足は、誇張ではなく『ドシン』と音を発し地面を揺らす。
たった一歩踏み出しただけ。それだけである。
だが、その挙動だけで、引き起こされる冷風だけで、恐怖が煽られる。
それは生物の本能。巨大な相手を前に対して感じる純粋な恐れであった。
「烏丸ッ!」
「えっ、うっ!!」
恐怖を前に、アキホは一瞬判断が遅れた。
既にエクストはアキホを間合いに収めているのだ。攻撃を仕掛けてこないはずがない。
振り下ろされた巨大な手が、アキホを押し潰す勢いで襲い掛かる。
アキホは剣を構えてそれを防御する。
「ぐぅっ!!」
苦しみに喘ぐアキホの声が聞こえた。
炎の剣とエクストの掌がぶつかった瞬間、アスファルトが本当に割れ、競り立つ。
まるで漫画やアニメのワンシーンのような画が眼前に広がり、ショウタは一瞬正気を失いそうになった。
なにが、起こっているのか。
さっきまでエクストをバッタバッタとなぎ払っていたアキホの剣が、エクストの掌を切り裂く事が出来なかったのだ。
「どういうことだよ……!?」
すぐにショウタは気付く。
先ほどアキホが言っていた言葉にヒントがあった。
イグナイテッドの力の源は感情の熱。
アキホの剣がエクストを切り裂けないのは、その炎の温度が下がっているのだ。つまり、アキホの気持ちがしぼんでいると言うことである。
やはり、彼女の心に影が落ちていたのだ。恐怖と言う名の影が。
それを理解していて、ショウタには止める事すら出来なかった。
アキホは自分という弱者を背負って逃げ出すような人間ではない。それを理解していながら、その優しさに甘んじたのだ。
「くっ!」
喉が鳴る。自分の弱さに腹が立つ。
同時にアキホを助けなければ、と使命に燃える。
まずはここから離れる事が先決だろう。ショウタがアキホから距離を取ればエクストはこちらに向かってくるはずだ。
そう思って踵を返そうとした瞬間、近くの家の屋根の上で何かがキラリと光る。
それには既視感があった。
先ほど河の対岸で光ったモノと同じであったのだ。
それに気付いた刹那、
「あああああああああッ!!」
アキホの悲痛な叫びが聞こえ、エクストの掌がまた一段深く沈む。
「烏丸ぁ!!」
アキホの腹部が黒く変色している。
狙撃手の冷凍ビームをまともに食らったのだ。
アキホの身体からは大量の熱が奪われ、酷い凍傷のような跡となる。
痛みに耐え切れず、彼女は膝を折り、そこになおさらエクストの腕の重圧がのしかかるのである。イグナイテッドであっても溜まったものではない。
「烏丸! 大丈夫か!?」
「ショ……ウタ、にげ……て」
痛みに耐えながら、声が絶え絶えに聞こえる。
その声からアキホが限界なのを悟る。
このままではエクストに押し潰されてしまうだろう。
ショウタの頭の中では最善手が提示される。それはショウタがこの場を離れる事。
エクストがショウタを追いかけてきたならアキホは助かる。
だが、一切の援護がなくなったショウタはエクストに捕まり、殺されてしまうだろう。
――それが何だと言うのか。
アキホが助かるのならば、それはショウタの本意でもあった。
自分の所為で誰かが犠牲になるのは嫌だったのだ。だからこそ、ショウタはどんな状況でも他人を優先する選択をしてきたつもりだった。
しかし、そこに迷いが浮く。
このまま逃げれば間違いなくショウタは死ぬ。だが、自分の命可愛さに迷ったわけではない。
さっき、狙撃手はどうしてアキホを狙ったのか。
周りには遮蔽物はなく、むしろ巨大なエクストの傍に立っているアキホは狙い辛かったはずだ。
それなのにショウタを狙わなかったのは何故だ?
推測できる答えはエクストの優先順位が変わったと言うこと。
即ち、第一目標であるショウタを何より優先するより、それを守っているイグナイテッドを先に排除する、と言うこと。
だとしたら、ここでショウタが逃げ出したとしても、アキホは助からない。
急にショウタの内側で何かが高鳴る。
『また、何も出来ないのか』と問いかけてくる。
無力だった。あの時は母を失った。
無力だった。先ほどはヒノワを助けられなかった。
無力である。今はアキホを失おうとしている。
このまま何も出来ずに失い、失意に暮れ、絶望の中で生きるのか。
またも、ドクンと一つ鼓動が打つ。
これはショウタの中にある心臓の鼓動。
強く、強く、ショウタの背中を押すような、強い感情が心臓を打っている。
同時に身体の中を熱い血潮が流れるのを感じる。
身体の芯から指先に至るまで、焼けるように熱い。
まるで身体の中で炎が猛っているようであった。
それは間違いなく、ショウタの中で吼える感情。
人を助けたいと思う純粋な気持ち。
人はそれを『正義感』と呼ぶ。
――解き放て。
ショウタの中の感情が、檻を壊せと叫ぶ。
自分を解き放ち、本当の力を発揮しろと吼え立てる。
同時に些細な恐怖心も覚える。
これを解き放てば、もう後戻りは出来ない。
自分が決定的に変貌し、元の生活には戻れなくなる。
そんな恐怖が――しかし炎に飲み込まれる。
――繰り返す、それが何だと言うのか。
最後の恐怖心が焼き尽くされ、灰すらも残らず消えると、ショウタの目の前が白く染まった。
同時に身体の内側からどうしようもない欲求、衝動が駆け上る。
それは言葉となって感情の発露のように溢れ出る。
「――イグニッションッ!!」
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