4-3
そして放課後。
「失礼します」
独特の空気感のある職員室のドアを開け、アキホが中に入ってきた。
放課後ではあるが、部活動の顧問などを引き受けている教員がいない分、いくらか閑散としているようにも見えた。
そんな中に芦野の姿を見つける。
「おーぅ、来たか」
パタパタと手を振る芦野は、近くの教員に声をかけアキホを奥の応接室まで案内する。
個室となっている応接室は、元々学校に来た来賓に応対するためであったり、進路相談などの生徒との重要な相談を行う際に用いられる。
だが今は四月の中盤。こんな時期に急遽進路相談をする事もなく、今日のところは学校への来客の予定もない。芦野が私用に使っても問題ない、と言うわけだ。
「ソファにかけてくれ。お茶、飲むか?」
「いえ、結構です」
応接室には三人掛けのソファと一人掛けのソファがひとつずつ。それらに挟まれる形でテーブルが一つ。テーブルの上には灰皿も載っているが、これは来賓用だろう。
また、壁際には電子ポットと流し台が置かれ、戸棚には幾つかストックされている茶葉やお菓子などが入っているようであった。もしかしてここに忍び込めばお茶やお菓子食べ放題飲み放題ではなかろうか。
「じゃあ、神崎さんの話をしようか」
「は、はい」
邪な思考を振り払い、アキホは芦野に向き直る。
芦野は一度、アキホに許可を取り、懐からタバコを取り出した。
「……ふーっ。神崎さんが十年前から戦い方を変えた話、だったよな」
「その前に尋ねても良いですか? 先生はどうしてそんなことを知っているんです?」
「くくく、良くぞ聞いてくれました。何を隠そう、俺はイグナイテッドフリークスを自称しているのさ」
「イグナイテッド……フリークス?」
「そう。まぁ雑に言っちゃえば『おっかけ』みたいなもんだな」
この世にはアイドルや芸能人など、有名な人間の熱狂的なファンが存在する。
時にその行動を把握し、移動先にまで押しかけ、サインや握手をねだったりする。
アイドルのライブ後などに出待ちを行うような、最早妄信と言って良いほどの熱量を持ったファン。それがおっかけである。
このおっかけは今現在、イグナイテッドにも存在している。
親イグナイテッド派の一部はイグナイテッドアライアンスが運営しているインターネット上の広報ページなどを見て、強いイグナイテッド、カッコイイ、もしくは可愛いイグナイテッドなどに対して熱烈な感情を抱き、芸能人と変わりないような扱いをするのである。
当然、かなり強いイグナイテッドである神崎ヒノワには多くのファンがおり、また女子高生ながら強く可愛いアキホにも相当数が存在している。
「私も話には聞いていましたけど、実際に見るのは初めてです」
「そうかもな。世論じゃイグナイテッドに対する扱いは賛否両論。堂々と親イグナイテッド派を公言して下手な反感を買っても美味しくはないし」
そのためイグナイテッドファンはもちろん、アンチイグナイテッドの人間もそれを口外したりしない。堂々と宣言しているのは鏡義正のように、公言することによって何らかの利益を得ている人間であろう。
「まぁそんなイグナイテッドフリークスの俺は、この二十年近く、イグナイテッドの情報を真偽を問わず広く集めているわけだ。そこに神崎の情報も当然含まれる」
「真偽を問わずって……偽情報だと困るんですけど」
「今回の件に関しては信憑性はそこそこ高い。だがまぁ、信じるかどうかはお前次第だな」
ヒノワが戦い方を変えた理由と言うのは即ち、ヒノワの気持ちの問題である。それを他人から見た視点で結論付けても最終的には『推測』にしかならない。
炎震法が使えない一般人には他人の心を正しく理解する事など出来ないのだ。幾らヒノワがその結論を認めたとしても腹の内では何を考えているかはわからないわけである。
となれば芦野からもたらされる情報も、信用するかしないかはアキホ次第と言うわけだ。どれだけ信憑性が高いと言っても、それが事実と異なる可能性は充分にある。
「さて、前置きはこの程度にして……烏丸は十年前の事件以前の神崎についてどの程度知っている?」
「えと……戦い方が傍若無人で、一般人や建物なんかを全く気にしない、危険な戦い方をしていた事ぐらいです」
「まぁ普通に調べてわかるのはその程度だろうな。それもそのはず、当時、神崎は十五歳だ。前途ある若者を保護する名目で神崎の暴挙はある程度隠蔽されていたわけだな」
当時はイグナイテッドの扱いも今より曖昧であった。そのためイグナイテッド内では当時の記録の改竄を行いヒノワを守ろうとしたが、幾つかの雑誌やネットの記事などではイグナイテッドに対する反発として十五歳の少年の悪事を実名で報道していたものもあるわけだ。
それによってヒノワの過去を知る事になったアキホとしては少し微妙な心持ちである。
「中学生か高校に上がりたてぐらいの頃合いの男子ってぇのは、兎角尊大になりがちだ。特に強い力を持ってしまったイグナイテッドなんかになるとその傾向が顕著になる事も多いだろう。神崎がそれだったわけだな」
「じゃあ、ヒノワさんは自分の力を誇示するためだけにあんな戦い方を?」
「その辺のオラついたチンピラどもに聞いてみなよ。どうしてケンカばっかりするんですかってな。大概が大した理由もなくムカついたヤツを殴るし、蹴るし、ケンカをするって答えるだろうぜ。そういう人間はどの時代にも一定数いるもんだ」
ヒノワの場合はそこに大きな力が宿ったのが問題であった。
ヒノワはその力を持て余し、しかし誰よりも見せびらかしたかったのである。
俺は最強である、と言う勘違いが彼の中で真実となり、エクストの出現によって発生するイグナイテッドの大義名分『エクストの排除』にかこつけてその力を自慢したのであろう。
それが子供っぽい自尊心を満たすためだけの手段であるとは自覚せずに、だ。
「当時、神崎はイグナイテッドになって数年ほどのまだまだ新米だった。アライアンスからの注意も聞く耳持たず、やつは好き勝手に暴れまわったよ。事はアライアンスから厳重な罰が下されるかって時に起こった」
「それが十年前の事件……」
「こことは違う別の町で起きたエクストの出現、それに対応するのに一番早い位置にいたのが同じ町に住んでいた神崎だった。ヤツはエクストに対応するために出現場所に駆けつけ、そしていつも通りに自分の力を思い切り振りかざした。結果は……死傷者千人を超える大人災。当然、アライアンスはヒノワを隔離し、厳しい処分を下した。隔離されていた数年間、ヒノワは表舞台に立っていない」
たった一人の人物によって引き起こされた事件において、千人を超える犠牲者を出すモノはそう多くあるまい。イグナイテッドが現れた現代でも極稀である。
その一例を神崎が起こしていたのだ。
「件の事件に巻き込まれた鏡とその母親。鏡は無事に助けられたが、その時、母親は神崎が崩れさせたビルの下敷きになって死亡した」
「それは、ショウタからなんとなく聞きました」
「エクストが撃退され、事件が一旦収束した時、鏡は神崎に詰め寄ったんだ。当時まだ小学生だった鏡だったが……子供特有の怖いもの知らずってヤツなのか、アイツはイグナイテッドって言う町を破壊したよくわからないバケモノに吼えてかかったんだよ」
『お前なんか認めるかッ! お前はお母さんを殺したッ! お前はエクストと変わらないじゃないかッ!』
力を持った存在と言うのは、その力の使い方によって善にも悪にも見られる。
当時のヒノワは明らかに一般人から悪だと思われていただろう。イグナイテッドバッシングに一役買っていたのは想像に難くない。
今現在、アキホがそう見られていないのは単に幸運だからである。
アキホにも助けられなかった人がいた。犠牲者の親族身内からしたならば、どうして助けてくれなかった、と言われてもアキホにはどう返事する事も出来ない。
もしかしたらそう見られていた可能性もある。いや、知らないだけで今も恨みの種を抱えている人からそう見られているかもしれない。
ショウタの敵意に篭った視線が、アキホに向けられる可能性は充分にある。
芦野が一つ、タバコの煙をくゆらせた。
「果たして、当時弱冠十五歳であった神崎ヒノワは、その言葉に何か思うところがあったのであろうか、現在ではイグナイテッドアライアンスのエースとして活躍し、親イグナイテッド派の尊敬の念を受けるのであった……と。これが俺の知っている通説だ」
「通説……ですか」
「そうだよ。最初に言った通り、本当に鏡の言葉が原因で神崎が心変わりをしたのかどうかは本人しかわからん。だが、あの事件が契機だったのは神崎の行いを見ていればわかるわな」
「でも……そんなに急に変わるものでしょうか? 人が今までの生き方を変えるにしては急すぎる気がします」
「若さって言うのはそういうもんさ。感情が不安定だからこそ、自分の過ちを正す事が出来る。年をとると自分の信じた正しさや行ってきた行動に縛られる事なんて多々あるからな。神崎は当時十五歳。生き方を見つめなおすのは充分可能だったと思うがね」
若い内は何度でもやり直せる、とはよく言ったものだ。
ヒノワもショウタの言葉を受け、自分の行動を省み、そして自分の行いを正そうとしたのだろう。これまでの十年で培った功績がそれを物語っているように思えた。
「だからこそ、俺は鏡にも見つめなおして欲しいと思ってる」
「ショウタにも……?」
「ああ、アイツは確かに悲しい過去を背負ってる。その原因がイグナイテッドだって言うのもわかってる。でも多分アイツ自身もイグナイテッド全てが悪くないというのは心のどこかで理解してるはずなんだ。だからちょっと考え方を変えて欲しいんだよ」
「それで、あの席順なんですか?」
「おう、俺の思った以上の効果みたいだったけどな」
カラカラと笑う芦野は、なんだか少年のような笑みであった。
歳相応とは言い難いが、反感を抱くような表情でもなかった。
「で、お前はどうする、烏丸?」
「私ですか?」
「憧れの的であった神崎が行ってきた非道を知り、それから立ち直った経緯を知った。普通、憧れてたヤツに裏切られたら、ちょっとは非行に走りたくもなるだろ?」
「……そうかもしれません。でも、私は」
確かにヒノワの過去はショックだった。ちょっと裏切られたとも思った。
だが、だからどうしたというのか。
ヒノワに助けられ、その時アキホが抱いた感情までは嘘ではない。
その時から今も、彼女の心は変わっていない。
「私は誰かを、みんなを助けられるイグナイテッドでい続けたい。そう努力します」
「……良い顔だ」
決意を口にするアキホに、芦野は笑顔で頷いた。
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