4-1


 ショウタとヒノワの対面があったその日。

「君がここに来るのは珍しいらしいね」

 繁華街の中にあるビルのワンフロアを全て使い、イグナイテッドアライアンスの支部がそこに置かれてあった。

 アライアンス支部とは言ってもイグナイテッドである人間は現在、アキホとヒノワしかいない。他は親イグナイテッドのスタンスである一般人の職員だけだ。

 彼らはイグナイテッドの活動を補佐したり、エクストの出現を知らせるブザーを独自に開発して町中に設置したり、その許可を得たりと前線で戦うイグナイテッドの補佐と他の一般人への被害を最小にとどめようと働いているわけだ。

 アキホも彼らのバックアップを受けてイグナイテッドとして活動している。最近ではアキホをメディアデビューさせ、華々しく活動を報じるために動いているのも彼ら職員である。

 支部はワンフロアを借り切っているだけあり、様々な部署で多くの人間が働いている。支部とは別に研究所があったりなど、かなり本格的である。

 今、そんな支部の中にある来賓用の一室にヒノワがいた。

 彼を訪ねてきたのはアキホである。

「職員から聞いたよ。ここにはあまり顔を出さないそうじゃないか。そんな君が、どういう風の吹き回しだい? あ、それとさっきの書類、鏡くんに渡してくれたかな?」

「あなたに質問があります」

 珍しくかしこまった態度のアキホ。その目には真剣な火が灯っている。

 その様子にヒノワは自分の質問を全て無視されたことを保留にし、彼女の質問を受け付けようと向き直った。

「ショウタのお母さんを殺したって話、本当ですか」

「……本当だ」

 思いの外、あっさりと白状するヒノワ。

 それを聞いた瞬間、アキホの視界が急激に狭まる。怒りによる視野狭窄、そして同時に感情に任せてヒノワに詰め寄ったためであろう。

 まるで敵に殴りかかるかのような踏み込み。

 それを受けてもヒノワは涼しい顔をしている。対してアキホの方は視線が感情に揺れる。

 ヒノワ本人の言葉であっても、未だに信用できない。

「どうして……ッ!」

「若気の至りと言うヤツだよ。僕にも若さと愚かさがあった時代がある」

「人を殺しておいて、そんな言い方ッ!」

 アキホはヒノワの襟首を締め上げ、敵意を剥き出しにして食って掛かる。

 その激情が燐光となってアキホの周りに散り、急に熱された空気がアキホの髪を揺らす。

 熱に舐められながらも、ヒノワは顔色一つ変えなかった。

「ヒノワさんは……私を助けてくれた恩人です。私だけじゃない。多くの人を助けてくれたじゃないですか……。そんなあなたが、どうして……」

 数年前、アキホの町がエクストに襲われ、アキホ本人も命の危機に瀕していた。そこを助けてくれたのがヒノワである。

 ヒノワは町に現れたエクストを退治した際、町に大きな被害を及ぼさないように細心の注意を払って戦闘していた。

 その時だけでなく、ヒノワが重ねてきた戦闘の記録ではほとんど人間に対しても建物に対しても、被害を出していないはずなのだ。

 アキホの知っているヒノワとはそういう人物であったはずだ。

 だがショウタの話すヒノワは全く違っている。そしてヒノワ自身もそれを認めた。

「ヒノワさんは私の憧れ……私はヒノワさんみたいなイグナイテッドになりたかったのに、それが本当なら、私は……」

「君の期待を裏切ってしまったのは申し訳ないと思うが、事実を捻じ曲げてまで後輩の憧憬を受け続けようとは思わないよ」

「なにか……何か止むを得ない理由があったんじゃないんですか!? 何の理由もなしにヒノワさんが人殺しなんて……ッ!」

「すまないが、僕には過去に犯した罪の自慢をする趣味はない。君に聞かせて上げられる話はここまでだ」

「ヒノワさん!」

「帰りなさい。君に話すことはない」

 ヒノワの静かな拒絶を受け、アキホはこれ以上言葉を継ぐ事が出来なかった。


 それはアキホにとって重大な出来事であった。

 命の恩人であり目指すべき目標であったヒノワが、その輝きを失ってしまった。

 生きる標を見失ったアキホは――


****


 アキホと別れた後、まっすぐに家に帰ってきたショウタ。

 見慣れぬ車が家の前に止まっている事を疑問に思いつつ、それを素通りする。

 玄関を開けると、そこに待っていたのはりこであった。

「ショウタさん!」

「橘田沼さん……どうしたんですか?」

「お養父さんが……」

 言われて玄関を見ると、確かに靴が一揃い多い。見た事のない革靴だ。

 突然の出来事であったが、心を落ち着けつつ居間へと向かう。

「イベント立て続けかよ、くそっ」

 小声で毒づきつつ、居間の扉を開ける。

 漂ってきたのはタバコのにおい。喫煙者のいないこの家では、滅多に嗅ぐ事のない匂いであった。

 今にあるソファには見慣れない背中があった。

「お養父さん……」

「帰ったか、遅かったな」

 低く、渋い声が響く。

 その声の主はたっぷり煙を吐き出した後、立ち上がって振り返る。

 見紛うはずもない、ショウタを引き取った張本人。鏡義正である。

「久しぶりだな、ショウタ」

「本当に。忘れられたかと思いました」

「はっはっは、元気そうで何よりだ」

 ショウタの嫌味に対しても動じた様子がない義正。流石は政治家といったところか。

 また、それ故に目の前に立たれるだけでプレッシャーを感じてしまう。

 一体この男は何故このタイミングでショウタの目の前に現れたのだろうか。

「さて、私も暇ではないからな。単刀直入に聞くぞ」

「質問? 俺にですか?」

「そうでなければここに足は運ばない」

 くわえて、電話やメールでの質問でない所を見ると、かなり重要な質問なのだろう。

 義正が急に現れてショウタに投げかける重要な質問……大体予想がつく。

「お前、イグナイテッドになったと言うのは、本当か」

 どこからバレたかわからないが、義正は確かにそう言った。

 ショウタはチラリとりこを見たが、彼女はブンブンと首を振っていた。

 情報源はわからないが、引き取った養子の情報を集める事は簡単だろうか。

 だとすれば誤魔化す事も無理だろう。

「どうやら本当らしいです」

 ショウタの答えを聞いて、義正は深いため息をついた。

「……そうか」

 反イグナイテッド派の義正にとって、ショウタは獅子身中の虫となった。

 身内がイグナイテッドなのに反イグナイテッドを謳うのは、反対勢力の良い的となる。

 かといってイグナイテッドであると判明したショウタをそれだけの理由で放り出すのは、これはこれで人間性に問題ありとバッシングを受けるだろう。

「とんでもないジョーカーになってくれたものだ」

「すみません。俺の落ち度です」

 ショウタは今まで最低限、義正の迷惑にならない様に振舞ってきたつもりだ。それはここまで育ててくれた恩義を感じての事である。その恩義に後ろ足で砂をかけるような行為はショウタも望んではいない。

 だが今回、ショウタがイグナイテッドになってしまった事は彼の本意ではないにせよ、義正にとっては多大なマイナスである。その事に関しては本当に申し訳なく思っていた。

 義正もそれはわかっているのだろう。深く追求はしなかった。

「まぁ、起こってしまった事に対してとやかく言うのはナンセンスだ。これからの事を話そうじゃないか」

「これから、ですか?」

「そうだ。まずはお前がイグナイテッドになったことを、誰にも知られるわけにはいかん」

「……既に数人、その事実を知っている人間が居ますし、イグナイテッドの連中にもその事実は伝わっています」

「その辺の『人間』なら幾らでも手の打ちようはある。既にお前を診た医者や周辺の人間には根回しを進めている。問題はイグナイテッドアライアンスだ」

 アライアンスにとって、反イグナイテッド派の人間は目の仇である。義正の弄する懐柔策に簡単に引っかかるようなアホでもあるまい。

 口止めを要求しても簡単には飲まないだろう。対価に何を求めてくるのか、予想もつかない。

「向こうからの動きがあるまでは、こちらも静観をしておくか……。ショウタは出来るだけ外出をするな。学校もしばらくは休め」

「え……?」

「なんだ、何か不都合でも?」

「あ、いえ。わかりました」

 自分でも意外だった。

 学校へ行く事を止められ、少しショックだったのだ。

 それほど学校が好きだったわけもない。登校したい理由よりもサボりたい理由の方が多いくらいだ。しばらく休めるのならそれはありがたい事であったはず。

 だとしたら、どうして今、残念に思ったのだろうか?

 学校に何か、大切なものでも置き忘れただろうか?

(……最近は自分の事もよくわからねぇな)

 義正にバレないように小さく自嘲しつつ、ショウタは頭を振った。


 義正が帰った後、りこが用意してくれた夕食を二人で食べる。

 その途中、りこがショウタを心配そうに見ているのに気付いた。

「どうしました? 俺の顔に何かついてますか?」

「あ、いえ……ショウタさん、大丈夫かなって」

「なにがです?」

「その……また、政治の道具にされています」

 確かに、ショウタは再びイグナイテッドと人間の間に挟まり、政治の道具にされようとしている。今回利用するのはイグナイテッド側であろうが、利用される側のショウタにとって、頭がどうすげ変わろうと疲れる立場なのは変わらない。

「そうですね。また面倒な立場に逆戻りです」

「辛くはないですか?」

「慣れましたよ。……でも今回はあの人に迷惑をかける形になってしまった。それが痛いですかね」

 それは養父を慮って、と言う意味ではない。義正に更なる借りを作った事に対して痛いと言うことである。

 こちらが最低限、義理に報いる事が出来ればそれで充分なのだが、今回の件で更にその義理が重くなったわけだ。

 面倒ごとが増えるのは単純に重荷である。

「いっそ、俺がイグナイテッドになった事を苦に思って自殺でもしたら、あの人も楽になるんでしょうかね」

「ショウタさんッ!」

 ショウタの言葉に弾かれるように、ガタッと音を立ててりこが立ち上がった。

「冗談でもそんなこと言わないでください!」

「す、すみません」

「今度そんなこと言ったら、グーでいきますからね」

 固そうな握り拳を見せられ、ショウタは二度と口走るまい、と誓ったのだった。


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