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ショウタがイグナイテッドになってから数日が経過した。
学校にエクストが現れ、一時は学校が全て封鎖されたものの、それも一日二日で解放され、棚から牡丹餅の休日を得た学生たちは『休日の幾つかを補習に充てます』と言う学校側からの通達に叫喚したりしていた。
大きな事件が起きたとは言え、エクストの学校襲撃で出た被害者はゼロ。世間は何事もなかったかのように日常生活に戻り、学校襲撃事件も記憶の外へと押し流されてしまうのだろう。
だが、それを癒えない傷として抱えた生徒も確かに存在している。
「……あのさ」
休み時間である。
午前中の授業も半分ほど終わり、昼休みに向けて空腹を覚えてくる頃合いの時間。ショウタの隣に座っているアキホが、少し遠慮がちにショウタに声をかけた。
だが、
「…………」
「話しかけてるんだけど?」
対するショウタは心ここにあらず、と言った感じである。
目の焦点があっておらず、口は半開きで、一応授業を受けるポーズだけは整っているが、そのノートには一文字も刻まれていない。
あの事件で相当なショックを負ったのだろう、とクラスメイトも教師陣も彼を慮って執拗に声をかける事もなく――そもそもクラスの中でかなり浮いていたショウタに好き好んで声をかける人間なんてほぼおらず――半ば放置されていたショウタであった。
だが、アキホはそんな彼を放っておけなかった。
「ショウタ? 生きてる?」
彼の目の前で手を振ってみるも、瞬き一つしない。
本当に生きているのかどうか、と呼吸を確かめてみたが息はある。
ただ単純に、目を開けながら気を失っているような状態なのだろう。器用なものである。
「やっぱりショックだったのかな……」
「……ショック?」
アキホの言葉に、珍しく反応を見せるショウタ。ふらつく視線をそのままに、カタカタと頭を揺らして発声する様は最早ホラーの画であったが。
「ショックじゃないわけがない。俺の生き方の根底を覆すような事件だぞ。これがショックでなくて何をショックと呼ぼうか」
「え? そんなに?」
「当たり前だ。想像してみろ。朝起きたら急に、お前が今まで嫌っていたもの……例えば人間大のナナカマドになっていたとする。ショックだろ?」
「そりゃ確かにショックだけど、喩えが酷くない?」
「それだけ重大な出来事だったと言うことだ。……良いから放っておいてくれ」
世を儚んだ廃人の如く、バッタリと机に突っ伏してしまったショウタ。
どうやらかなり重傷な様であるが、それでもアキホはくじけない。
「で、でもほら、役得だってあったでしょ?」
「……役得? んなもんない。この世の地獄に垂れてくる蜘蛛の糸は一条も見えない」
「よく思い出してみて? きっと重大なイベントがあったと思うんだよね!」
「……よく思い出してみても何もない」
「……ほーぅ」
気のせいか、アキホの額に青筋がたったようなであった。
「ショウタは本当に、何も覚えてないわけだ?」
「そう言っている」
「何にも感動しなかったし、感慨も沸かなかったわけだ?」
「だから……」
「私とキスしておいて何も感じなかったわけだ!?」
「あぁ!?」
アキホに言われ、そんな事もあったな、とショウタは顔を上げる。
すると目の前には半泣きのアキホの姿があるではないか。
「何でアンタが泣いてるんだ! 泣きたいのはこっちだぞ!」
「私の方であってるよ! 私のファーストキスだったんだぞ! それなのに、何も感じなかっただとぉ!? 乙女の初キッスをなんだと心得る!」
「勝手に大声でなに言っちゃってんの、アンタ!?」
唐突に大声を出し始めるアキホに対し、教室にいたクラスメイトたちがザワつく。
思春期の少年少女に『キス』と言う単語は刺激と魅力が強すぎる。
「しかもショウタは私の胸を揉んだでしょ!」
「言いがかりぃ!! 教室が変に波立つからそういう発言はもっと声を潜めろぉ!!」
確かにショウタはアキホとキスしたし、胸も触った。
だがそれはアキホの謎の蘇生行動であり、ショウタの方にその気は全くなかった。死の淵にあってそんな気力もなかったというのが実際の所である。
だがそんな事実を知らないクラスメイトたちは明らかにショウタに対して軽蔑の視線を送っていた。そりゃそうだろう。ショウタは元々クラスメイトから嫌われている。
ショウタとアキホ、どちらの意見を信用するかと言えば火を見るより明らかだ。
「あ、アキホちゃん、大丈夫?」
「うぇぇぇ、私、汚されちゃったよぉ」
「よしよし……鏡、アンタ最低ね」
「ちょっと待て! ホントに俺がソイツとキスしたくてしたと思ってるのか!? ありえないだろ、常識的に考えて!」
「アキホちゃん、こう言ってるけど?」
「半ば、強引に……」
「大事な所をぼかすなぁ!!」
確かに半ば強引であった。意識も朦朧としていたショウタを、アキホが半ば強引に襲った形であるが、その部分をぼかされてこの状況ならば、ショウタがアキホを強引に襲ったと勘違いされてもおかしくはない。
更に冷たくなるクラスメイトからの視線。信用が最低値であるショウタの言葉を信じる人間などこの部屋にはおらず、ザワつきは既にショウタにも聞き取れる程度の悪口になっていた。
「最低……」
「人間のクズ……」
「強姦魔……」
「人の皮を被った悪魔……」
言われたい放題であった教室。ショウタを擁護するような声は一つも聞こえず、女子からは軽蔑と恐怖心を持った視線で射抜かれ、男子からは若干の羨望を含んだ目で見られた。
居心地の悪さもピークに達し、ショウタは椅子を蹴飛ばして教室を出て行った。
校舎裏。日陰になっているこの場所は人通りもなく、また春先のこの時期にはやはり寒いくらいである。
だが、そんな寒さを微塵も感じなくなってしまったショウタは、そんな校舎裏で授業開始のチャイムを聞く。三時間目が始まったようだが、ショウタはそこから動く気になれなかった。
「サボりなんて初めてだな」
高く冷たい空を見上げながら、そんな事を呟く。
政治家である鏡義正の息子としてある程度は規律を守り、変に難癖を付けられないように生きてきたショウタ。授業をサボるのなんて当然初めてだ。
なんだか妙に気持ちがフワフワしてしまう。『悪い事』とはこんな気持ちになるモノなのだろうか。
「お、鏡じゃねーか」
そこへフラッとやって来たのは先日エクストの襲撃の際に居合わせた上級生、樋口であった。
「なんだ、お前もサボりか?」
「まぁ……成り行き上」
「なんだぁそりゃ」
ケラケラと笑いながら、樋口はショウタの隣に腰を下ろす。
何かを探して自分の内ポケットを探したようだが、お目当ての物は見つからなかったらしい。
「なぁ、鏡……」
「あ? なんだよ?」
「……いや、いいや。お前は吸わなさそうだもんなぁ」
「まさか、タバコか?」
「聞くな聞くな。忘れてくれ」
適当に誤魔化した樋口だが、確かに彼からは煙臭い匂いがしている。不良の基本ステータスのようなものだが、樋口も例に漏れずか。
「別にアンタの生き方に文句はつけねぇけど、学校で吸うのはやめろよ」
「この学校には敷地内でタバコをガンガン吸う不良教師もいるからな。これぐらいは平気だろうよ」
そう言えば、ショウタのクラスの担任である芦野も所構わずタバコを吸うような人間であった。彼のような人間がいたなら、敷地内で吸殻が見つかっても大っぴらに生徒を疑うような事も出来まい。
隠れ蓑を手に入れた不良生徒はかなり気軽に喫煙をしていたりするのだから、この学校の治安も悪いと見える。
「近所だからって、入る学校を間違えたか……」
「かはは、後悔したって遅いぞぉ」
他人事、と言わんばかりの樋口。ショウタのため息を笑い飛ばすかのように大声をあげた。
そんな樋口が、ふと笑うのを止め神妙な顔を見せる。
「……なぁ、鏡」
「あ? なんだよ、急に変な顔して」
「なんか困った事があれば、俺に言え。俺に解決できる事なら、協力する」
「はぁ? 気味悪いんだけど、急にどうしたんだよ」
「お前は俺の命の恩人だからよ。このでかい借りを返さないと、収まりが悪いんだよ」
確かに、先日のエクスト襲撃の際、ビームに直撃しそうだった樋口を救ったのはショウタである。
ショウタの行動がなければ樋口はビームに穿たれ、氷漬けになって死んでいただろう。
「さしあたっては、お前のクラスに圧力をかけてお前をシカトしてる連中を締めようかと思っているんだが……」
「絶対やめろ。俺に構うなよ。俺は今までもこれからも、一人で充分なんだよ」
ショウタがクラスで孤立しているからと言って、そこに樋口なんて人間がでしゃばればなおさらこじれるだけである。それに、ショウタはクラスに馴染もうだなんてこれっぽちも思っていない。
こじらせてしまった態度の悪さは、ちょっとやそっとで治るようなものではないのだ。
「先輩は一年の世話なんか焼いてないで、受験や就職の事を考えたらどうだ。三年はもう一年と経たずに色んな辛いイベント目白押しだぜ?」
「はっ、テメェこそ俺の心配じゃなくテメェの心配だけしてやがれ。落ちぶれて俺みたいになるんじゃねぇぞ」
「その心配はねぇよ。これでも学力はそこそこなんだ。それに、親父のコネもある」
ショウタの養父は政治家の鏡義正。仕事柄、その交友関係は広く影響力も強い。ちょっと親を頼れば進学先も就職先も安定するだろう。
それも、ショウタがイグナイテッドだとバレなければ、の話だ。
反イグナイテッドのスタンスを貫き、それをアピールして議席を手に入れている義正にとってその養子がイグナイテッドだというのは大きなマイナスイメージである。現在、ショウタがイグナイテッドになってしまった事は広くは知らせていない。
そのことを知っているのはショウタがイグナイテッドになった原因であるアキホ、その現場にいた樋口、ショウタを診察した医者と、付き添いでその場にいたりこだけである。
その四人には一応口止めしており、今のところは誰も口外していないようである。
と言うのもイグナイテッドと言うのはその性質上、かなりデリケートな立場である。常人よりも強い力を持つが故に、迫害を受ける可能性もある。アキホはかなり特殊なケースで、イグナイテッドに対して手放しで賞賛するような人間は多くない。大概の人間は恐れを抱き、イグナイテッドを遠ざけようとする。
ショウタのような行き過ぎた反応を示す人間は少ないが、程度は違えど腫れ物を扱うようにするのは誰も一緒なのである。
だからこそ、部外者である医者もその事に関してプライバシーの保護として情報を秘匿する事になっているのである。
だが、それでも樋口がその事に関して殊勝に秘密を守っている事は少し意外であった。
「先輩は、どうして俺のことを喋ったりしないんだ?」
「俺がそんなに口の軽い男だと思うか?」
口が堅いとも思ったことはないが、ここは黙っておこう。
「さっきも言っただろ。俺はお前に借りを作ってる身だ。そんな俺がお前の秘密をベラベラ話したとなれば、俺は他のヤツらから嘗められる。軽く見られる。俺たちの世界は嘗められたら終わりなんだよ。ツッパリ続けないと生きていけねぇのよ」
「なるほど……」
そういう事ならば樋口に貸しを作ったのは悪くない状況であろうか。
「そう言やよ、お前、イグナイテッドが嫌いなんだってな? 何でそんなにアイツらを嫌うんだ? やっぱ自分より強いからか?」
「そんな理由で嫌うかよ。……俺がヤツらを嫌うのは……」
そこまで言って口を噤む。
理由は明確だ。だがそれを他人に話すのは不幸自慢の様で気が進まない。
それを察したのか、樋口は笑って立ち上がった。
「まぁ、言い難いなら無理に聞いたりしねーよ。邪魔したな」
「いや、良い暇潰しになった」
去っていく樋口を見送りながら、ショウタはまた空を見上げる。
「どうしてイグナイテッドが嫌いなのか、か」
呟いた言葉は冷たい風にかき消され、誰の耳にも届かなかっただろう。
ショウタの瞼には未だに焼きついて離れない光景がある。
それを幻視するたび、ショウタの中にあるどす黒い炎がゴォと吼える。
およそ十年前の記憶。
冷気と熱気に支配された町。手当たり次第に破壊し、殺していくエクスト。そして所構わず熱線を乱射するイグナイテッド。
それは人知を超えた者同士が、周りへの影響を全く考えずに行う闘争であった。
建物は焼かれ、人々は凍らされ、一般人はそんなどうしようもない天災とも言えよう脅威から逃げ惑うしかなかった。しかし、当然逃げ切れずに戦いに巻き込まれて命を落とす一般人は多くいた。ショウタの母親もその中の一人だ。
イグナイテッドとエクストが戦うことで、町に大きな被害が出ることは、最近になってとてつもなく減った。
それはイグナイテッドの組織が民衆への被害と、世論からのバッシングを避けるための配慮なのであろう。今では一部のイグナイテッドが勝手にやんちゃして大きな被害が出る戦闘が極稀に起こる程度だ。ショウタのように不幸な目に遭う子供は著しく減少している。
だが、だからと言って既に被害を被ったショウタがイグナイテッドを許す事が出来るだろうか? 答えは否だ。
怨み、復讐は何も産まない、とは耳障りの良いキレイゴトだ。当事者でもない人間がそんな言葉を並べたところで、どんな説得力があろうか。
ショウタの中に燃え猛る復讐心は止められない。
……しかし。
「なんだってんだ、クソ」
そのことを考えるたび、最近はアキホの顔が思い浮かぶ。
そして、復讐心が少し勢いを失うのだ。
あの少女は本心から人を助けた。ショウタ自身が彼女に助けられて、そのことを痛感している。彼女が人を助けたいと思う心は純粋な気持ちなのだろう。
その事がショウタの復讐心を鈍らせる。
イグナイテッドを一括りにするのは愚かしい考えだというのはわかっているが、これまでは盲目的に怨みを募らせることでそこから目を逸らしてきた。
だが、アキホに出会い、彼女と言葉を交わしていくうちに、だんだん無視できなくなってくるのだ。
イグナイテッドも人それぞれなのだと。
考えてみれば当然の事だ。イグナイテッドも元々は単なる人間。その性格や考え方が千差万別である。
一般人を省みない危険人物がいれば、アキホのように人助けに躍起になる善人だっている。
イグナイテッドというだけで怨み、反発し、復讐の対象にするのは無理がある。
ショウタはそのことを、だんだんと強く意識するようになっていたのだ。
「自分もイグナイテッドになったからって、言い訳かよ……」
自嘲しながら、ショウタは授業が終わるチャイムが鳴るのを待った。
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