2-5

 二人が廊下に出ると、エクストは教室の壁を突き破って追いかけてくる。

「おいおい、ヤベェな、何であの壁壊せるんだ」

「バケモノだからだろ。後ろばっか気にしてると追いつかれるぞ、先輩」

「わかってらぁ。俺が先に行くから、ちゃんとついて来いよ」

 学校内の土地勘には明るくないショウタ。ロッカールームに行くと言っても、どこにその部屋があるのかはわからない。

「頼んだぜ、先輩」

「こっちだ!」

 階段を一足跳びで駆け下り、二人は一階の廊下に降り立ち、そのまま駆け出す。

 エクストはその間も手当たり次第にモノを破壊し、凍らせ、ぐげげと気持ち悪い鳴き声を上げながら二人を追いかけてくる。

 この狭い廊下ではエクストも本来のスピードを出せないのか、二人に追いつくような感じはしない。

「見えてきたぞ、あそこだ」

 余裕を持った距離を保ちながら、二人はロッカールームの前にやってくる。

 だが、その心の余裕が仇を成す。

「ヤバい、先輩、隠れろ!」

「あぁ!?」

 廊下は真っ直ぐ伸びているのだ。

 そこに遮蔽物などなく、冷凍ビームを阻むものが何もない。

 狙いを付けられれば、それは必中必殺の攻撃となるだろう。

 だが、不意を突かれた樋口はそれに対応が出来なかった。

「くそっ!」

 エクストは既に頭に空いている銃口を向けている。

 このままではショウタか樋口のどちらかがビームの餌食となる。

 それを防ぐため、ショウタはまだ真新しい制服の上着を脱いだ。

『ぐげぎぎぎぎ!』

 一際高いエクストの鳴き声と共に、冷凍ビームが発射された。

 狙いは恐らく対応出来なさそうな樋口。彼は今も状況が把握出来ず、エクストの様子を確認出来てもいないだろう。回避はまず不可能だ。

 ならば、と。

「届けぇぇぇ!!」

 ショウタは制服の上着を闘牛士のマントのように扱い、それを冷凍ビームの射線上に広げる。

 物に当たればそこで停止するはずの冷凍ビーム。上着にぶつかればそこで進行はやめるはずだ。

 ショウタの目論見は、確かに通った。

 広がった上着にぶつかった冷凍ビームは上着を瞬く間に氷漬けにし、それ以上は貫通しなかった。

 だが、

「うぐ……ッ!!」

「鏡ぃ!!」

 すぐに手放したものの、制服を一瞬で固めた氷がショウタの手にも伝播してくる。

 指先に激痛が走り、その瞬間に得体の知れない喪失感がショウタを襲う。

「な、なんだ……これ……ッ!」

「やべぇぞ、ビームはもうねぇってのに、氷が止まらねぇ!」

 指先に張り付いた霜はやがて大きな氷となって、見る見る内にショウタの手を侵蝕し始める。

 氷に包まれたショウタの指は青黒く変色し、激痛を訴えて、すぐに感覚を失う。

 それがジワリジワリと掌を食いつくし、手首へとその牙を剥いてくるのだ。

「ち、チクショウ、どうしたら……ッ!」

「先輩……逃げろ、エクストは、まだ……止まってない……ッ!」

 痛みと正体不明の喪失感に襲われながらも、ショウタは樋口を気遣う。

 このままでは二人ともエクストの餌食になってしまう。

 しかし樋口は動けない。

 目の前で起こる理解不能な出来事、迫り来る凶暴な敵、そして内に燻る我が身可愛さ。

 様々な感情と判断材料が樋口の中で渦巻き、あまり良くない頭では処理しきれず、混乱に飲み込まれてしまったのだ。

 結果、行動を起こす事が出来ず、その場に留まってしまう。

「せん……ぱい……ッ!」

「く、くそ……どうしたら……」

 樋口が悩む間にもエクストはこちらに向かってきている。

『ぐげぎぎぎ……』

 その鳴き声は餌を前に舌なめずりする肉食獣のようであった。

 最早これまで、とそう思った時、


「伏せてッ!」


 廊下の窓を突き破り、矢弓のように突入してきた影が一つ。

 その手に炎の剣を握り締め、突入と同時にエクストへと突き立てたその人物は、言わずもがなアキホ。

『ぐげぐっ……!?』

「燃え散れッ!」

 アキホの言葉と共にその手に握った剣が火力を増し、エクストを炎で包み込んだ。

 断末魔さえ遺させず、エクストは露と消えた。

「烏丸、アキホ!」

「ショウタ!」

 声をかけた樋口を半ば無視して、アキホはショウタへ飛びつく。

「腕が氷に……」

「エクストのビームがかすったんだ、どうすりゃいい!?」

「エクストの影響……やっぱり」

 今もショウタの腕を蝕む氷。いまや前腕が全て氷に覆い尽くされ、肘を通って二の腕を侵蝕しようとしている。

 それを見て、アキホは手に持っていた炎の剣を氷へ近づける。

 だが、その氷は全く溶けるようには見えない。表面に水滴が浮くわけでもなく、なお淡々とショウタの腕を食み続けていた。

「やっぱり、私の炎じゃダメか……」

 歯噛みするアキホ。だがこれ以上の手段がないわけではない。

「ショウタ! ショウタ、聞こえる!?」

「う……だれ、だ……」

 朦朧としているらしいショウタ。

 焦点の合わない瞳で、なんとかアキホを捉えたようであった。

「アンタ……どうして、ここに」

「どうしてもなにも、イグナイテッドがエクストを倒すのに……襲われている人を助けるのに理由なんか必要ないでしょ!」

「エクスト……イグナイテッド……頭が、ぼんやりして……」

「ヤバい……大分奪われてる」

 言動まで怪しくなっているショウタを見て、アキホは平手を掲げる。

「ゴメン、ショウタ!」

 そして、その平手を思い切りショウタの頬に当てる。

 パチン、と高い音が廊下に響き……しかしショウタの反応は芳しくない。

「う……ぐ」

「痛みじゃもう帰って来られないの……?」

「な、なにやってるんだ、烏丸!」

「黙ってて!」

 急に暴行を働くアキホに対し、樋口は動揺して止めにかかろうとするが逆にアキホに制止されてしまった。

「このままじゃショウタが死んじゃうの! 黙って見てて!」

「うっ……」

 その迫力に圧され、樋口は口を噤んで二人から離れた。

 一方、アキホはショウタを助ける方法を何とか模索する。

「どうしよう、どうする……時間がない……ッ!」

 ショウタを覆っていく氷は既に肩に手をかけようとしている。

 ぼやぼやしていたら、氷が頭に到達するまでに間に合わなくなってしまう。

「迷ってる暇はない、もうどうにでもなれッ!」

 時間に追われ、アキホは最終手段を取る。

 気を失いかけているショウタの胸元を掴んで引き寄せ、そして……

「んむ……」

 その唇を重ねた。

 瞬間、身動きを取る事もなかったショウタの腕が大きく動く。

「……んん!?」

「ぷぁ! 反応があった!」

「な、なにを……」

 意識は大分取り戻したようだが、それでも氷の侵蝕は止まらない。

 まだ足りないのだ。

「こーなったら、とことんやるわよ……! ショウタ、私がここまでやるんだから、感謝しなさいよね!」

 そう言ったアキホは、多少の逡巡を挟みつつ、ショウタの手を取ってそれを自分の胸へと向ける。

 ショウタの手は決して小さくはないアキホの胸に触れ、その柔らかさに埋まる。

「んっ……」

「あ、アンタ、なにを……ッ!」

「黙って! あ、口も塞ぐか」

 思いついたように、アキホはまたもショウタと唇を重ねる。

 バタつこうとするショウタだが、その身体に力はなく、そもそもイグナイテッドに敵うわけもない。

 全くの抵抗を許さないアキホに蹂躙されるショウタ。

「ん、んん~!」

「ん……ちゅ」

 混乱するショウタの唇を割り、アキホの舌が彼の口内へと侵入を始める。

 そこからはもう、やりたい放題であった。

 甘い水音が廊下に響き、その様子を見ていた樋口は若干引き、しかし二人の行為は一向に止まらない。

「ん、ん……んん!」

「ふっ……んちゅ……」

 かなり深いところまで侵攻されたショウタ。アキホは耳まで真っ赤にしながらもその行為を止めはしなかった。

 そして、その甲斐があったか、ショウタの身体に変化が訪れる。

「んんん!!」

 彼の顔が赤くなり、目が充血し始める。

 そして首にまでその手を広げようとした氷の侵蝕が止まったのだ。

「……んぷぁ! 止まった! 帰ってきた!!」

「あ、ああああ、アンタ!! なにやってんだ! 何してくれてるんだ!! 女子ならもっと恥じらいを……ッ!」

「良かった! ショウタ!!」

「抱きつくなぁ!!」

 ショウタが混乱して大声を上げる横で、彼の肩まで侵蝕していた氷が熱した鉄板に触れるかのように、ジュウジュウと音を立てて湯気を上げはじめた。

 腕を覆っていた氷は見る見る内に蒸発し、瞬く間にその姿を消してしまったのである。

「な、何が起こったんだよ……」

 完全に蚊帳の外であった樋口は、その様子を見ながら困惑するしかなかった。


****


 エクストが出現した所為で、その日の授業はそこで終了となり、学校は一時的に封鎖された。

 その間に、ショウタは病院へと担ぎ込まれる。

「えぇ……鏡ショウタくんね」

「はい」

「君、イグナイテッドになったわ」

 目の前で電子カルテを眺めながら、世間話でもするかのようにぽろっと重要な事を言う医者を前に、ショウタはどう反応をしたものか、と困惑してしまった。

「……じょ、冗談か何かですよね?」

「冗談なんかじゃないねぇ。君の体温、普通の人間よりもかなり上がっている。イグナイテッドによく見られる現象だ。実際、いまちょっと暑いだろ? まぁすぐに慣れると思うけど」

 白衣の下にセーターを着ている医者に対し、ショウタは学生服の上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚である。その上で額には若干汗が浮いていた。

 確かに、室温が高いのではないか、と思うぐらいだ。

「イグナイテッドはその特殊な心臓、通称イグナイテッドハートがもたらす熱によって、身体中の体温が高くなる。その所為で君は今、とても暑いはずだ」

「う、嘘だろ……」

「他にも血液の成分も若干変化しているし、皮膚の性質もかなり変化している。筋肉に関してはもう完全に別ものだね。内蔵機能にもかなり変化が起きているだろう」

 ペラペラと並べ立てられるイグナイテッドとしての証拠。

 それを聞くとも聞かずともなく、ショウタは目の前が揺れるような錯覚を覚えた。

 自分がイグナイテッドになった。

 その事が衝撃的すぎたのだ。


 呆然としたまま病院を出て、帰路につく。

「大丈夫ですか、ショウタさん?」

 隣にはついて来てくれたりこがいる。

 フラフラと足取りの覚束ないショウタを支えるように付き従ってくれているが、ショウタの方には受け答えをするような余裕がない。

 ただ一言、

「大丈夫……じゃ、ないです」

 と答えるのが精一杯だった。


 その日を境に、ショウタの世界が一変する。

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