2-4
昼休み。教室で小さな包みを目の前に置き、ショウタはどうするべきかと思案していた。
食堂や購買のあるこの天戸学園では、弁当持参組とそれ以外では半々ぐらいの人口割合であった。
ショウタの場合はりこが気合を入れた弁当を作ってくれたため、それを持ってきている。目の前の包みはその弁当をくるんでいるものだ。
『入学して初の昼休みですからね! 私も腕によりをかけて作りましたから、じっくり味わってくださいね!』
とはりこの言であったが、ショウタは嫌な予感がしてどうしようもなかった。
「おや、ショウタは弁当かね? 私も弁当よ。コンビニで買ったヤツだけど」
隣から声が聞こえる。
昼休みに入ってザワつく教室の中でもやけに耳につく声だ。
「アンタには関係ないだろ」
「いやー、折角お隣同士なんだし、ちょっとお昼ご飯一緒に食べようぜー」
アキホはショウタの塩対応にも全くめげない。
出会ってからまだそれほど時間も経ってないが、どうしてこんなに懐かれてしまったのか、ショウタには全く理解が及ばなかった。
「アンタは他に誘ってくれるやつがいるだろ。そいつらと卓を囲めば良い」
「じゃあショウタは他に誘ってくれるやついるの?」
「そもそも必要ない」
アキホの誘いをバッサリと切り捨てて、ショウタは教室を出た。
出来ればどこか人がいなさそうな場所に退避したいところであるが……。
「さて、どこへ行ったもんかな」
弁当袋を所在なさげにブラブラさせつつ、ショウタは廊下に踏み出した。
やって来たのは旧校舎。
今は部室棟として使われているこの旧校舎には、幾つも空き教室がある。
部活動は活発でないわけではないものの、それほど数はない。元々校舎として使っていた建物の部屋を埋めるほどはないのである。
当然、現在は部室として使われていない教室は空き教室となっており、その中に人はいない。
たまにガラの悪い連中や、人を憚った逢瀬がしたい二人などが使っている事もあるが、今日はそんな手合いもいないようである。
ショウタは適当に教室を選び、そこに積み重なっている机と椅子を一対用意して陣取る。
弁当袋を置いて一息つくと、教室の外から廊下の壁を伝って、モヤモヤとした音となった喧騒が届いてくる。
ここが隔離された空間である事を認識して、ショウタはこの上ない居心地のよさを感じた。
「最近は隣のヤツがうるさかったからな……」
落ち着ける時間も少なかったことを思い返しつつ、今はそれを忘れて昼食にしよう。
そう思って弁当袋を開き、中に入っていた弁当箱を取り出す。
蓋を開けてみると、やたらファンシーなキャラ弁が顔を出した。
「……やっぱり、教室で開けなくて良かった」
これを教室で晒したとなればアキホに笑われた上、クラス中に知れ渡り、これまで培ってきたキャラも台無しになるところだった。
「橘田沼さんには厳しく言っておかねばならんな」
弁当の見た目には文句をつけつつ、その味をしっかりと味わった。
りこの作る弁当は、とてもとても美味しかった。
弁当を食べ終わった後、空き教室の静けさや居心地のよさを手放したくなかったショウタは持ってきていた文庫本を取り出して、その場に居座る。
このまま昼休みが終わるまでここにいても良いか、と思ったのだ。
廊下を渡ってくる遠い喧騒や、窓の外から聞こえてくるグラウンドで遊ぶ声、そんな物音から一定距離を隔絶されたこの環境はショウタにとって天国とも言えるような場所であった。
他人の事を考える必要がなく、たった一人でいられる場所。
「なんならここに永住したい……」
文庫本の切りの良いところで閉じ、しみじみとそうつぶやく。
そのまま静かに数分、春の涼しい空気を味わっていると、不意に波紋を起こすモノが乱入してくる。
空き教室の外を通る廊下を反響して、バタバタと下衆な足音が二つほど。
そりゃあこの旧校舎は部室棟になっているのだから、誰も訪れないわけもない。部室に用事がある部員がいれば足音の二つや三つ聞こえてくるのも道理だ。
だが、それにしてもやかましい。その上、どうやらこちらに近付いてくるようである。
この階にはなんの部室があったっけな、なんて調べてもいない事を考えようとした時、その足音の持ち主が教室の前で立ち止まった。
「あ、いましたよ、樋口さん!」
「おぅ!」
やって来たのは先に小柄な男子と、それに続いて大柄な男子。
どちらも上級生のようであったが、ショウタは彼ら二人をゆっくりと見やる。
小柄な方はショウタよりも背が小さい。その後ろに控えている大柄な男子と比べると、ほとんど大人と子供ほどの背丈の差ではないかと思えるぐらいだ。
大柄な方は教室のドア枠よりも高い背丈を持っており、少し身をかがめてこちらを覗いてきている。襟首についている校章をチラ見するのも一苦労であった。
そんな二人を見ながら、ショウタは文庫本をしまう。
どうにもその二人、雰囲気が剣呑としているようにも感じられたのだ。
「なんだ、アンタら」
「お前が鏡だな?」
「……そうだけど」
いきなり現れて失礼な物言いであったが、ショウタは特に反発する事もなく肯定する。
それを聞いた大柄な方の上級生が、ズカズカと教室の中に入ってきた。
「噂は聞いているぞ。イグナイテッドが嫌いと言いながら、俺のオンナである烏丸アキホに近づき、なんやかんやとちょっかいを出しているらしいじゃないか」
「俺のオンナ……? アンタ、あの女と知り合いなのか。だったら、俺に構わないように言ってくれ。こちとら迷惑しきりなんだ」
「あ? そうなの? あっれ、聞いてたのと違うぞ、ユキ」
「そうっすね。おかしいなー」
ショウタの発言を受け、上級生二人は困惑する。聞いていた話との齟齬があるようだが、そもそもショウタの言葉をホイホイ信じてしまう辺り、この二人はどうやらあまり利口ではないらしい。
実際、ショウタは嘘はついていない。だがその発言が嘘である可能性は十二分にありえる。
何せショウタと上級生二人は初対面である。人となりも知らない人間に対して手放しで信用できるというのは美徳でもあろうが、今のご時勢は生き難かろう。
そんな純粋な上級生は首を傾げつつも口を尖らせる。
「でもよぉ、お前のクラスのヤツが言ってたぞ。なんかお前と烏丸アキホがめっちゃ仲良さそうって」
「クラスの人間と俺はかなり仲が悪い。アンタが俺にケンカを吹っかけそうなら、それぐらいの嘘はつくだろう」
「え? お前、クラスメイトから嫌われてんの? 可哀想……」
「アンタに哀れまれると、なんかスゲェ腹立つ」
「なんか、ドンマイ」
「うるせぇよ、さっきから失礼なヤツだな!」
ガタンと音を立てて立ち上がり、ショウタは大柄な男子に近付く。
こちらから仕掛けるつもりはサラサラなかったのだが、何故かどうしようもなく腹が立ってしまったのだ。
ズイと身体を乗り出して、大柄な男子の顔を睨みつける。
「とりあえず、名を名乗れよ」
「おぅ、そう言えば名乗ってなかったな。俺は樋口一馬だ。烏丸アキホを俺のオンナにするのを今の目標としている」
「……あんな女のどこが良いのか知らんが、とにかく、ヤツを手篭めにしようと思ってるなら、俺に構うよりももっと別の手段があると思うぜ」
「そうですよ、樋口さん、一旦出直しましょう」
「うーん、そうだなぁ」
頭を掻きながら教室を出て行こうとする樋口とその舎弟らしき男子。
それを見送りながらショウタがため息をついていると、ふと、冷気が流れ込んでくるような気がした。
窓が開いているのだろうか、と思ったがそんなはずはない。
今まで窓は閉じていたし、この場にいる三人が窓に近付くそぶりは見せていない。
ここは二階にある教室ゆえに、外から開けられる事もない。そもそも鍵がかかっていて外から開けられるようにはなっていない。
だとしたら、この冷気は……?
ショウタの頭に嫌な予感がよぎる。
「樋口さん、なんか寒くねっスか?」
「……これは」
「嘘だろ……ッ!」
樋口と舎弟もそれに気付いていると言うことは、間違いない。
出所不明の冷気は確かに存在している。
そして、出所不明の冷気となればその正体は自ずと知れる。
背筋が凍るような感覚を覚えると同時に、学校内のブザーがビービーとけたたましく鳴いた。
「ブザー!? 樋口さん、ヤバいっスよ!」
「なんだ、エクストか!?」
「ありえん……」
周りをキョロキョロと窺う三人。
だが、ショウタの頭の中では混乱が著しかった。
「エクストがこんなに早く現れるはずがない……昨日の今日だぞ!?」
世界中で起こっているエクストの出現事件は、多くて一週間に一、二度。
国内に限っても月に二度もあれば多い方だ。
それが二日連続で、しかもこんな近所での出現。これは明らかに異常であった。
「チクショウ、出所はどこだ!?」
状況を把握しようと、教室から飛び出そうとするショウタ。
だが、背後でバリバリと音がするのが聞こえ、足を止める。
「ここかよッ!」
「ヤバいぞ、逃げろ!」
空間に亀裂が走る。その場所は空き教室の隅。
鏡面にヒビが入るように、何もないところに血管のように這い回るそれが、緊張の糸が途切れるようにしてはじけた。
宙に現れた世界のほつれ、歪み。油を浮かせたようなその穴から、エクストが這い出てくる。
その姿形は昨日見た個体とはまた別で、四本の脚を持ち、腕はそれほど大きくない。体長も成人男性ほどで、見かけから受ける威圧感は少ないようであった。
だがその代わり途端に教室内には冬の空気もかくや、と言うレベルの冷気が流れ込み、三人を凍えさせるかのように包み込む。
「おい、ユキ、鏡を連れて逃げろ!」
「は、はい、樋口さん! おら、下級生、こっちだ!」
樋口が二人の前に立ち、エクストと対峙する。
ユキと呼ばれた舎弟がショウタの制服を引っ張るが、しかしショウタは動かない。
「おいアンタ、樋口さんって言ったか。一人で立ち向かうつもりか!」
「当たり前だろ。全員で逃げても、あいつに捕まるのがオチだ」
バカッぽそうに見えて、こう言う場面には頭が働くのだろう。
相手の力量をすぐに察知し、上策を打ち出すのは、その風貌に見合ってケンカ慣れしている証拠であろうか。
確かに、樋口の言う通りである。このまま三人で逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。となれば、ここで誰かが足止めしておくのは簡潔で有効な手段である。
だが、ショウタはそれに反発する。
「足止めなら俺がやる! アンタたちは逃げろ!」
「下級生にそんな無様な姿を見せられるか!」
強情な樋口。その間にもエクストはジワリ、と距離を縮めてきていた。
エクストの個体特徴なのであろうか? 他のエクストならばすぐに襲い掛かってきても良さそうなのだが、このエクストはこちらの様子を窺っているようである。
しかし、その様子にあぐらをかいていられると考えるのは甘えだろう。少し隙を見せればすぐに飛び掛ってきてもおかしくはない。
時間稼ぎが出来るならばそれは確かに有効だ。それは他の二人が逃げる時間を作り出せる以上にアキホが登場するまでの時間も稼げるわけで、エクストに対して最大の有効打に出来る。
しかし、果たしてそれが可能なのだろうか?
いくら身体能力が常人よりもはるかに高いイグナイテッドとは言え、アキホがここへたどり着くよりも、エクストが樋口に襲い掛かる方が断然早い。このまま樋口をおいて逃げれば、まず間違いなく、樋口は死ぬ。
「そんなこと……見過ごしてられるか!」
エクストが深呼吸をするかのように、腹部に空いた穴から凍えるような空気を吐き出す。
一気に周りの気温が下がり、ショウタたち三人の熱を根こそぎ奪っていく。
だが、それにも怯まないショウタと樋口。
互いにしんがりを譲らず、その様子を見ながらアワアワと動揺するユキ。
にっちもさっちも行かない状況を見越してか、エクストが攻撃態勢に入る。
『げぎぎぎ!』
三人を嘲笑うかのような声をあげ、頭のてっぺんに空いた銃口の様な穴を樋口に向けた。
次の瞬間、そこから光が発射される。
それは何をも凍らせるエクストのメインウェポン、冷凍ビーム。
瞬く速さで樋口に猛進するビーム。樋口はそれを見据えながら、しかし動かない。
避ければ後ろにいるユキかショウタに当たってしまう可能性がある。
それを防ぐために、盾になろうとしているのだ。
「危ないッ!」
だが、ショウタが樋口に体当たりし、彼をその場から退ける。
幸いにもビームは教室の壁に当たり、そのまま壁を氷漬けにすると消えてなくなった。
「バカヤロウ、何で避けなかったんだよ! 死にたいのか!」
「死にたくはねぇ! だが、意地や誇りを捨ててまで生きたくもねぇ! ツッパリってのはそういう生き方よぉ!」
「ツッパリって……どうしようもねぇな、チクショウ!」
ツッパリの生き方とやらは知らないが、意地を張る男の思考は理解できる。
それを曲げるのも難しい事も。
だが、命のかかった場面で意地を通すとは、本当にただの馬鹿なのかもしれない。
「ユキ先輩! 戻って学校の連中にエクストが現れたことを知らせてくれ!」
「え、でも……」
「良いから行け、ユキ。ここは俺たちが食い止める」
「わ、わかりやした!」
樋口にも言われ、ユキは逃げ出すようにその場を去っていった。
ブザーにあわせてユキからの情報があれば避難が進むはずだ。
「あとは早めに烏丸アキホに来てもらうしかないな」
「へぇ、樋口先輩はアイツを倒すつもりなんじゃないのか?」
「バカヤロウ。ケンカをする時は相手の値踏みは正確にしろ。あんなバケモノ、どうやって戦えって言うんだ」
事ケンカにかけては頭が働く樋口。
やはりエクストがどれだけバケモノかはわかっているらしい。
退くつもりもないが、勝てる見込みもない。
「そういうお前はどうなんだ。今からでも遅くはない。俺に任せてお前も逃げろ」
「へっ、冗談言うなよ先輩。エクストなんかにビビッてられないんだよ。こちとら最終目標はイグナイテッドをぶちのめす事だからな」
「はっ、大言壮語だな。身の程を知るのも大事だぞ、下級生」
「なら、アンタもエクストから尻尾を巻いて逃げれば良い」
「口の減らないッ!」
ジャブの打ち合いのような軽口の後、先に動いたのは樋口。
目の前にあった机――先ほどまでショウタが昼食を食べていたモノ――を、樋口がエクストに向かって投げつける。
決して軽いとは言えない机であるが、それを軽々と片手で放り投げる樋口の腕力は相当なものなのであろう。
しかし、エクストはその机を片手で跳ね除ける。
机の板が薄氷のように割れ、粉々になった机が床の上をはねる。
「チッ、やっぱりダメか!」
「先輩、一旦退こう」
「なにぃ? 怖気づいたか!?」
「こう開けた場所じゃ、まともに戦えない。もっと狭い場所じゃないと……」
「なるほど、一理ある」
エクストは冷凍ビームと言う一撃必殺の遠距離攻撃まで持っている。となると机と椅子が纏めて片付けられたこの教室のような遮蔽物のない場所ではかなり不利だ。
だが、あの冷凍ビームは物に当たればそこで止まる。だとしたなら、ここは一度退いて、ショウタたちが戦いやすい場所を探した方が良い。
「どこか心当たりがあるのか?」
「俺は新入生だぜ? 先輩の方が詳しいだろ、こう言うのは」
「……一階のロッカールーム。あそこなら何とかなるかもしれねぇ」
この旧校舎は今現在、部室棟として使われている。
それに伴って運動部等が使うように、一階の一部を改装しロッカールームにしてあるのだ。
「大部屋に幾つもロッカーが並んでいる。目隠しとしてなら充分役に立つはずだ」
「了解、じゃあ、そこに――」
算段がつきそうになった瞬間、エクストが動き始める。
その四本の脚で強く床を蹴り、天井スレスレまで跳躍する。
ひび割れた床板から、その脚力が窺い知れた。
「行動開始だ、下級生!」
「おう!」
二人はエクストの飛び掛りをスルリと避け、空き教室を出る。
「……動きが鈍い。アイツ、昨日見たヤツよりも弱いのか……?」
そんなエクストの動きに、ショウタは小さな違和感を覚えていた。
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