2-2
「いやぁ、綺麗な人だったね」
道すがら、アキホがしみじみとそう呟く。
誰に言っているわけでもないだろう、とショウタは完全にスルーした。
「聞いてる?」
「……聞いてない」
どうやらショウタに話しかけていたらしい。まったくきづかなかったなー。
ショウタとアキホが二人並んで登校しているのもりこの所為であった。
と言うのも、彼女曰く『アキホちゃんを送っていかないと、ショウタさんがいない内に部屋がとんでもない事になります』との事。
家のことを仕切っているりこにそうまで言われては、ショウタとしては従うしかなかった。
「ショウタにあんな綺麗なお姉さんがいるだなんて。早く教えてくれれば良いのに」
「教える義理もないし、昨日今日でそんな事話すわけがないし、そもそも橘田沼さんは俺の姉じゃねぇ」
「え? ああ、確かに苗字が違う……って事は?」
「ウチの……なんていうか、ハウスキーパー?」
メイドを雇っているなんて言うと、なんだか金持ち自慢みたいになってしまう気がして、どうにか表現方法を変えてみたつもりであったが、それでも大概金持ち自慢であった。
「へぇ、ショウタの家にハウスキーパーなんているんだ。ご両親は共働き?」
「アンタ、俺のこと知らないのか?」
「え? ショウタって私より有名人?」
「さぁな。だが、鏡義正の息子って言うと大概、手を叩かれるんだがな」
「鏡義正……ああ、あの反イグナイテッドの市議会議員」
義父の名前は知っているらしく、アキホはなるほど、と頷く。
「お父さんが政治家でもお母さんはいるでしょ?」
「母親は死んだ。義父の妻は本家にいる。俺はあの家で暮らしてる」
「うーん……複雑なお家関係?」
「普通なら、これ以上突っ込んで訊こうとは思わないだろうな」
家の面倒なんか聞いてしまうモノではない。それを聞いたところでどうしようもないし、かといって聞いてしまったからにはそのことを少しでも考えてしまうのが人間だ。
どうしようもない話を聞いてしまって悶々と悩むよりは、そもそも聞かないほうが良いというのは当然の自衛手段である。
そうでなくとも、問題を抱えている当人はその問題の事について話したがらない事が多い。身内のゴタゴタなんて恥にしかならないのだから、滅多やたらに喋りたがるバカの方が少ないだろう。
だとしたなら、当然、この話は終わりになるはずだ。
「でも私は気になる」
「アンタ、空気読めないって言われるだろ」
「そうだね。結構言われる」
ショウタの嫌味にも全く取り合わないあたり、対応しづらい事この上なかった。
だが、ここでショウタの過去を話した方が、今後の牽制になるだろう、と思い、ショウタはため息をついたあとに口を開く。
「俺は昔、イグナイテッドに家族を殺された。唯一の肉親だった母親をその炎に焼かれ、義父である鏡義正に引き取られ、政治の道具にされ、今は放置されてあの家に住んでる。何もかも、引き金はイグナイテッドだった。俺の面倒な環境も、こじれた因縁も、何もかもな」
「なるほど。それでショウタはイグナイテッドが嫌いなわけだ」
「そうだよ。だから今日でちゃんと道を覚えて、一人で学校に行けるようになり、今後は俺に一切関わるな」
ピシャリと言い放つショウタに対し、アキホは言葉が継げなかった。
それを了解と取ったショウタはこれ以上後ろを振り返る事もなく、足早に学校への道を歩むのだった。
故に、複雑な顔をしたアキホの表情にも気がつけなかった。
「ほら、ここまで来ればもう大丈夫だろ」
やって来たのは通学中の学生が多く見える大通り。
彼らについていけば学校へたどり着くのは容易いだろう。
「ありがとう、助かったわ」
「明日からはちゃんと一人で登校しろ。そうでなくてもせめて俺に頼るな」
「努力する。でもどーしてもダメって時は……」
「他のヤツらに頼れ。アンタなら助けてくれる人間なんて腐るほどいるだろ」
アキホはニュースでも取り沙汰される時の人。クラスでも人気の高い人物である。その辺を歩いている人間に適当に声をかけるだけで道ぐらい簡単に教えてくれるだろう。
昨日今日はたまたまショウタであっただけで、明日からは人を選ばなければ簡単に解決する問題であるはずだ。
「でも、ショウタみたいな人は貴重だよ」
「んなワケあるか。俺みたいな凡人はどこにでもいるさ」
「ううん……ショウタの言葉は本心なんだなって思うから、そういう人は珍しいよ」
「……よくわからんが、馬鹿にされてんのか?」
「そうじゃないよ。本心から、ショウタとは仲良くしたいと思う」
「こっちはゴメンだね。誰がイグナイテッドなんかと仲良くするかよ」
吐き捨てた後、ショウタはアキホに背を向け、そのまま学校へと歩いて行ってしまった。
その背中はついて来るな、と言っているような気がしていたが
「私も学校へ行くのに、それは無理でしょ」
苦笑しつつ、アキホはその背中を追った。
いくら方向音痴なアキホでも、周りを歩く学生を見失う事はなく、何事もなく校門までたどり着く事が出来た。
「本当に、ちゃんと道覚えないとなぁ。いつまでも人に迷惑かけてられないもんね」
とりあえずは家から大通りに出る道筋だけでも覚えておけば何とかなることはわかった。休日にでも何度か歩いてみてちゃんと身体に染みこませないとなるまい。
前方をふと眺めてみるが、ショウタの背中はもう見えない。
「どんだけ早足なんだよ、もう……」
苦笑しながらアキホも昇降口を目指す……が、その道を人影が阻む。
「あら?」
「よぉ、烏丸さん」
アキホの前に立ちふさがったのは、見た事も会った事もない男子生徒。
女子高生の平均並の体躯であるアキホが、それでも見上げるほどの長身で、その上鍛えられたような身体が横幅も持っているので、目の前に立たれると壁のようにすら思える。
校章の色を見ると、どうやら三年生のようであった。
「えっと……どちらさまですか?」
「おいおい、お前、樋口さんを知らないのかよ!」
壁のような男子生徒の影から、まだ普通の体型の男子生徒が顔を出す。
見るからに小兵、腰巾着といった風体であったが、恐らくは樋口と言う壁男子の子分なのだろう。
「樋口、先輩さん? 私に何か用ですか?」
「ちょっと俺に付き合わねぇか? ガッコなんかフケて遊びに行こうぜ?」
「は? ……ちょっと何を言っているのかわからないんですが」
急に何を言っているのか、と思ってしまった。
学校の敷地内で上級生からナンパを受けているのだろうか?
まさか、そんな……。
「誘ってくれたのに悪いんですが、私は皆勤賞を狙っているんですよ。サボってなんかいられないんです」
「あ? 俺の誘いを断るのか?」
「ええ、申し訳ありませんが、また今度にしてくれますか?」
軽く会釈し、樋口の横を通り過ぎようとするアキホ。
しかし樋口はそれだけで諦めず、彼女の腕を掴んだ。
「待ちなぁ! そう簡単に逃げられるわけには痛てててててててッ!!」
「ひ、樋口さぁん!」
急に叫び声を上げる樋口に、子分が心配そうな声を上げる。
見ると樋口の腕がアキホに捻り上げられていた。
「セクハラは犯罪ですよ、先輩?」
「い、痛ぇ……ええぇぇ!!」
腕を極められたまま、樋口の身体が宙を舞う。
アキホの脚が樋口の身体を払い、軽々とその身を投げ飛ばしたのである。
樋口の巨体は相応の重量を持っているだろう。女子の細腕ではまず持ち上げられないレベルだ。だが、アキホはイグナイテッド。
常人のそれとは比べ物にならない程の身体能力を持ち合わせているイグナイテッドに、ケンカ自慢であろうと樋口が敵うわけもなかったのだ。
それほど、常人とイグナイテッドの間には隔たりがある。
ドタン、と大きな音を立てて、樋口が地面に落ちる。
まともに受け身を取ったはずの樋口だが、その衝撃でしばらく立ち上がれないようだった。
どうやら女子に投げ飛ばされた事がよほどショックだったらしい。
「それでは、樋口先輩と、そのお友達さん。いずれまた誘ってくださいね」
スカートの裾の埃を払って、アキホは二人に笑顔を見せ、そのまま昇降口に向かって去っていった。
「ああ言う人も、まぁわかりやすくて悪くないわ」
樋口と言う男子……まともに付き合いたくはないとは思うが、わかりやすさで言えば上位のレベルであった。
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