1-5

 入学初日の全日程をこなし、学生は放課となる。

 授業もなく昼間に解放される自由感を手に入れた学生たちは思い思いにこれからの予定を立てながら校舎を出て行く。ショウタもその内の一人だが、彼には特に予定がなかった。

 ショウタを遊びに誘ってくれるクラスメイトはおらず、そもそもショウタ自身が誰かと一緒に遊ぶような性格ではない。かと言ってこのまま帰ってもやる事もなく部屋でゴロゴロするだけである。そんな勿体無い事もしたくはない。

 そう思って繁華街へ向かうバスへと乗ったのだ。

バス内には多くの学生がおり、その中にはショウタと同じクラスの人間もいたが、お互いに知らぬ顔を貫き通す。

 ショウタから話しかける事はまずなく、向こうから話しかけてくる理由もない。ならば最初からいないものとして扱った方が気が楽である。

 そうこうしているうちにバスは高いビルが立ち並ぶ地区へと入ろうとしていた。乗車時間は四十分ほどだろうか。

 乗客のほとんどが下車の準備をし始めていると、不意に違和感を覚える。

 車内の空気が異常に冷え始めたのだ。

「なんだ……?」

 冷気を感じて乗客の誰かが声を零した。

 クーラーの故障か、それとも春の寒風か。

 いや、それにしては妙である。

 気温の下がり方が異常なのだ。

 四月も初めであるが、最近の気温は高くなり始めている。加えて現時刻は昼時。それなのに人間の吐息が白く煙るはずがない。

「これは……ッ」

 ショウタが驚いて立ち上がり、記憶のフラッシュバックを見る。

 それとほぼ同時にバスに備え付けられていた警報機がビービーとけたたましい音を上げた。

「警報!? まさか……」

「エクストか!?」

 乗客が騒ぎ始め、バスが急停車する。

 その揺れで立っていた上客の数人が床に倒れたが、事態はそんな些細な事を看過する。

『Uターンいたします、お客様はしっかり着席するか、手すり、保護棒にお掴まり下さい!』

 運転手のアナウンスが車内に響く。

 目的地はまだ道路の先だが、止むを得ない事態の発生により、この場からの離脱を優先したのだ。その判断は正しい。


――だが、遅かった。


 バスの前方にあった空間に、突如としてひび割れが起きる。

 空中に入ったヒビはガラスのように弾け飛び、その奥に水に浮いた油のような模様の異空間を映し出していた。

 そしてその中からずんぐりむっくりした『何か』が這い出てくる。

 車体の大きなバスでは反転するのにも時間がかかる。それにバス以外にも多くの一般車が走っている。バスが簡単に動けるわけもない。

 そんな混乱に付け入るかのように這い出た何かが、起き上がった。

「え、え、エクストだぁ!」

 乗客の一人が恐怖に怯えて悲鳴を上げた。

 前方に現れたソレは人々に与える恐怖と共に冷気を載せ、目も鼻もない頭をもたげる。

 その全身から溢れる冷気が周囲の空気を極端に冷やし、エクストの身体から白い煙がドライアイスのように噴出しているようですらあった。

 無機質な外見に、しかし全身から溢れ出てくる殺気。近付けばすぐに殺されてしまうような危うさを余す所なく発している。

『げげ、げぎぎ……』

 口もないのにどこからともなく声のようなものを発しているが、それは既に動物の鳴き声か、もしくは虫の羽音にも近いものである。そこに意味が込められているのかどうかすらも定かではない。

 全く意味不明の音。それが更に乗客の恐怖心を煽るかのようであった。

 バスの目の前に現れたのは人類の敵、エクスト。またの名をエクスティングイッシャー。

 この世界に現れるエクストの外見は大概、人のような四肢と、成人男性よりも一回りくらい大きな身体を持っている。とは言っても人間の手足とは違い、それは時に刺々しく、時に鈍器のように重厚で、時に刃物のように鋭利だ。今回のエクストは鈍器タイプだといえよう。

 大きく肥大化した両の手に当たる部分は指が全くなく、中世に西洋で用いられていたメイスのような形をしている。あれで殴られたなら、生身の人間ではひとたまりもあるまい。

 エクストはその見た目通り、いやそれ以上にとても力が強い。その豪腕で殴られれば人の形を保っていられるかすら怪しいだろう。

「こっちに来るぞぉ!!」

 そんなエクストがバスに向かって腕を振るう。

 ゴシャっと音がしてフロントガラスが粉砕され、運転席付近の全てを一撃の下に削り取ったのだ。

 車体は大きく揺れ、衝撃に耐え切れずに横転する。

 横倒しになったバスに乗っていた乗客もその中でゴロゴロと転げまわる。

「きゃああああああ!!」

「うわああああ!!」

 大きな物音に負けないくらいの悲鳴が上がり、車内は阿鼻叫喚となった。

 そんな中でいち早く体勢を立て直したのはショウタ。

「ドア方面が下になったか……だったら」

 床となった横壁に立ち、近くにあった誰の物とも知れないカバンを手にとって窓ガラスへと思い切り投げつける。

 破片が多少散らばったが、これで一人分くらいの逃げ道は出来た。

『げ、げ、げぎぎぎ……』

 バスの前方では、エクストが車内を覗き込んで餌の品定めでもしているかのようであった。モタモタしていては最初にかぶりつかれるのが自分になるかもしれない。

「全員、後ろに下がれ! 余裕があったら窓から逃げろ!」

 だが、バケモノを前にして物怖じせず、ショウタは大声を上げながらエクストのいるフロント側へと歩を進める。

 途中にうずくまっていた乗客に手を貸しながら、彼ら彼女らをバス後方へと誘導するのも忘れない。後方にはガラスの割れた窓がある。一人くらいなら通り抜けられるはずだ。

「窓を潜る時は破片に気をつけろ! 刺さったりつっかえたりしたら全員死ぬぞ!」

「ひ、ひぃぃ」

 大体の乗客はショウタの誘導に従い、バスの後方へと逃げていく。だが、バスの窓からの脱出は思った以上に混雑し、車内から脱出するのには時間がかかりそうであった。

「くそっ、これだからパニックってのは厄介だ……ッ!」

 呟きつつ、混乱に飲み込まれそうな自分を何とか保つ。

 ここでショウタさえもパニックになってしまえば、それこそ全員、エクストの餌食だろう。

 誰か一人でも冷静な人間がいなければならない。

 だが、ショウタすらもその正気な人間ではいられなかった。

「うっ……」

 バスの前方に乗っていた乗客が、凍死しているのだ。

 身体中に霜が生え、肌が青黒くなり、全く微動だにしない。

 これがエクストの餌食となった人間の末路である。

 エクストが本当に恐ろしいのはその腕力ではない。

 それが存在するだけで周囲の気温を大幅に下げ、さらには謎の冷気で人間を凍死させる事が出来る異能力。それこそが本当の脅威。

『ぐげ、ぐげげげ』

 エクストは笑うように声をあげ、肩を震わせる。

 その様子が死者を侮辱しているように感じられ、流石にショウタも冷静ではいられなかった。

「これでも食らいやがれッ!」

 ショウタは自分のカバンに仕込んでいたペットボトルの蓋を開け、エクストへと投げつける。

 その中に入っているのは独特の匂いを放つ液体、灯油である。

 冷気を放つエクストには熱を持って対抗しようとしたのだ。

 ショウタはこのペットボトルをいつも持ち歩いている。次にエクストに出会った時にヤツらに対抗するための策として用意していたのである。

 ペットボトルを投げると同時に、マッチ箱も取り出す。これで灯油に火をつければエクストにダメージを与えられるはず。


 そんな浅はかさが、嘲笑われる。


 灯油は空中で凍りつき、奇妙な氷柱となってバスの横壁に打ち付けられて破壊される。

「嘘だろ……!?」

 あの灯油は寒冷地でストーブの燃料としても使われているモノだ。氷点下二十度でも凍らないような代物である。それを一瞬で凍らせるほどの冷気。マッチ程度では太刀打ちできるはずもなかった。

 一瞬にして一転。万事休す。最早ショウタにはこれ以上の策はない。

 それを見越してか、エクストがバスの中へと一歩踏み込んでくる。

 たったそれだけで周りの空気が凍るように冷たくなる。恐怖に震える口から吐き出される息にも一層の白さが混じったような気がした。

 強大なバケモノを前に、手ぶらになった少年が何を成せるだろう。

 ギラリと光るようなエクストの両手。凶器とほぼ変わらない形状をしているそれを見て、ショウタは無意識の内に足を引く。

 怖気づいている。それを自分で理解しつつ、抗えない。

 生存本能が警報を上げている。このままここにいてはいけない。

 急いでバスの後方でごった返している乗客を押しのけ、我先にと逃げ出さなければならない。

 そうしなければ死ぬ。そう思った。

「下がりなさいッ!」

 その時、バスの外から声が聞こえた。

 ほぼ同時にショウタの頭上にあったガラス窓が粉砕され、火の玉のような何かがバス車内に降り立つ。

 反射的に頭をガードしたショウタだが、その腕の隙間から火の玉の正体を見る。

「お、おま……」

「ヒーローが来ましたよ、っと!」

 降り立ったのはもちろん火の玉などではない。

 だが、そこにいるだけで篝火のように周りの温度を和やかにし、生きた心地を与えてくれる。エクストの放つ冷気を相殺し、周りを暖めてくれるのは優しい暖炉の様ですらあった。

 その姿は少女。

 天戸学園の制服を纏い、ショウタよりも一回り小柄でありながら、どこか頼れる雰囲気を醸し出すの背中。

 見覚えがあった。

「アンタは……ッ!」

「この烏丸アキホあ来たからにはもう安心! エクストなんか一捻りよ!」

 現れたのは烏丸アキホであった。

 その唐突な出現に、逃げ場にごった返していた乗客に希望が灯る。

「烏丸さんだ!」

「アキホちゃんが来てくれたわ!」

「皆さんお待たせしました! 少し離れていてください!」

 一言言葉をかけると、アキホはエクストに突進する。

 異常なまでの脚力が地面を蹴り飛ばし、その矢弓のような突進がエクストに突き刺さる。

『ぐぎぎ!?』

「悪いけど、ちょっと付き合ってもらうわよ!」

 殺人的なぶちかましを受けたエクストは、通りの地面をゴロゴロと転がり、数十メートル吹っ飛ばされた所でやっと止まった。

「ショウタ、すぐにここから退避して。エクストは私が何とかするわ」

「……アンタに命令されなくても!」

 一瞬顔をしかめたショウタだったが、すぐにバスの乗客を誘導し始める。

 バスのフロントが解放されたことにより、車内からの脱出はかなりスムーズに行えたのである。乗客はバタバタとバスから逃げ出し、安全圏まで遠ざかっていった。

 それを横目に見つつ、アキホはエクストへと歩み寄る。

「すでに四人ほど、凍らせたみたいね」

『ぐげ、げげぎ……』

 フラフラと立ち上がったエクストを睨みつけるアキホの視線には、いつものような朗らかさなど欠片もない。

 ただ怨むべき敵を見据える戦士の瞳がそこにあったのだ。

「許さないから……何の罪もない人を殺すなんて、絶対に、許さないからッ!!」

 怒りを爆発させつつ、アキホはエクストに向けて吼え猛る。

「イグニッションッ!!」

 アキホの声と共に、彼女の周りに炎が沸き立つ。

 何もない場所から急に炎が顔を出し、ゴォと吼えてエクストを威嚇する。

 それはイグナイテッドがその力を発揮するためのキーワード。心を点火する鍵である。

 アキホの周りに出現した炎は瞬く間に形を変え、彼女の手の中に収束していく。

 出来上がったのは炎の剣である。

 それはただ単に炎が棒のような形に変形しただけのように見える。だが、それ自体が既に異常であった。

 炎とは揺らめくもの。その場に固定などされたりしない。

 しかしイグナイテッドは自分が発した炎を操る事が出来るのである。

 それこそがエクストを唯一殺す事が出来る力であった。

エクストはアキホが作り出した炎の剣を見るなり、すぐに戦闘態勢をとる。

 大きな右腕を掲げ、先端に銃口の様な穴を開けたのである。

『げげぎ!』

 刹那、そこから閃光が放たれる。

 圧縮された空気が解放されるような音が轟き、軽い衝撃波を放って突進する閃光。それは周りの温度を根こそぎ奪いながらアキホへと猛進する。

 それは冷凍ビームとでも呼ぼうか。触れたもの全てを一瞬にして凍らせるエクストの基本にして最強の手札であった。

「その程度でッ!!」

 その冷凍ビームに対して、アキホはしかし一歩も退かない。

 瞬く間に距離を詰めるビームに対して、アキホは炎の剣の切っ先を向ける。

 全てを停止させる極低温と、何をも灰燼に帰す極高温とのぶつかり合い。

 それは町の壁を破壊する程度の爆発を巻き起こす。

 相反する力を持ったモノ同士のぶつかり合いがその場に耐え切れなくなって周囲へと圧力を撒き散らし、轟音と共に爆ぜる。

 ガラスが割れ、ビル壁や地面にひびが入り、周りにあった車や街路樹を吹き飛ばし、白い煙が辺りを埋め尽くす。

 アキホもエクストも飲み込んで白く煙る町。

 しかしそんな一寸先の白い闇の中でも、赤く光る閃きを確認できるであろう。

『ぐげぎ!』

「逃すかッ!」

 退け腰になっていたエクストに対し、アキホは大胆に間合いを詰める。

 アスファルトを蹴飛ばし、一足跳びで数十メートルの距離を一瞬でゼロにしたのだ。

 くわえて、大上段に構えた炎の剣が猛る。

 一層火力を増した剣はアキホの腕の描く綺麗な弧をなぞり、

「消えろぉッ!!」

『ぐがががががあぁ!!』

 エクストを縦一文字に切り裂いたのだった。

 致命傷を受けたエクストは、そのまま煙となって消え去り、辺りに小さな雪の結晶だけを遺していった。

 その結晶も春の空気に呑まれて水滴と化す。

 辺りからエクストの作り出した冷気も消えていき、白い煙も晴れ、ようやく町の姿が見えるようになっていた。

「……ふぅ」

 だがアキホの心は晴れない。

 周囲を見れば割れたガラスの破片、ひび割れたビル壁とアスファルト、散乱した木の枝や車。まさに戦場の跡だ。

 その中には青白く凍ってしまった犠牲者の姿もある。

「私がもっと早くここに来ていれば……」

 奥歯を噛み、すでに亡くなってしまった人たちを悔やむ。

 自分が不甲斐ないばかりに、またも犠牲者を出してしまった。

 もっと上手くやれば誰も死なせずに済んだかもしれない。そう思うと後悔が渦巻いて吐き気すら覚えてしまう。

 だが、

「おーい!」

「……あ」

 事態が収拾した事を確認した人々がアキホに向かって手を振る。

 そして彼女の周りに大きな人だかりを作ったのだ。

「ありがとう、烏丸さん!」

「いつもテレビで見てます!」

「助けてくれて、本当にありがとう!」

「サインください!」

 口々に感謝の言葉を述べ、涙ながらに彼女の手を握る。

 紛れもなく、アキホが助けた人たち。尊い命。

「お姉ちゃん、ありがとう!」

「……ううん、これが私の使命だから」

 幼い子供にまでお礼を言われ、アキホの心にポッと暖かいものが灯る。

 後悔は尽きない。だが、それでやめてしまおうとは絶対に思わない。

 まだまだ自分に出来る事がある。それを胸に、これからも精進を続けようと誓うのだ。


****


「ご大層な事だ」

 そんな様子を遠巻きに見ていたショウタ。

 やんややんやと騒ぎ立てる群衆には混じらず、そのまま踵を返す。

「イグナイテッドなんか……」

 そして自分の手を強く握りこむのだ。

 自分では何も出来なかった。

 無力な一般人では、エクストを倒す事はできない。それどころか押し留める事すらできないのだ。

 ショウタが頑張って考えた策ですら、エクストの前では児戯。

 アキホが来てくれなければバスの乗客は全滅、それだけでなく周りの建物にいた人間すらもエクストに氷漬けにされていただろう。

 イグナイテッドがいなければ、ショウタの命もなかった。

 それがたまらなく悔しい。

「くそぉッ!!」

 苛立ちを隠しもせず、近くにあった車のボンネットを強か殴った。

 返ってくる痛みが、悔しさを一層苦々しくさせた。

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