1-4

 入学式。全校生徒が体育館に集まり、紅白の幕が壁にかけられた中で厳かに進められる。

 驚く事に入学生代表にアキホが選ばれており、彼女は舞台に上がって挨拶を述べていた。

 いつもテレビに映っている人間はこういった場にも慣れているようで、至極堂々とした態度で書面を読み上げ、教員や学生の感嘆と共に拍手喝采を受けていた。

 アキホもそれに笑顔で応えて手を振り、全く噛むことなく恭しい挨拶を読み上げる様などは、どこぞで道に迷い、猫と一緒にたそがれていた少女とは思えないほどであった。

「代表に選ばれておいて遅刻しそうになってたのかよ……」

 拍手の中、舞台を降りようとしているアキホを眺めながら、ショウタはそんな事を呟いた。


 教室へ戻ってきたショウタたち。

 担任教師がやってくる前のわずかな休み時間で、クラスメイトは談笑に興じていた。

 あっという間に人気者になったアキホの周りには多くのクラスメイトが集まっており、会話に花を咲かせている。

「烏丸さん、すごいね! あんなに堂々と挨拶しちゃって!」

「私だったら絶対緊張しちゃうよー!」

「俺ファンになるわー。あんな笑顔見せられたらファンになるわー」

「イグナイテッドって怖い人ばっかりかと思ったけど、そうでもないんだなー」

 褒めちぎるクラスメイトの賛辞を、アキホはこれまた笑顔で受け答えする。

「そんな事ないよ。私は単に場慣れしてるだけ。みんなだって私と同じような状況になれば舞台度胸ぐらい付くって」

「いやいや、そもそも烏丸さんみたいな状況になれないから!」

「イグナイテッドってすごいよねー。なんか、私たちとは違うって感じ」

「はは、そうでもないよ。見ての通り、私はか弱い乙女だしぃ?」

「か弱い乙女はバケモノと戦ったりしないよ」

 ここで一笑い。

 教室の一角がワッと明るくなったのを間近で見ていて、ショウタは顔を歪める。

 何が『すごいよ』だ、何が『ファンになる』だ。相手はイグナイテッドだぞ。

 人間とは一線を画す能力を持った、生きる凶器だ。

 そんなヤツを持て囃す神経がわからん。

 このまま隣の席にいては大声で喚き散らしてしまいそうだったので、ショウタは席を立ち、教室を出て行った。


 やって来たのは一階にあった自販機。

 適度に人がいる昇降口前の購買に二台置いてあるうちの一つに小銭をいれ、適当にボタンを押す。

 ガコン、と音を立てて落っこちてきたパックジュースを手に取り、一つため息をついた。

 胸に渦巻くモヤモヤした暗雲。

 烏丸アキホの事を考えると、胃がムカムカしてたまらなくなる。

 あの女は入学直後から眩しい存在になっていた。

 元々テレビで有名だった彼女は入学式での挨拶を経て、クラスのアイドルへと着実に階段を上っている。ショウタにはそれが嫌で嫌で仕方なかったのだ。

 母の仇であるイグナイテッドがアイドル扱い? ふざけるな。そう叫んでやりたかった。

「今後一年間もアイツと同じクラス……? 不登校になるぞ」

 これからの学校生活を思うと本当に登校拒否したくなる気持ちであった。

「まだ時間がありそうだな」

 腕時計を確認すると休み時間には余裕がある。このまま教室に戻るとまた胃がやられそうなので、適当に暇を潰すためにその辺を見て回る事にした。

 アテもなく廊下を歩いていると、そこかしこから声が聞こえてくる。

「あの一年、可愛かったな!」

「代表挨拶した娘? 確かに」

「一年のクセに目立って……いやでも、それだけのモノはあったわ」

「アンタ、なに目線よ……」

「あの一年を俺のオンナにしよう」

「よっ! 樋口さんさすがっす!」

 他学年の生徒ですら噂話に持ち上げている。

 これはもう、この学校にはどこにも心休まる場所などなさそうであった。

 喧騒を避けて静かな場所へと向かっていると、先ほど入学式が行われていた体育館へとたどり着く。

 体育館では後片付けが粗方終わり、椅子がしまわれ、紅白幕も取り払われた本来の姿の体育館があった。

 やっと落ち着けそうな静けさを手に入れたショウタはパックジュースにストローを刺した。

「おや、君は鏡だな」

「あ?」

 急に声をかけられそちらに目を向ける。

 校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下の窓の外からこちらに顔を出している一人の男性がいた。

「……あなたは?」

「俺は君のクラスの担任、芦野だ」

「芦野先生……こんな所でなにやってるんですか。そろそろホームルームでしょ」

「ああ、そうだよ。だからそれまで一服」

 そう言って芦野は右手を差し出す。その指に挟まっていたのはタバコである。

「学校で吸って良いんですか」

「良くはない。だがバレなければ怒られない。携帯灰皿だって持ってるし」

「そういう問題じゃ……」

「ゆるくいこーぜ、少年」

 カラッカラと笑う男、芦野。些か教師としての威厳が感じられないが、こんなヤツが担任で大丈夫なのだろうか。

「時に鏡少年、君は烏丸アキホについてどう思うね?」

 突拍子もない質問であったが、ここに来てまで烏丸アキホの名前を聞かされ、ショウタは小さく舌打ちする。

「脈絡もなくどう思う、と言われても、答えかねます」

「はっはっは、いやはや政治家の息子らしい答えだ。じゃあもう少し踏み込もう。彼女と仲良く出来そうかね?」

「無理でしょう」

 質問に対して、ショウタはバッサリと言い放つ。

「俺が鏡義正の息子だと知っているなら、答えは予測できたんじゃないですか?」

「まぁねぇ。ふむふむ、参考になったよ、ありがとう」

 タバコを一つふかし、携帯灰皿に突っ込んだ後、芦野は手をヒラヒラと振りながらどこかへ行ってしまう。

 終始続いた突拍子のなさに呆気に取られ、ショウタはその姿を見送るしかなかった。

「ってか、あれが担任って事は、あのふざけた席順を決めたのもアイツか……」

 恨み言の一つでも言ってやればよかった、と後悔した。


 チャイムの鳴る寸前ぐらいに教室に戻ると、まだアキホの周りに人だかりが出来ていた。

 しかもその規模はショウタが出て行く前よりも大きくなっており、ショウタの席が埋まるほどになっていた。

 歩いて近付いてもその人だかりは解散する事を知らず、時にワッと笑い声が聞こえたりして、酷く楽しそうである。

 それが癪に障ったのか、ショウタは手近にあった椅子を乱暴に蹴飛ばす。

 ガタッと大きな音がして机ごと大きくゆれた。

 その音に水を打たれたように、アキホの周りに集まっていた連中が静まる。

「邪魔だ、座れねぇだろ」

 そんな連中に空気を読まぬ一言を挟み、ショウタは人垣を強引に割る。

 自分の席までの道を確保したショウタは一直線に椅子に向かい、そこにドッカリと座った。

 周りを嫌な空気が漂い始めるが、全く気にした様子もない。実際気にしてはいない。

 いつもの事である。

 そうこうしているうちに教室のスピーカーからチャイムが聞こえ、クラスメイトがゾロゾロと自分の席へと帰っていった。

 その時小声で

「チッ、なんだよ」

「態度悪ぃな……」

「怖ぁい……」

 などと聞こえてきたが、それもまた馬耳東風の如くである。

 そんな様子すらも笑みを浮かべながら見ていたアキホに気付く。

「……なんだよ」

「別に。君の人となりが把握できてきたかなって思って」

「わかったような口きいてるんじゃねぇ」

 アキホの言葉をぶっきらぼうに撥ねつけつつ、ショウタは不機嫌そうに顔を歪めた。


 その後、間もなく芦野が教室にやってきてホームルームが始まり、滞りなく終わる。

 あんな適当そうな芦野が意外と司会進行が上手く、騒ぎ出しそうな浮かれた高校生どもを見事にまとめ、スラスラとホームルームをこなしてしまったのだ。

「さて、粗方説明する事も終わったし、お待ちかねの自己紹介タイムでも入りますか」

 そして、こんな事を言うのだ。

 確かに入学式、新入生が教室でクラスのみんなに顔と名前とキャラを覚えてもらうために自己紹介をするのは通過儀礼のようなものである。

 だが、ショウタの脳裏には今朝の言葉が思い出される。

『イグナイテッドに名乗る名前はない』

 確かにアキホにそう断言した手前、これはかなりバツが悪い。

 直接見ようとは思わないが、隣では気味の悪い笑みがこちらを向いている気がする。

「おやおや、イグナイテッドに名乗る名前のない人から名前を聞けるのかぁ。これはラッキーだなぁ」

「……うるさい、黙れ」

「くふふ、つっけんどんにしていても、この場で名乗らないわけにはいかないでしょ。嫌よ嫌よと言いつつも、結局は私に名乗ってしまう……。ちょっとしたツンデレみたいなものよね」

「そんなわけないだろ。ってか、アンタだってあの座席表を見たんだろ? だったら俺の名前ぐらい見ているはずだ」

 ショウタは周りの名前など全く気にかけていなかったが、普通ならば席の前後左右の人間くらい把握するはずだ。アキホも当然そうしているだろう。

「でも本人から名前を聞かないと、やっぱり気持ち悪いじゃん?」

「……チッ、具合が悪いから保健室にでも行くか」

「そうは問屋が卸さんよ、君ぃ。先生! 私の隣にいる男子が、とても自己紹介したそうにしています! 是非、彼を一番槍にしてあげてください!」

「はぁ!?」

「おぉ、そうか。じゃあ鏡から順番に……って微妙な席に座ってるな、お前」

「アンタが決めたんだろうがッ!」

「まぁ順番は適当で良いか。とりあえず、鏡、起立」

 芦野に指名され、ショウタは逃げ場を失う。

 隣ではアキホがニヤニヤと笑い続けているし、イライラが最高潮に達するところであった。

 だがここはその苛立ちを何とか飲み込み、一つ長い深呼吸をして立ち上がる。

「鏡ショウタ。光陵中学出身。イグナイテッドが死ぬほど嫌いです」

 それだけ言ってストンと椅子に座る。

 端的かつ刺々しい自己紹介とも呼べない紹介に、周りのクラスメイトは困惑してしまう。ここは拍手をするべきか否か、と。

「はい、拍手~」

 そこに芦野がパチパチと適当に手を叩きながら締めのセリフを付け加えた。これで何とか体裁は保たれたであろう。

「じゃあ次は……」

「はい! 彼を一番槍に推した手前、自分が二番槍を持たないのは不義理かと思います!」

「そうか、じゃあ烏丸」

 勢いよく立ち上がったアキホはクラス中に向けて明るい笑顔を向ける。

「烏丸アキホ、巌谷中学出身です。趣味は身体を動かす事、あとニュースに出ることです!」

 小さく笑いを取りつつ、アキホはショウタの前に立つ。

 何事か、と思いショウタを含めたクラスメイト全員が彼女に注目するが、アキホは動じる素振りもなく、キッパリと言い放つのだ。

「イグナイテッドが嫌いな人は、嫌いじゃありませんよ」

「……俺はアンタが他のイグナイテッドに輪をかけて嫌いだ」

 宣戦布告のような宣言に対し、ショウタも一歩も引かなかった。

「はい、拍手~。烏丸も席につきなさい」

 芦野のセリフと級友の拍手と共に奇妙な自己紹介は終わりを告げ、そこからはいつもの見慣れた自己紹介が進んでいくのだった。

 その時間中、アキホは片時も笑みを崩さなかったが、ショウタは自己紹介が始まる前よりも険しい顔で不貞腐れていた。


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