1-2

 春の空の下、とは言えまだ肌寒い街路では、緑の芽吹きも遠いように感じられる。

 日陰には雪が残り、まだまだコートも手放せない。

 道にはまばらに学生の姿が見えて、ショウタはその人影を見ながら少し安堵する。

(初登校ってのはやっぱり緊張するな)

 三年ぶりの『初登校』と言う状況。通学路を間違えていないだろうか、忘れ物をしていないだろうか、登校時間を間違えていないだろうか、そういった不安が胸の中に渦巻くのは誰だって変わらない。

 ショウタもそんな不安を覚えていたのだが、同じような恰好をした面子を見て安心する。

 チラホラと見える集団はショウタと同じく、学校指定の制服、コート、カバンを持って一方向へと歩いている。彼ら、彼女らについていけば目的地である学校にたどり着くはずだ。

 しかし、それにしても、と思う。

(二人以上で歩いているのが多いな)

 道を歩いている連中を見ると、仲良さそうに談笑しながら歩いているグループを幾つも見かける。

 二人組みであったり、三人組であったり、それ以上であったり。

 その中にショウタと同じく一年生も混じっているはずだが、そのグループ率の高さはなんなのだろう。

 恐らく中学からの付き合いで一緒に登校しているのだろうが……残念かなショウタにはそういった友人がいない。

 特殊な経歴、特殊な環境……当然のようにショウタからは人が離れていった。

(まぁ、それが不幸だとは思わないけど……)

 ショウタの過去について、または現在の環境について、変に気を使われるのも嫌だし、根掘り葉掘り訊かれるのはもっと嫌だ。そんな時に一人と言う状況は物凄く心地が良いのだ。

 強がりもあるかもしれないが、ある程度は本心から一人を望んでいたのである。

 故に、であろうか。

 ショウタは少し、道を外れて路地に入った。


 ヒンヤリ、と言うレベルではなく冷える路地。

 建物の作り出す日陰に支配された狭い道は春に相応しくない程の寒風が吹きぬけ、コートを貫いてショウタの身体を冷やす。

 しかし、人通りは少ない。

「こっちからでもいけるな」

 スマートフォンで地図を確認しつつ、ショウタは目的地の方向を見据える。

 かなり遠回りにはなるが、人通りの少ない道を歩けるのなら、ショウタも気持ちが楽であった。もし、通学途中に中学の顔見知りなどに出くわしたりなどしたら、朝からバツの悪い空気を吸う事になる。

 それを避けるために表通りを避けて入り組んだ路地を縫い、ちょっとした冒険のような気持ちで道を進む。

 道を外れているのではないか、と言う錯覚を覚えながらも、スマホの地図を頼りに歩いていると、宝の地図と言って適当な紙に落書きをしたお手製地図を片手に町を練り歩いた幼少期を思い出す。

 自分にも過去を懐かしむような趣があったか、と口元に笑みを乗せてしまう。

 少し、楽しくなってきた。

 あの家垣の上で日向ぼっこをしている猫なんて、これほど心を和やかにさせてくれる風景があろうか、と思わせてくれるほどで――

「やぁやぁ、そこ行く君」

「……ん?」

 猫の横に並んで、見慣れぬ顔が並んでいる。

 家垣の上に顎を乗せ、家の敷地側からこちらを覗いているのは、カラッと明るい笑顔を湛えた少女の顔であった。

「うお!? な、なんだ、アンタ!?」

「変なところからゴメンね。ちょっと教えて欲しい事があるんだけど」

 少女は人懐こい笑みを崩さず、人垣に顎を乗せたままでショウタに声をかける。

「天戸学園とはどっちかな?」

「天戸学園……」

 聞き覚えがありすぎる地名であった。

 それはショウタがこれから向かう学校の名前だ。

 と言うことは、彼女も関係者であろうか? 猫の横に並んでいるのに?

 訝る視線を受け、少女は少し困ったように笑みを曇らせる。

「いや、わかってるのよ。今、私は変な状況だ、と。確かに猫の横に並んでたそがれているような人間が、学校の位置を知って何をしようか、と疑う気持ちも重々わかるわ」

「だったらもっと状況を考えたらどうだ……」

 引き気味で言い返してみるも、少女はやはり笑う。

「そうなんだけど、猫の気持ちになれば学校の位置もわかるかと思ったのよ。我ながら名案だと思ったんだけどなぁ」

「どうしてそうなる。猫の気持ちになっても学校にたどり着けるわけがない」

「ほら、キソウホンノウってヤツ?」

「アンタは学校が家なのかよ」

 やっぱり変なヤツだ、と断ずる。

 ここは係わり合いにならない方が得策だろう、とショウタは少女を無視して歩を進めようと足を出す……が

「あ、そのコート、そのカバン!」

「うっ……」

「君も天戸学園の生徒なのか! こりゃー僥倖だわ!」

 バレた。

 出来ればバレずにこのままやり過ごしたい所だったが、ここは止むを得ない。

「すまん、アンタは一人で迷子になってくれ! 俺は一人で登校したいんだ!」

「あっ、逃げた!」

 思い切り地面を蹴り、全力で走り出す。

 こう見えてショウタは体育の成績は悪くない。あの親の手前、成績が悪いと何かとバツが悪いので全体的に成績は上位を維持しているつもりだが、体育はそんな建前ではなく個人的に好きだったのだ。

 だから、走るのも得意だった。少し自信があると言っても良い。

 女子の脚で追いつかれるようなヘマはしないつもりだった。

 猫と少女に出会った場所から遠く離れ、ほぼ全力で走り抜けた道を振り返る。

「はぁ、はぁ……すまん、見知らぬ女子よ、せめて安らかに眠れ……」

 息を落ち着けながら、ショウタは手を合わせる。

 一人の少女を見捨ててしまった呵責は、あと三十分くらいは忘れないでおこう。

 ……と思ったのだが。

「逃げる事ないじゃないか」

「うわぁ!?」

 急に背後から声をかけられ、自分でも驚くほどに声を上げる。

 背後を見るとそこには先ほどの少女がいた。

「確かに私は変に思われる状況だったかもしれないけれど、逃げられると流石に傷つくなぁ」

「お、おま、いつ、どうやってここに!?」

「どうやってって……単純に君を追いかけてきたんだけど」

 バカな、と喉が鳴る。

 ここまでショウタは、柄に似合わないほどの全力疾走を見せた。

 幾ら動きづらい制服と言う出で立ちだったとしても、女子に追いつかれるような速さで走ってはいない。

 しかし、この少女は息も切らさずにショウタの背後を取っていた。

「き、貴様……さては陸上部!?」

「いや、陸上部どころか私はどの部活に所属していないけど」

「じゃあ、趣味ランニング!」

「走るのを趣味にするような感性は持ってないなぁ。悪くないと思うけどね」

「親がアスリート!」

「親は……まぁ普通だった」

「……まさか、本当に猫」

「んなわけあるか」

 ショウタが思い浮かぶありえる可能性を全て挙げてみたが、どれも外れてしまった。

「だったらなんなんだ! 単に脚が速いって言うのか!」

「いや、うーん……私は特別だからさ」

 そう言って頬をかく少女。

 その笑みに、ショウタは記憶がフラッシュバックする。

 それは今朝のニュース。インタビューを受けていた少女の姿が画面に映っていたのだ。

「あ……アンタ、まさか……」

「ん?」

「イグナイテッド……」

 ジリ、と足を引く。

 無意識の内に身体が強張り、表情が険しくなってしまう。

 豹変したショウタを見て、少女も驚いたようであった。

「ど、どうしたの、急に」

「アンタ、イグナイテッドだな」

「えっと……そう。私は烏丸アキホ。イグナイテッドだよ」

 やはりだ。

 今朝のニュースに出ていた、最近話題のイグナイテッド、烏丸アキホ。

 イグナイテッドの中でも若手で、実力があり、また人前でも物怖じせず、人当たりの良い性格で、イグナイテッドの中ではかなり珍しくメディアにガンガン出てくるヤツだ。

「あー……もしかして、イグナイテッド嫌いな側?」

「その通りだよ。だから、道案内なら他を当たってくれ」

 ショウタも包み隠さずにその敵意を明言する。

 相手が憎むべき相手ならば、容赦する必要もない。

 唾でも吐き捨ててやりたい気持ちだったが、それをグッとこらえて踵を返す。

 イグナイテッドと一緒にいるぐらいなら、表通りに出て同じ学生連中と登校した方がまだマシだ、と思ったのだ。

 だが、グッと手をつかまれる。

「待って!」

「うぉ!?」

 思った以上の力で引き止められ、ショウタは大きく身体を傾かせた。

「ホント、マジで困ってるの! 今日遅刻したらめっちゃ恰好悪いじゃん! お願いだから道を教えてよぉ!」

「うるせぇ、俺はイグナイテッドが嫌いなんだ! アンタがどうなろうと知った事か! ってかこれだけ拒否ってるのに、よく堂々と再要求できるな!」

「ホントに困ってるんだって! こんな可愛い女の子が困ってるのに放っておくわけ!?」

「自分で自分の事を可愛いとか言ってる勘違いヤロウにかける情などない!」

「どうしても私を見捨てるって言うなら、ここで大声を上げるから! 君は登校初日から女子生徒に襲いかかる変態になるぞ!」

「おぉおぉやってみろ! そうなったら痴漢程度に手篭めにされる情けないイグナイテッドだって触れ回ってやるよ!」

「うぬぬぬ……」

 まったく引かないショウタに対して、アキホは口ごもって唸り声を上げる。

 どうやら手札が切れたらしい。

 それを見て、ショウタは彼女の腕を振りほどき、指を差す。

「学校は向こうの方角だ。因みに、そこの路地を抜ければ表通りに出て、学生が多くいるだろう。そいつらについて行けば学校には着くはずだ」

「え? ……おや? 私の可愛さに絆されたか?」

「んなわけねぇだろ。これ以上付きまとわれるとストレスで胃が潰れそうだから、他のヤツらに任せようってだけだ。これ以上は誰か別のヤツを捕まえろ」

 表通りに出れば、アキホほどの有名人ならば誰かが擦り寄ってくるだろう。なにせニュースで連日報道される有名イグナイテッドである。ミーハーな人間ならばホイホイ案内してくれるだろう。アキホの方も見知らぬ人間に声をかけるのに戸惑うような人間ではあるまい。実際、ショウタには簡単に声をかけてきた。

 表通りまでの道を示せば、後はアキホが自分でどうにか出来るはずである。

 それだけ告げればもう良いだろう、とばかりにショウタはため息をついて、今度こそ一人で歩き出す。

「あ、待って」

「いい加減にしろよ、この……」

「道案内じゃなくて、君の名前、聞いてなかったと思って」

「あ?」

 確かに、アキホは自分で名乗ったが、ショウタは自分の名前を明かしていない。

 ここで名乗らないのは不義理であろう、とは思ったが、しかし。

「イグナイテッドに教えるような名前はない」

 思い切り睨みつけて、そう吐き捨てた。

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