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 朝の日差しに瞼を刺され、鏡ショウタが目を覚ます。

「夢……か」

 カーテン越しにでも朝日の強さがわかる、四月のある日。

 今日は登校日。新学期の始まる一日であった。

「準備しないと」

 時計を確かめながら目覚し機能が働く前に止め、ショウタは着替えを始める。

 新しい制服。新しいカバン、新しい教材。変わらぬ気持ち。

 清々しい春の朝であったが、ショウタの気持ちは暗く沈んだままであった。

 あの夢の所為でもあろう。

 幼い日の記憶、いやトラウマとも言える。

 目の前で最愛の母親を亡くし、どうしようもない現実の波に押し流されるきっかけとなったあの事件。

 しかし、アレだけの大破壊事件でありながら、今のご時勢には世界各地で散見される程度の出来事ですらあった。

 人類の脅威エクスティングイッシャー、略してエクスト。

 それに対抗しうる唯一の手段を持つ超人、イグナイテッド。

 その二つの存在が世界に現れ始めてからは、半年に一、二度は起こる規模の事件である。

 新聞やニュース番組でも殊更大きく取り上げられなくなっていた。

 だが、ショウタが忘れる事はない。

 自分の人生を変えるきっかけとなった、あの事件、あの日の事を。

 それを思い出すたびに、胸の奥にどす黒い炎が燃え猛る。

 イグナイテッドなど、クソくらえ、と。

「ショウタさーん? 起きてますかぁ?」

 その時、ショウタの部屋のドアがノックされ、扉の向こうから女性の声が聞こえる。

 酷い顔をしていた、と自覚したショウタは何度か手で顔を揉み解し、すぐに彼女に答える。

「起きてます。すぐに居間に行きます」

「はぁい。朝ごはん、出来てますからね」

 パタパタとスリッパの足音が遠くなり、彼女が戻っていったのがわかる。

 彼女にはあんな顔見せられない、と思いながら、ショウタはカバンを引っ掴んで部屋を出た。


 居間。ニュースを垂れ流すテレビ、食事が並べられたテーブル。

 質素な部屋に飾り気のある家具もない。だが、それがどこか落ち着く感じがした。

「おはようございます、ショウタさん。目覚ましの音が聞こえなかったから、心配しちゃいました」

「橘田沼さんに心配されなくても、高校生となった一日目から遅刻なんて嫌ですから、しっかり起きますよ」

「そうですかぁ? それなら良かった」

 橘田沼りこ。ショウタの身の回りの世話をしてくれている家政婦……というと彼女は怒るのでメイドと呼ぼう。

 メイドとは言ってもそれらしいメイドドレスなんかを着ているわけでもなく、極々普通の恰好をしている。彼女曰く『このご時世、あれを着るとコスプレっぽい感じがしてイヤ』なのだそうだ。

 りこが作ってくれた朝食が並べられたちゃぶ台の前に座る。

 今日の朝食は純和風。白ご飯に味噌汁に、おひたしに焼き魚。漂う香りが食欲をそそる。

「いただきます」

「どうぞぉ」

 朝のなんでもない風景だが、これが血の繋がらない男女が一つ屋根の下で、と付け加えられると途端に何か思うところがあるような気がしてくる。

 家政婦とは言え、りこは二十そこそこの年頃。ショウタも十六になろうかと言う頃合いである。そんな若い二人が同じ家で暮らしていて――これが面白いほどに何もない。

 ショウタはりこに対してとても感謝している。生活力のない男子高校生がこれまで生きてこられたのは半分くらい彼女のお陰だとすら思っている。そんな恩義を感じているりこに対して粗相を働こうなどとは露も思わないのだ。

 対してりこは……ショウタには彼女の考えはよくわからなかった。

 いつもニコニコして家事を片付けてくれるりこの考えを読むのは難しい。

「あ、ショウタさん。お養父さんが出てますよ」

「……あぁ、そうですか」

 テレビを指差すりこに対して、ショウタはテレビ画面に一瞥もくれずに味噌汁を啜る。うん、今日も美味しい。

 テレビに映っていたのは現職の政治家。市議会の議員をしている男であった。

 名前を鏡義正と言う。

 血の繋がりはないが、現在、ショウタの父親となっている男であった。

 唯一の家族であった母を亡くし、その身元を引き受けてくれたのが義正である。

 何の縁もゆかりもないショウタを、事件に巻き込まれて可哀想だから、と言う理由だけで引き取ってくれた良き養父に、ショウタは冷めた感情しか抱けなかったのだ。

 何故なら、その養子縁組も義正の打算でしかなかったからだ。

 今、全世界で出現しているエクストとイグナイテッド。無差別に人を襲うエクストは当然ながら脅威と見なされているが、イグナイテッドもまた世論の槍玉に挙げられる。

 イグナイテッドは見かけこそ普通の人間と同じであるが、通常の人間と比べて異常に身体能力が高く、常識では考えられない特異な能力を持ち、エクストと肩を並べるほどに異常な存在であった。

 故に、一般人とイグナイテッドの間には度々軋轢が生じていたのだ。

 つい数年前まではエクストとの戦いの際、周りを考慮せずに能力をぶっ放すイグナイテッドが多かったのである。

 その所為でショウタの母親のような不幸な犠牲者が増える事もある。

 多くはイグナイテッドも望まない事故である。だが、マスコミはそこを痛ましく取り上げるのだ。ショウタの元にだって何社も新聞社やテレビ局が訪れた事があった。

 イグナイテッドは危険である。そう声高に叫ぶ人間もいる。反イグナイテッドと呼ばれるスタンスすらあるぐらいだ。

 義正はそんな反イグナイテッド派の人間の気持ちを煽って票を取り、現在の議員の座を手に入れたのである。

 その一環がショウタの養子の件である。

 不幸にもイグナイテッドの事件に巻き込まれ、天涯孤独となった可哀想な少年。それを養子として受け入れ、彼を一人前の大人に育て上げる。涙をにじませながらテレビの前で大見得を切った義正は、その言葉の通りにショウタを養子にした。

 だが、それだけである。

 養子の件やその他の反イグナイテッドの行動を受けて獲得した支持で議員の椅子を手に入れてからは、ショウタの事は知らぬ存ぜぬの如くである。

 現在、ショウタが暮らしている小さな一軒家を与え、そこにメイドを一人つけて後は勝手に生きろ、と通達されたのだ。

 そんな父親面した他人を、どういう目で見ろというのか。

「ねぇねぇショウタさん。お養父さんのニュース、聞いてあげないんですか?」

「どうせまた反イグナイテッドの連中を煽ってるんでしょう。自分の地位を守りたくて必死なんでしょうね」

「そんなこと言って! ショウタさんが今も生きていられるのはお養父さんのお陰でもあるんですよ!」

「だから、あの人の評判を極力落とさないように、まともに暮らしているじゃないですか」

 養子に引き取った息子が非行に走った! なんて事になれば、義正の評判も危うい。そんなケチが付かないように、ショウタは至極真面目に生活をしていたのだ。

 それが最低限の義理だと思っていたからである。

「お養父さんも反イグナイテッド、ショウタさんも反イグナイテッドなのに、どうしてそんなに反りが合わないんですかね」

「俺もあの人も、合わせる気がないからでしょう」

 こちらに関心のない人間に擦り寄る気もない。

 今までこの調子で上手くやってきたのだ。現状を維持するのが両者にとって幸せなのだ。

「もぅ、頑固なんだから。……あ! お二人の手前悪いですけど、私はあの娘、好きですよ」

「ん?」

 ワントーン上がった調子で声を上げたりこ。

 その声に釣られて、ショウタもテレビを見やる。

 そこに映し出されたのは颯爽とエクストを殲滅する少女の姿であった。

「烏丸アキホさんって言いましたっけ。ショウタさんと同い年のイグナイテッドだそうですよ! カッコイイですよねー! エクストをバッサバッサと切り倒す姿は、現代に蘇った侍そのものです! 近所に住んでるらしいですし、バッタリ出くわさないかなー」

「彼女は女の子ですよ。侍はないんじゃないですか?」

「女サムライ、そういうのも萌えるでしょう!」

「アンタ、メイド服がコスプレでイヤだって言ってた割には、そっちに寛容だよな」

 ダブルスタンダードっぽいりこを呆れた目で見やり、そしてもう一度テレビを見る。

 カラッと笑う少女、アキホはテレビのインタビューに対して朗らかに答えていた。

『私は皆さんの平和を守るのが、この力を得た責任だと考えています。この町に現れるエクストは私が残らず倒しますから、皆さん、安心してくださいね!』

「チッ……イグナイテッドのクセに、どの口が言う」

「こら、舌を鳴らさない」

 毒づいたのに気付かれ、りこのチョップが入った。


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