せんせーのこと大好きだもん
「おぉ……こりゃ凄いな」
「凄い、なんて暢気な感想しか出てこないのね……流石と褒めるべきなのかどうか、悩んでしまうわ」
ちょこっと辛辣なことを言ったのは、当然ながらノクタルシアであった。
飛べない俺を米俵のように担ぎ、ここまで飛んできてくれたノクタルシアである。
サラサラと、彼女の綺麗な黒髪が揺れている。
まるで、夜闇を吸い上げたような黒だな、と思った。
少しだけ髪を梳いてから、もう一度前を見た。
場所は、ユメルミア学園のある第一の空島、その本島から相当に離れたところ。
結界の直ぐ付近にある、小さな群島の一角で、戦闘は起こっていた。
色とりどりの若い妖精達と、
どう頑張って贔屓目に見ても、優勢なのは竜型魔物の方であったが、まあ当然だろうと思う。
竜型は、魔物の中でもランクの高い方だ。
基本的に下級、中級、上級と三段階に分かれる魔物ではあるが、竜型は幼体だろうが、問答無用で中級以上である。
成体にもなれば、最低でも上級だ。弱くない訳がない。
特に鱗が固いんだよな。確か、四階級以下の魔法は無効だろ。
並の魔法使いが奥義として使えるのが五階級だとを考えれば、その破格さが分かるというものだ。
だからこそ……という訳でもないかもしれないが、少なくとも300年前は、その数は酷く少なかった。
いわば希少種とでも言うべき存在であり、出遭ってしまったら、運が悪いと言う他ない程度の魔物。
それが、ざっと百を超える群れを成しているというのが、既に異常事態だった。
これがこの時代の普通なのかと思えば、「凄い」としか言えないのも、仕方がないというものだろう。
これを相手に、ギリギリだとしても耐えていることを、素直に称賛したいくらいだった──そして、これを目の当たりにして、少しの動揺もない生徒会の三人に、少なからず驚きを覚える。
300年前の俺たちでも動揺するレベルだぞ、これは……。
ステラノーツの、「慣れている」という言葉は、真実その通りなようだった。
進歩しているのは魔物だけではないらしい──シャリアの努力の一端が、彼女らを通して見えるようだった。
「一先ず、せんせーはここで待機ね。落ちたりしたら助けられないから、黙って見てて」
「分かってるって。俺もここで死ぬわけにはいかないし、お手並み拝見ってところだな」
「ふふっ、お利口さんにしてるんですよ? イサナくん」
「おい、セレナリオ……」
調子に乗るなよ……と文句を重ねようとしたのだが、ニコッと笑ったセレナリオは、「それでは、行ってきます」と空を蹴った。ふわふわと飛行魔法を使いこなし、先に向かったノクタルシアの隣に並び翔けて行く。
……後で説教だな。先生を揶揄ったらどうなるか分からせてやる、と心に誓う。
「せんせぇ、先生がしちゃダメな顔してるよ~?」
「それはどういう顔なんだよ……てか、お前は行かなくて良いのか? ステラノーツ」
「フィアちゃんは待機。どうしようもなくなった時に、みんなを連れて帰る役割をローテーションしてるんだぁ」
「……なるほど、消極的だな」
「勝つより生きる。そういう時代だからねぇ」
俺の隣にちょこんと座ったまま、ふにゃりとステラノーツはそう語った。
勝つより生きる。それはつまり、勝ち目のない戦いの方が多かったということだ。
そして、それは同時に、死力を尽くさなければならない戦いはなかったということ。
どれだけ戦っても、すぐ次が来る。変わらない戦力が、止めどなくやってくる。
きっと、そういうことなのだろう。
だから、勝利ではなく生存。攻撃より防衛。侵略より維持。
そういう時代なのだ────そういう時代に、させてしまったのだ。
「そう怖い顔しないでってば。それにほら、生徒が生徒らしく、先生に相談しようとしてるんだからさ」
「また相談かよ……何? 俺ってばそんなに頼れる先生に見えてる感じ?」
「まあ、フィアちゃん達は、せんせーのことを語り聞かされて育ってきたからねぇ。迷惑、だった?」
「まさか、おれは先生だぞ? 何でも言え。先生に出来る範囲で、最低限力を貸してやる……そうでなくても、他人の方が相談しやすいってことはあるだろうしな」
何も知らないからこそ、ぶつけられる問いはあるものだ。
何一つ関わっていないからこそ、関わってもらうことはできるものだ。
渦中ではないからこそ見えるものがあるし、他人であるからこそ言えることがある。
事実、ノクタルシアが俺に話を持ち掛けてきたのだって、そういう面があるのは間違いないことだった。
「フィアちゃんはさぁ、どうすれば良いか、分からないんだよねぇ」
「は? おい、人生相談とかいう曖昧なもんは受け付けてないぞ。何故なら責任が持てないからだ」
「せんせーは本当、先生らしくないなあ……そうじゃなくってさ、妖精種についてはルナちゃんから、詳しく聞いたんでしょ?」
「一応、だいたいはな。つっても、大枠としては、ステラノーツから聞いたことと変わらないが」
ノクタルシアとステラノーツ。黒髪と金髪。原種と王族。
それによって二分された妖精種……と簡単に文字にしてみれば、その怠さが少しくらいは分かるというものだろう。
妖精種は君主制だからな。しかも、特別決まった家から生まれた子が王を継いでいくのではなく、基本的に髪色で決まるとかいうアホのシステムのせいで、ちょくちょく問題が起こっている。
いつの時代にも金髪の妖精が生まれるわけがないし、その反対で複数生まれることもある。
黒髪と金髪が混じったやつが生まれたこともあれば、今回みたいに金髪と黒髪が同世代に揃うこともある。
そして、その度に派閥が分かれるのだから、面倒なんてもんじゃないだろう。
特に今回は、ノクタルシアが白から黒に移り変わったというイレギュラーが起こっており、そしてそれまで、王になるべくして扱われ、育てられてきたであろう、ステラノーツがいるのだ。
派閥の割れ方も、これまでの比ではないことくらい、実際に見なくても分かるというものだった。
最初からノクタルシアが黒髪であれば、あるいは、白のままであったのならば、話は早かったろうに──なんてことを思う訳にはいかないが。
少なくともノクタルシアは、ステラノーツに王になって欲しいと望んでいることも加味すれば、個人としての問題と見てもごちゃついていた。
「冗談抜きでさ、フィアちゃんは王様になるんだと思ってた。そういう道を、最初から用意されてたし、それが当然だと思って歩いてた」
「まあ、そうだろうな。妖精ならそれが当たり前だ……ステラノーツは実力も伴ってるし」
「へへ~、頑張ったからね。……そう、頑張ったんだよ。頑張ってきた、だけどこうなったでしょ? フィアちゃんは、どうするのが正解だったのかなあ。どうすれば、全部丸く収まるのかなあ」
「や、無理だろ。どうやっても理想通りにいくことじゃない。一個人でどうこうできる話を超えてるし、妖精種全体の問題なんだから、それは当たり前のことだ」
そう、どちらが王になっても、丸く収まることは有り得ないだろう。
問題そのものが根深く、大きすぎて、何をどうしても、すぐに万事解決することではない。
だから、問題は”決め方”なのだ。
何を以て優劣を定め、どちらを王とするのか。
それが、この先の全てを決定するだろう──今揃っている要素が、全部本当ならば、ではあるが。
サラリと揺れていた黒髪を思い出し、「はぁ」とため息を吐いた。
「俺が王になれりゃ話は早いんだけどな……文句あるやつは全員黙らせられる自信があるし」
「それ、昔カナリアお婆ちゃんにも言ったことでしょ~?」
「何で知ってんだよ……」
「カナリアお婆ちゃん、せんせーとの昔話良くするから……本当に、何度もするんだよねぇ」
「おぉ……お婆ちゃんっぽい」
かつての同級生であり、友人が典型的な老人になっていたことに、何とも言えない感情を覚える。
今日の夕飯はまだかのう、みたいなこと言ってそうで嫌だな……。
「まあ、何だ。だから、どうせ、どうしたって最高の結果にはならないんだから、どうすれば良いのかよりは、どうしたいの方向で考えた方が、健全かもな」
「無責任なことを言うねぇ……」
「無責任じゃなくて、自由と言え、自由と。何せ勝手に期待されてるんだ。それに応えるかどうかくらいは、自分で選んだ方が気持ちいいだろ?」
結局自分で選ばないと最後まで続かないし……なんてことまで口に出してから、昨日もノクタルシアに似たような話をしたなと思う。
何度も同じことを話す……これもうお爺ちゃんじゃん。いやっ、お爺ちゃんなんだけどさぁ!
このままではまた、説教臭いと言われてしまう。それは避けなければと思ったが、ステラノーツの浮かべた笑みを見て、口を閉ざした。
それから少しだけ考えて、言葉を整える。
「少なくとも、心から笑える道を選べ。それがきっと、ステラノーツにとっての最善だ」
「あはは、せんせーのくせに、先生らしいこと言うねぇ」
「いや、俺、先生だし……」
何もおかしなことではなくない? と続けようとして、ひと際大きな爆発が巻き起こった。
無論、ここではなく最前線──ノクタルシアとセレナリオが戦っていたところ。
その中心に、それはいた。
竜型魔物を手繰る、一つの影。人に近い姿でありながら、決定的に違う種族──
「──魔族」
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