第099話 伏兵

 ──安楽女がカージャック中のパトカー。

 長崎造船所付近の通りを抜け、そのまま直進。

 ジャイアント・カンチレバークレーン上の三つ子は、引き続き港湾部を注視しているため、背後の施設の陰を通過する安楽女に気づかない。

 安楽女は、それにほくそ笑む。


「この造船所は建造中の軍艦ば隠すために、目隠しの建物ば並べとってねぇ。令和のいまも、その造りば継続しとっとよ。クレーンの上にお仲間のおるごたっけど、向こうからはこっちは見えんとばいね~。ハハハハッ!」


 パトカーは直進を続け、梁川交差点に差し掛かる。

 ここで警部補が、爆心地公園への最短ルートとなる右折を選択せず、直進。

 浦上川を右手に進む。

 あからさまな時間稼ぎだが、安楽女はあえて物言いなし。


「……刑事さん。いま、わざと遠回りばしたね?」


「……なんのこったよ? 俺ぁこの先のモスバーガーの常連でな。ついそっちへ走っちまっただけさ」


「いや、よかとよかと。わたしがあのソバカス女なら、茂里町交差点に例の巨大ロボットを配して、自分は爆心地で待ち伏せする。あんたはこのまま、陸上競技場方面から爆心地ば目指してくれんね。まずは様子見たい」


「くっ……。バケモンのくせに、ずいぶんと地理に明るいこったな!」


「こん上半身の持ち主が、長崎で外回りの仕事ばしとってねぇ。地理情報ば全部くれとるとよ。だーけん次の交差点は右折。まっすぐTSUTAYA向かったら、即首ばねるけんね?」


「地理と歴史に詳しいんだったら、俺らの世代にゃ遊INGゆうイングと言いやがれっ! くそったれ!」


 被爆校舎が現存する、長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)。

 被爆の証言者たるその学び舎へバックドアを向けて、パトカーが右折。

 人類史上二発目の原子爆弾が投下された地点へ、あとわずかに迫った。

 後部座席では、シーが焦れる──。


(あちしも軍人の端くれ。この状況、なんとかしたいでし。刑事ちんの拳銃を奪って、車の上へ発砲……。でしが恐らく拳銃はホルスターに固定されてるでしし、万一奪えても、この世界の銃は扱いがわからんでし。それに……運良く撃てても、この警察車両の装甲が厚ければ、車内に跳弾……。くうううっ! 上にいる奴の頭の位置、この異眼でおおよそ掴めてるんでしがっ!)


 再び萌え袖越しの左掌で、車内の天井をさするシー。

 その掌が、安楽女の眉間と一直線に繋がった瞬間、シーに激しい痺れが生じた。

 左掌の中心部が焼けるように熱を帯び、そこから安楽女の眉間へ向けて、衝撃波が走る──。


 ──バシュッ!


 パトカーの屋根を貫き、真上に伸びる衝撃波。

 安楽女は、己の頭部を破壊しかねないそれを、首を大きくのけ反らせて、すんででかわした。


「ぬうっ……!?」


「い、いまのは……なんでしかっ!?」


「いまの衝撃波は……念動力。まさか…………百々目鬼ねっ!?」


「百々目鬼ちんっ!?」


 シーはとっさに、自身の左掌を見る。

 その中心には、シーが潰さない判断を下した、百々目鬼の最後の瞳があった。

 百々目鬼消滅間際の、シーとの握手。

 その際百々目鬼は、己の瘴気をシーの左袖へと黒く染み込ませた。

 消滅寸前だった百々目鬼は、同じく異眼の持ち主であるシーへと、己の最後の瞳をそっと移していた。

 生き延びるためではなく、心が通じ合った異眼の友達と、終生離れないために。

 六日見狐が自身を五体討たせて下僕獣の括りから逃れたように、九十九の瞳を失った百々目鬼もまた、山田右衛門作の妖術画の縛りから解き放たれていた──。


「百々目鬼ちん……。生きていてくれたでしか……」


 自身の左掌にある眼球を、気味悪がることなく、愛し気に見つめるシー。

 百々目鬼もまた、下弦の瞳でにっこりと笑んで見せる。

 しかしすぐにその目つきを、険しいものへと変えた。


「……わかってるでし! 百々目鬼ちんの力、ありがたく使わせてもらうでしっ!」


 ──バシュッ!


 念動力による衝撃波、二撃目。

 安楽女は勘で顔を傾けてかわすも、悪喰の胃酸で溶けかかっていた左耳は、それで完全に消し飛んだ。

 後部座席の騒乱をバックミラーで見た警部補が、身を屈めて車体を左へ急転回。

 一か八か、安楽女の振り落としに出る──。


 ──キキキイイイィッ!


「ちいっ……! 百々目鬼とは、厄介な伏兵ばいっ! んっ……!?」


 ぐるっと回る安楽女の視界に入ったもの。

 それは長崎市営陸上競技場の陸上トラック内に集まる、大勢の市民の姿。

 自家用車を持たず、避難に動いた公共交通機関にも乗り損ねた市民たち。

 広い空間で、身を寄せ合って救助を待つ。


「ハハハハッ、ラッキー♥ 爆心地そばで、市民の虐殺。『物言う神』顕現の、よか糧になるやろうねぇ!」


 パトカーのルーフから安楽女が飛び降り、市民の塊へと向かう。

 異形の、それも全身が溶けかかり、腕も脚も多く失った生物の急接近に、市民から悲鳴が上がった。


 ──きゃああぁああぁああっ!


「千羽……あと少し、頑張らんねっ! 絶対……絶対っ『物言う神』の顕現ば、見せてやっけんね! おまえは、もう興味なかって言うとったけど……。おまえば弾き出そうとしたこの世界の、終わりの始まりば……せめて見せてやっけん!」


 安楽女が大きく開口し、小グモ千羽を包む繭を咥える。

 そして、クモの子を散らすように逃げる市民の、一番近い背中を追う。

 慌ててパトカーを停めた警部補は、拳銃を抜いて下車。

 百々目鬼の瞳を宿した左手を掲げたシーが、それに続く。

 しかし群衆へと飛び込んでいく安楽女を見て、二人は躊躇──。


「いかんっ! もし外したら、市民に当たるっ! 俺にそこまでの射撃の腕は……ねえっ!」


「同じくでしっ! 百々目鬼ちんの目で、無辜の民間人を殺めたくないでしっ!」


 二人のフリーズを振り返り見て、安楽女は残る右目の下瞼を歪めて笑んだ──。


「そうそう! 人間こういう状況じゃ、まず責任逃れのけつばい! なんだかんだ理由ばつけて、自分に責任の来んようにして、大勢を見殺しっ! なーに、落ち込まんでよかと! そいが小市民の習性! 正常性バイアスっていう名のクソ思考っ!」


 喜々として、群衆へと飛び込んでいく安楽女。

 それでもシーと警部補は駆け、確実に仕留めんと安楽女の背との距離を詰める。

 そのとき──。


 ──ガーッ…………ゴトッ……ゴトッ……ゴトンッ!


 市営陸上競技場に沿って延びる、JR九州の高架線路。

 JR長崎駅方面へと緩やかな速度で走る、白い車体の特急かもめ。

 その昇降ドアから、一陣の青白い閃光が走った──。


 ──ザシュッ!


「なっ……!?」


 特急列車から直線の跳躍で飛び出し、安楽女へと向かう一人の少女。

 その手に握られた長剣が大きく振られ、安楽女の体を上下に分断。

 阿比留千羽の肉体を有する上半身と、大グモの体を持つ下半身を、斬り離す。

 あまりの斬れ味に、刃が安楽女の肉体を通過したあとも、上下は繋がったまま。


「ぐっ…………ぎゃああぁああぁああっ!」


 安楽女の叫びがきっかけとなり、上半身と下半身が分かった。

 どちらもが俯せで地に落ちる。

 はやてのごとく現れた、紫色の螺旋サイドテールをバネのように揺らす少女。

 長剣を一振りして構え直し、安楽女の上半身を見下して名乗り──。


「陸軍戦姫團歩兵隊、シャガーノ・モーブル! 遅まきながら推参っ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る