顕現

第100話 原爆救援列車

 ──長崎市営陸上競技場。

 原爆落下中心地の目と鼻の先に造られた、市民の憩いの運動場。

 しかしここは原爆投下直後はもちろん、終戦後も身元不明の原爆犠牲者の遺体が、無数に横たわり続けた地。

 令和四年初夏のこの地で、無辜の市民の虐殺を企てた下僕獣・安楽女。

 その邪悪な振る舞いは、異世界の歩兵、シャガーノ・モーブルの一太刀にて、破断された──。


「……フン。このようなボロボロのザコ蟲、なんの戦果にもならないわ。敵の本隊はどこですっ!?」


 見るからに体力を余らせているといった様子のシャガーノが、四肢をピンと伸ばして気炎を上げた。

 同胞であるシーがトテテテ……とそばへ歩み寄って、声掛け。


「あー……。いま倒したこれが、敵の実質的な親玉でしな」


「あっ……これは研究團のシー様……って、このボロ雑巾のような蟲が、親玉……敵将ですかっ!?」


「でし。やる気満々のところ悪いでしが、これにて終戦でし。ところで……貴女きじょの名前、なんでしたっけ?」


「陸軍戦姫團歩兵隊、シャガーノ・モーブルですっ! シー様への自己紹介、これで十回は超えてると思うんですけどっ!?」


「いやはや、すまんでし。あちしは記憶力には自信あるんでしが、どうもシャガーノちんの情報は、脳の上書きされやすい場所に格納されるようでしな……にしししっ」


「はあ……。まあ、諸先輩方からもよく言われます。おまえは存在感がないと」


 大殊勲を上げた実感が皆無のシャガーノ、両肩を落としてうなだれる。

 そこへ爆心地公園で待ち伏せていた愛里たちが、徒歩で駆けつけた。

 シーが白衣に修めているスマホから状況を察しての、慌てての移動。


「シーちゃん、倒したのねっ! 安楽女をっ!」


「でしでし。やっつけたのはそちらの、シャガーノちんでしがね?」


「……うーん、見覚えない子ね。ステラや糸目ちゃんの先輩かしら?」


 愛里のその一言にシャガーノは、両膝を手で押さえた姿勢で薄ら笑い。


「フィルルやステラとは同期なんですけどね……ハハッ。この戦いでも、一人だけなぜか遠く離れた地に召喚されて……。民間人の車やそこの列車に乗せてもらって、ようやくここまで……。ふうううぅ~」


 なぜか一人だけ、佐賀県の吉野ヶ里歴史公園へと召喚されていたシャガーノ。

 いまその背後の高架線路に停車している、白い車体の特急かもめ。

 それらを交互にしげしげと見た愛里が、ふとなにかに気づいた素振り──。


「……そう言えば見狐ちゃん相手のとき、リムが描いた戦姫が一人召喚されずに、代理でわたしが戦ったわね。それがシャガーノちゃんで、かもめでいま、ここへたどり着いた……と」


「なんでも鉄道会社が運行を見合わせる中、戦地の逃げ遅れた民間人を避難させるべく、列車を走らせる判断を下した義勇軍がいたそうで……。そこの白い列車に乗れば戦地へ赴けると聞き、便乗した次第です」


「逃げ遅れた民間人を避難させるべく、列車を走らせた義勇軍……」


 その説明を受けた愛里。

 長崎西洋館そばの鉄道管理用通路を開放し、市民収容の準備を始める特急かもめの乗務員を見て、感嘆の声を漏らした。


「令和の原爆救援列車……か。かもめちゃん、最後に大仕事やってのけたわね」


 原爆救援列車。

 長崎市へ原爆が投下されたその日に運行した、負傷者を搬送した蒸気機関車。

 延焼が広がる市街地を走り、軌道上のがれきを除去しながらの運行。

 危険を顧みず負傷者のピストン輸送に尽力したという逸話が伝えられる。

 しかし実際には運行はスムーズではなく、車両内で息絶える者も多かったという被爆者の証言もある。

 一方の特急かもめは、この三カ月後に開業する西九州新幹線へと「かもめ」の名を譲り、運行廃止となるスケジュール。

 非武装で進水した護衛艦やはぎのクルー同様、指をくわえての傍観ができない鉄道会社職員たちが、になるのを覚悟の上で、特急かもめを走らせたのだと、愛里は察した──。


「フッ……フフッ……フフフフ……」


 地を這う、重苦しく、低い自嘲。

 瘴気と化して散った下半身をよそに、俯せになった安楽女の上半身は潰えない。

 残る左腕で、小グモを包んだ繭をしっかりと抱き寄せながら身をよじり、仰向く。

 シャガーノたちの切っ先や拳銃が上からいっせいに向けられる中、薄ら笑いに枯れた声で、つぶやき始めた。


「なんやったとやろうね……わたしらは。わたしと……千羽は。結局、山田右衛門作の歪んだ願望が生み出した、信徒と獣にすぎんと……やろか……」


 異世界の民、戦姫團関係者には、その問いに答えられる者はいない。

 当地の歴史に詳しい愛里も、いまは口を噤んだ。

 小グモをくるむ蜘蛛の糸が、着火した導火線のようにチリチリと瘴気と化し、まず千羽の存在から消え始める。

 独白のように言葉を漏らしていた安楽女が、真上の天へと向かって叫んだ──。


「『物言う神』……姿ば見せんねっ! たとえおまえもわたしも、山田右衛門作の創りモンてしても……。おまえば信じ続けた信徒の……最後の信徒の千羽ンために……出てこんねっ!」


 千羽を乗っ取った安楽女がいま、心身の持ち主の魂をたっとび、熱湯のような涙を右眼から垂らしながら、絶叫する──。


「そいで千羽ば救わんねっ! 信徒ば救わんで、なんが神ねっ! 出てこいっ! 出てこんばやろがっ……! 出てこんかったらクソ! 野グソぞッ! 物言う神ッ!」


 悪態、愛憎、恨みつらみ、そして、千羽への親愛の情……。

 それらを嘔吐のように、青空へ吐き捨てる安楽女。

 想い剥き出しの、劣情にして真摯な叫び。

 そこには悪意も邪心もなく、あるのはただ、肉体を共有した、友への情と愛──。

 その弱々しい姿に、戦姫團のいずれの兵も、とどめをとまどう。

 このままの消滅を、ひそかに願う。

 ただ一人愛里だけが、この地の者として、この戦いの指揮者として、とどめを買って出ねば……と、決断。

 ラネットから借り受けていた長剣を、無言で鞘から抜いた。


 ──シャッ……。


 そのとき、爆心地公園の上空。

 原子爆弾落下中心地碑の直上にあった白い雲が、ゆっくりと四方へ裂けた────。

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