第101話 千羽鶴
────────♪
初夏の真っ青な
漂う真っ白な雲の隙間。
原子爆弾が炸裂した、まさにその空。
そこから、歌声が流れ出す。
年ごろの少女たちの合唱と思しき、拙くも誠実で、無垢な歌声。
その歌は、各地の戦姫たちの耳に、漏れなく届いた──。
────────♪
天空が歌う。
その超常現象にみな、息を飲み、聴き入る。
歌に続いて何者かが降りてくるのではないか……と、空を注視する。
しかし歌はただ、歌のまま続く。
一小節の終わりの間に、安楽女が狼狽を挟んだ。
「こ……こいは、なんね? なんねっ……この歌はっ!?」
空を見上げて、不服そうに悪態をつく安楽女。
それへ数歩、長剣を鞘へ収めた愛里が歩み寄った。
「……アンタさ。ベタベタな長崎弁使ってるくせに、この歌知らなかったの?」
「あぁ……?」
「これは毎月九日の十一時二分に防災無線から流れてる、原爆犠牲者への鎮魂歌よ」
「鎮魂歌……」
「曲名は……『
「
────────♪
長崎市の防災無線からは、八月を除く毎月九日の十一時二分に、この「千羽鶴」のメロディーの一節が流れる。
原子爆弾が投下された八月九日十一時二分には黙祷のサイレンが流されるが、同日催される平和祈念式典では地元女学校の生徒による「千羽鶴」の合唱が行われるため、実質通年、この曲が長崎の空に響く。
その歌がいま、天から降り注ぐ──。
────────♪
歌を受けて、石のように固まる安楽女。
解を求める幼子のような顔の片耳へ、憐れむように愛里が説明を与える。
「緋、白、赤、紫、黄、青、緑、藍、桃、そして……虹色。平和と鎮魂の思いを込めて、十羽の折り鶴を作るって歌詞よ」
「なんで……。なんでそがん歌が……。まさかこいが……『物言う神』の声って……いうとね?」
「
「そっ……! そげんと、こじつけやかねっ!」
「原爆は、ここ浦上の信徒にとって五回目の崩れ……浦上五番崩れ。原爆で消失した右衛門作の南蛮杉戸画……。この地の史跡や軍用地とリンクして出現した下僕獣たち……。この地の歴史の絡まりが『こじつけ』で片づけられるほど単純じゃないの、アンタならもう……わかってるでしょ?」
「うるさかうるさかっ! そげんうさんくさか講釈は、いまいらんっ!」
「わたしは、カクレキリシタンの血を引きながらの、無神論者だけれど……。この『物言う神』のわたしたちへの回答には、百点満点をあげるわ」
「平和……。鎮魂……。そげん安っぽか言葉ば聞くために、千羽はいまここにおらんとっ! 納得できるわけ……なかやろがっ!」
「アンタ、
「……そいが……なんねっ!?」
「安心、安寧、安らぎ……。『
「なん……て……?」
────…………♪
天……「物言う神」の歌唱が終わり、余韻も青空へと溶けていく。
そのフェードアウトと交錯するように、地から「千羽鶴」の合唱が、青空へと向かってフェードイン。
指揮を執るのは、陸軍戦姫團音楽隊隊長、ヴェストリア・マーヴェリック。
合唱のリードを務めるのは、いまヴェストリアとともに大村市の長崎空港で待機中のラネット。
ヴェストリアの
音楽隊が奏でる「千羽鶴」の曲が、世界の壁を超えて令和日本に流れる──。
────────♪
愛弟子・ラネットの天に轟く歌声を聴き、愛里は満足げ、感慨深げ。
「……弟子入りのとき試した歌声より、ずいぶんと立派になってるじゃない、ラネット。それに、さすが『翼をください』を一発で完璧に耳コピした音楽隊……ね」
長崎空港の滑走路、その真っただ中で、力強く独唱するラネット。
あたかも、歌声を大空へ離陸させんがごとく。
ヴェストリアの
その異能「声」の歌唱は、わずかな予兆をもって響き渡り、戦姫團関係者の脳裏に、曲より一瞬早く歌詞を伝達──。
────────♪
團長のフィルルが、副團長のステラが──。
元團長のエルゼルが、元副團長のロミアが──。
陸軍
────────♪
その美しく力強い歌声に、まずこの歌を知る市民たちが声を合わせた。
すぐにその曲、その歌詞が、SNSで拡散され、各々の居場所で、不格好ながら合唱へ参加する者が日本中に多数。
歌声へ
その表情は優しさ、慈しみ、そして安らぎに満ちている──。
『一緒に……空へ飛ぼう。安楽女さん』
「……千羽っ!」
『安楽女さんは、死ぬことで逃れようとしたわたしの怒りや絶望を、代わりに抱えてくれた。共有……してくれた。わたし、最期の最期まで……独りじゃなかった』
「千羽…………」
『宗教戦争、拾体の下僕獣……。わたしには、ほとんど意味がない。でも、わたしが死を選んで、安楽女さんに命を繋がれて……。それからの日々は、すごく意味が……意義があった。生まれて初めて親友ができて、すっごくうれしかった』
「千羽……それは違うと。わたし……わたしはっ!」
安楽女が否定の言葉を発しようとするも、喉が収縮し、その言葉を押さえつけた。
千羽も安楽女の本意を察しているというふうの穏やかな笑顔で、視線を合わせる。
『……安楽女さん。わたしをあの空へ、連れていって。このすてきな歌声が響いているうちに、あの青空へ……』
「で、でも……。わたしはこんとおり、もうボロボロばい……」
上半身のみ。
右腕は落とされて隻腕。
悪喰の胃酸によって、顔の左半分と首から下の随所が爛れる。
普通なら目をそむけたくなる安楽女の姿を、千羽は肉親や恋人を見るかのように、安らかな笑顔で見つめる。
『安楽女さんは絵……紙から生まれてきたんだよね。だったら……折り鶴になれるよ。
「千羽……」
残る左腕をよろよろと掲げ、蜃気楼のようにおぼろげな姿で立つ千羽へと、手を伸ばす安楽女。
二人のやり取りを見透かしたかのような愛里が、穏やかな声色で助言。
「……この陸上競技場さ、一時期飛行場だったのよ。終戦後に造られた、米軍の……だけどね。でも大空へ飛び立つには、向いてる地だと思うわ」
──アトミック・フィールド。
終戦間もなく、現在の長崎市営陸上競技場付近に米軍が造った臨時飛行場の呼称。
被爆者の遺体が多数横たわるその地で、無縁の
無数の遺体を回収し、
現在その遺骨は、長崎市筑後町の「非核非戦の碑」の下へ納められている。
一万とも二万ともされる、身元不明の原爆犠牲者の遺骨とともに。
もはや動くこともかなわない安楽女へ千羽が寄り添い、手を繋げる──。
『あの歌声が、わたしたちを空へと運んでくれる。わたしたちを
「千羽…………」
千羽が自身と同じ姿をした安楽目の上半身を、優しく抱き寄せる。
二人の体の端々から立ち上っていた黒い瘴気が、徐々に白くなっていく。
やがて抱き合った二人の姿が、一つの白い靄となり……。
歌声を上昇気流として、天へと昇っていった──。
島原の乱に端を発した、約四〇〇年ぶりの戦争──。
──
それがいま、終結した。
愛里が感慨深げに、当地の青空を見上げる──。
「もしかすると、こっちとあっちの世界……。ただの姉妹世界じゃなくって、双子の世界だったのかもね。産道を通ったのが、先か後かくらいの、微差の……」
市民の憩いの場となり、小中高生が部活動のために汗を流すこの競技場に、かつて米軍の飛行場があったことを、どれだけの子どもたちが知るだろうか──。
西坂の丘で、海外の神を崇めながら殉教した大勢の信徒たち。
同じ地に、太平洋戦争で落命した民間人の、無縁の遺骨が無数に納められている。
その歴史を知っていた愛里は、国も宗教も関係なく、争いが無益なものであることを少しでも異世界で訴えようと、蟲の軍勢と二度も戦った──。
「わたしを、あっちの世界へ送った存在……。やっぱり神とかいう崇高な存在なのかもって、思ったりもしたけれど。ただの、普通の人々の、平和を望む真摯な願い……だったのね。ふふっ……」
愛里はいま、
そしてそれが、ようやく終わりを迎えたのだと、安堵した──。
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