第103話 戦姫の帰還

 ──翌日、日没時。

 愛里が営むとんこつラーメン店「Wonderlandワンダーランド」前の路上に、戦姫團関係者が全員集結。

 報道機関、野次馬、そして報道やSNSの情報を受けてファンになった市民たちが、周辺にこぞって詰めかけた。

 長崎県警が規制線を張り、それを制止するという、命を賭してこの地を守った戦姫たちへの配慮もなされる。

 昨日の夕暮れ時と打って変わり、戦姫たちを称えるように赤い夕陽が頬を照らす。

 その列の中には、天音と六日見狐の姿はない──。


「……ありがとうね、みんな。わたしたちの街を……世界を、守ってくれて」


 店舗を背に、深々と一礼する愛里。

 その隣には、澄ました笑顔でアリスが立つ。

 愛里は一瞬アリスへ目を向け、存在を確認し、話を続ける。


「もしも下僕獣が、この世界の人間たちと交戦していたら……。その憎しみと悲しみを糧に、邪悪ななにかが歌の代わりに降りてきてたと思うわ」


 愛里の正面に立つ戦姫團團長のフィルルが、代表して別れの挨拶。


「オーッホッホッホッ! ほんのご恩返しにすぎませんわ! 今後も必要とあらば、いつでもお呼びくださいなっ!」


 フィルルは右手の甲を口元へ添えて高笑い。

 左手には、BLコミックをぎっしり詰め込んだキャリーバッグを引いている。

 いつでも呼んで……というフィルルの言い分が、「新刊を補充しに来ますわ!」という高笑いに聞こえて、愛里は思わず苦笑い。

 フィルルの隣に立つステラは、感慨深げに師たる愛里を見上げている。

 すでに愛里は別れの言葉を、皆と一通り交わしている。

 ただ一人、アリスを除いて──。


「……アリス、三度目の正直よ。今度こそ、二人で一緒の世界に住むわ」


「ええ、もちろんです」


 小声で二人だけの決意。

 愛里が右腕でアリスの腰をぐっと抱き寄せ、そのときを待つ──。


 ──ヒュウウウウウゥ……。


 夕暮れ時の涼しい風が一陣、愛里の頬を拭った。

 その風が、愛里の右腕で作られた輪の中を、隙間風として通り抜けていく。

 主を失ったキャリーバッグが倒れ、地に触れた取っ手がカタンと音を立てた。

 異なる世界の女性陣が、余韻なく一瞬で消えた──。


「……………………」


 十数秒、無言で固まる愛里。

 そして、まるで魂を吐き出すかのような、深く、密度のある溜め息。


「はああああぁ~。二度あることは三度ある……のほうかぁ。アリス、あんた……。この非情な喪失感を、二度も味わってたのね……」


 愛里は無人となった眼前へとぼとぼと歩き、崩れるようにしゃがんで、キャリーバッグの取っ手を掴む。

 戦姫團関係者が一斉に消えたことに、周囲の者たちは異世界の存在を再認識。

 傷心の愛里を、ざわめきが無神経に覆いだす。

 マスコミか個人か判別がつかない、無尽蔵なカメラの撮影音。

 規制線から乗り出すマスコミや有象無象と、それを制止する警察官。

 愛里は立ち上がると、覇気のない作り笑いを周囲へ向けた。


「……説明とかは、後日……ね。きょうはもう、一人にさせて。じゃ……」


 ──カラカラカラ……。


 BLコミックが詰まった重いキャリーバッグを引きながら、愛里が店へと戻る。

 引き戸に提げられている「CLOSE」のプレートを、そのままに店内へ。

 すぐさま後ろ手で施錠。

 曇りガラスの引き戸の向こうには警察官らと、マスコミと野次馬の連合軍が揉み合う様が、うっすらと見える。

 愛里はカウンターに五席あるいすの真ん中へ崩れるように腰を落とし、ピッチャーを掴んで、注ぎ口からダイレクトに水を飲もうとする。

 しかしピッチャーを掴んだ瞬間、中身が空なことに重さで気づいた。


「あ、そっか……。きょうは開店準備、してなかったっけ……」


 背を丸めてカウンターにうつ伏せになった愛里が、小刻みに震えだす。


「アリスぅ……。今度こそ、アンタがこっちに来た、今度こそ……。一緒になれると思ったのにぃ……」


 愛里の涙腺が、決壊寸前。

 刹那──。


「──冷蔵庫っていうの? すごく便利ね、あれ。はい愛里、冷たいお水」


「……………………」


 自分以外だれもいないはずの店内に、女性の落ち着いた声がする。

 愛里はそれに驚き、期待し、重い頭を全身の力を振り絞って上げた。

 左手に立っていたのは、古風な白い割烹着に身を包んだ、愛里の異世界の想い人。

 陸軍研究團・異能「鼻」。

 それを引退し、いまは異能「知」の、アリス・クラール──。


「アリ……ス……?」


「やっとすべて終わったわね、愛里。お疲れさまでした、ウフッ♪」


 キャップを外したミネラルウォーターのペットボトルが、アリスの手によってカウンターへと置かれる。

 愛里はそれを喉へ流し込みながら立ち上がり、思わずアリスを指さした。


「え、え……? アリスはさっき、わたしの腕の中から消えた……はず」


「フフッ……。そんな呆けた顔の愛里、初めて見るわ。そういうのを『キツネにつままれた』って、言うのかしらね」


「キツネに……つままれた……。あっ……アンタ、六日見狐ねっ!」


 一気に軍人の顔と化した愛里が、アリスの割烹着の胸倉をきつく掴み、唸る。

 

「アリスがこっちの世界にいるだなんて……。わたしにとっては、一番残酷な嘘よ。許せないっ!」


「ちょっ……ちょっと待って、愛里。わたくしはアリス! 本物のアリスよっ!? 十四歳のとき、十七歳のあなたと蟲との戦場で出会った、ア・リ・ス……よっ!」


「……………………」


 小皺とほうれい線が伝う六十七歳のアリスの顔を、愛里がしばし無言で睨む。

 数秒ほど経過したところで、愛里は目と手から力みを抜き、割烹着を静かに手離した。


「いまの『帰ってきたドラえもん』ネタに無反応……。つまり、六日見狐じゃない。だったら……まさか……本当のアリスっ!?」


「ええ、そうよ。その六日見狐がわたくしに化けて、わたくしの代わりに向こうの世界へ行ったの。彼女、肛も……ごほんッ! 皺一本に至るまで、完璧に変化できるのよ。それで、わたくしの代わりに還ってもらったの」


「あははっ……なるほどっ! アンタ、あっちじゃ陰でギツネ、古ギツネって言われてたもんね! 本物のキツネと……入れ替わったわけだっ! あはははっ!」


「六日見狐から、向こうの世界で暮らしたい……って言われてね。異世界召還を司る存在を騙せるかの、賭けだったけれど……。わたくしたちは、それに勝ったわ。彼女いまごろ、一世一代の化け勝負に勝ったと、城塞でご満悦よ。ウフッ♪」


「異世界召還を司るそいつ、わざと騙されてくれたって、気がしないでもないけれど……。いまはどうでもいいわっ! ようこそアリス、わたしの店……不思議の国ワンダーランドへっ!」


「……おじゃまするわ、ウフッ。こんなおばあちゃんになってしまったけれど……。お店でこき使ってちょうだい」


「もちろん! 最低賃金激渋のこの長崎県で、生涯馬車馬のようにこき使ってあげるわ! 異国の地に骨を埋める覚悟、しなさいよっ!」


「そんなのとっくにできてるわ。五十年以上前から……ね」


 落涙しながら、ぎゅっと抱き締め合う二人。

 それから塩味が利いたキスを、何度も何度も繰り返した────。

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