第095話 蟲獣・安楽女(3)
──ザシュッ!
二の腕から斬り落とされた安楽女の右腕を、地に着く前に天音が横転で拾う。
そして、それに抱かれていた繭状の物体を手にし、腕は放り捨てた。
「わざわざ糸巻きを用意してくれてるとは、ありがたいね。これで阿鼻亀を網にかけることができるよ」
「天草ぁ……
頭髪の端々を逆立たせ、文字通り怒髪天を衝くといった様相の、怒れる安楽女。
天音は怯むことなく、強く凛々しい表情で視線を弾き返す。
「それは違う安楽女っ! この地における戦は……島原の乱から、あるいはその以前から……連綿と続いているっ! その続きをさせぬために、過去から来たボクや、異世界から来てくれた
「せからしかっ! 絵から出てきた、下僕獣と大して変わらん存在のくせにっ!」
「……おまえは右衛門作さんの仇。とどめはボクが刺したいところだけれど、大至急この糸を届けなきゃならないんでね。これ……借りるよっ!」
路傍に倒れていたロードバイク、そのフレームへつま先を引っかけて起用に立て、飛び乗る天音。
安楽女は腹部から糸を出して、切断された右の二の腕を止血しながら叫ぶ──。
「待たんねっ! 千羽ば……返さんねっ!」
その声に反応することなく、天音の姿が下り坂のカーブを曲がって消える。
止血のために放出していた糸が途中で尽き、切断面から黒い瘴気がボタボタと流血のように垂れ続ける。
「チッ……。もう糸の尽きたとね……。まあ、よか。阿鼻亀の背中にでも乗れば、勝手に天草四郎のとこまで運ばれる」
「ここを抜けられれば……の、話だがな」
抜剣したエルゼルが、松葉杖をついて慎重に、しかし臆することなく安楽女との間合いを詰める。
安楽女は腹部をアスファルト舗装で擦りながら、二本の脚と一本の腕で反転。
エルゼルと立ち合い、身構える。
エルゼルは己の剣の間合いへ安楽女を入れたところで、歩みを止めた。
「最初に言っただろう。脚の数では勝負は決まらぬと。そしていまや、わたしのほうが手足の数が多い。フフッ……」
「まったく、いけすかん女ばい。でもまだ、勝ち負けはわからん……」
「……うむ。わたしの世界にいた蟲の女王は、最期は触覚や産卵管まで用いて抗ったそうだ。用心は十二分にしている。ところで先ほど奪われた、繭のようなもの……。あれは小グモを消化させぬために、糸を使い切って護ったのか」
「だったら……なんね」
「護るべき存在ある者は、強い。いまこの世界には数多の魔物が出没しているようだが、おまえが一番、強いのかも知れぬな」
「わたしを最強と持ち上げてから、兜首を獲って武勲にする気ね。みみっちかね~。けど、そうはいかんとっ!」
──ザッ!
安楽女が一本の手と二本の脚で同時に地を突き、横っ飛びでわきのササ藪へ飛ぶ。
そこには丸腰のイッカとギャンが伏せていた。
「「キャッ!」」
深手を負っているとはいえ、蟲の怪物。
素手では挑めない二人。
地べたに張りつき、頭部を隠して丸まった。
エルゼルもかつての部下を守るべく、安楽女への追撃より、二人をかばう挙動。
その隙に安楽女は、ササ藪の上部を伝って斜面を下っていく──。
「……逃げたか。ああいう、逃げるべき場面で迷わず逃げられる奴が、敵として厄介なのだ。だが、小グモを取り返すつもりならば、追うのは難しくない」
「……エルゼル様、ご無沙汰しております。ギャン・ダットです。戦姫團では長きに渡って、お世話になりました」
「元気そうだな、ギャン。それにイッカ」
イッカは己の肉体を悪喰に餌と認識させやすくするよう、上着を脱いでいる。
その体を隠すようにギャンが前に立ち、エルゼルと向き合う。
「……あの巨大サンショウウオをここまで誘導するために、身を軽くするべく道中、剣を破棄してしまいました。クモ女を逃してしまい、申し訳ありません」
「わたしはいま、町の一巡査だ。どうこう言う資格はない。言えるのは、二人とも無事でよかった、だけだな」
「……はい、ありがとうございます。久々に会うエルゼル様、少々丸くなられた印象ですね」
「体に不自由があると、いままで見えていなかったものが見えてきてな。あと……どうもあの、ソバカス
エルゼルが歯を見せた苦笑いで、肩をすくめてみせた。
それから長剣を鞘へと収め、腰のベルト外し、剣ごとベルトをギャンへ渡す。
「二人はここで、砲隊長の護衛をしてくれ。わたしは向こうの二人とともに、蟲女を追う。近くにこの世界の民間人が多く避難しているが、一人くらいは車両を貸してくれるだろう」
「エルゼル様、その膝で車の運転……大丈夫ですか?」
「長距離でなければな。まあ、地方警邏隊の虎の子のパトカーを、四回も修理に出させてはいるが。ハッハッハッ!」
車の物損事故の回数を、なぜか自慢げに述べるエルゼル。
それを少し離れたところで聞いていたルシャが、隣のセリの脇腹を肘で小突いた。
「……なあ。向こうの二人ってのは、オレたちのことだよな……」
「戦いとは無関係の場面で、命を落とすかもしれないな」
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