蟲獣・安楽女
第093話 蟲獣・安楽女(1)
──長崎市・神の島公園。
「小せぇクモは引き受けたぜっ!」
ルシャが機敏さを生かし、千羽の人格を宿した小グモを狙う。
小グモは再び宙を滑空し、人体裁断用の網を構築しようとする。
その体目掛け、ルシャが高々と跳躍。
鎌の刃のような青白い軌跡を描きながらの、上空からの踵落としを当てる。
小グモが地に叩きつけられる──。
──ドッ!
「へへっ、飛んでるみてぇに体が浮くな! だんだん気に入ってきたぜ、この力!」
よろよろと起き上がろうとする小グモを踏み潰すべく、ルシャが駆ける。
その体を刺突せんと、安楽女の脚が二本伸びた。
「千羽は……
受けてルシャ、すぐに左踵を地に埋めてブレーキ。
脚一本を長剣で弾き返す。
もう一本の脚は、ルシャの左方にいたセリが片手握りの長剣の切っ先で、上方へと反らした。
──キンッ! ガキィン!
その隙に小グモが後退。
安楽女は二本の脚を引きながら一歩前へ出て、小グモを己の体の下へ避難させる。
「ぐっ……! あとから来た二人も、蟲の体相手に戦い慣れしとるごたっ! いったい
残る脚で、しっかと地を踏みしめる安楽女。
その汗ばんだ顔には、焦燥と憤怒が色濃く浮かんでいる。
松葉杖をついて真正面へと移動してきたエルゼルが、対照的な余裕のある顔で安楽女と目を合わせた。
「フッ……。この世界へ招かれた戦姫團とその関係者は、おまえのような蟲の魔物の軍勢と、一戦交えた経験アリ……でな。いまこの世界には、様々な魔物が出没しているようだが……。おまえは貧乏くじを引いた格好だな。観念しろ」
エルゼルが松葉杖を掲げ、スリングショットを低い弾道で放つ。
狙うは、安楽女の体の下にいる小グモ。
「ちいっ! 弱かモンから狙うとは、こん外道がっ!」
体の前面で脚二本を交差させ、小グモを防護する安楽女。
──ガンッ!
脚の交差部で、スリングショットの弾が防がれる。
その衝突音に、間髪入れず断裂音が続いた──。
──ガッ……ザシュッ!
──ガッ……ザシュッ!
ルシャとセリの、ダッシュによる同時攻撃。
小グモをガードしていた安楽女の脚二本が、付け根に近い位置で斬り落とされた。
「あぐっ……! ぐっ……!」
安楽女に残された脚は、最後部の両脚と、その手前の右脚の計三本。
いよいよ自重を支えきれなくなり、クモの顔が地に突っ伏す。
今度はエルゼル、スリングショットの的を安楽女の眉間に定める──。
「脚が残り三本になると立っていられぬのは、われらが駆逐した蟲と同じか。さあ、観念することだな」
「ぐううぅ……。なんでおまえたちのごたっとが、こっちの歴史の話に首突っ込んでくっと! 一文の得にもならんとやろうがっ!」
「そのなんの得にもならぬことを、われわれの世界で二度もやり遂げた変わり者が、こっちの世界にいてな。借りは返さねばなるまい?」
「……あのソバカス女ね。右衛門作に邪魔されたとはいえ、殺し損ねたとは失敗やったばい!」
納得がいかない、合点がいかない、という感ありありの、安楽女の声色と挙動。
その中で安楽女は、体の下にいる小グモこと千羽へと声をかける。
「……千羽。おまえのおったら気の散る。どっか行ってくれんね」
「……安楽女さん! まさか……一人で戦う気じゃっ!?」
「時間の経てば、こいつらの仲間も増えるやろうし……。このままじゃジリ貧さ。別におまえば逃がすわけじゃなか。おまえはもう安楽女の一部やけんね。おまえが無事なら、下僕獣・安楽女も無事……。糸を操って、殺人も行える……」
「イ……イヤですっ! わたしは安楽女さんに生かされて、安楽女さんのために戦っているんですからっ! この世に絶望したわたしに寄り添ってくれた安楽女さんだけが、わたしのすべてなんですっ!」
それまで地に足を着いていた小グモが、体を上下にし、安楽女の脚の生え際にしがみつく。
「死ぬのも一緒、生きるのも一緒……ですっ! 安楽女さんっ!」
「千羽……」
小さな存在に、命懸けでしがみつかれる感触。
安楽女の全身を、いままで覚えたことのなかった衝動が貫く。
安楽女の顔から焦燥、そして敗色が消える──。
「……千羽、しっかり掴まっとかんね。こいつらとは相性の悪か。一旦ここば抜けて、立て直す」
「はいっ!」
安楽女が人間部分を屈め、人間の両手を地に着ける。
両手を脚代わりにして移動する算段。
エルゼルたちも、すぐにそれを察知。
「四つん這いで、われらの囲いを抜ける気だな。知性を有するだけあって、蟲にはない挙動、蟲にはない引き際を見せてくるか。だが、そう上手くいくかな?」
「けっ! ほざかんとっ!」
安楽女が手脚を一歩分前へ出して、じりっ……と前進。
そして地に落ちていた己の脚を、左右の手それぞれで一本ずつ回収。
二本を左右へ同時に、ブーメランのように投擲。
それぞれが、遠巻きに観戦していた市民たちへと目掛けて飛ぶ──。
「しまった!」
とっさにエルゼルが、スリングショットで右方へ飛んだ脚を叩き落す。
左方へ飛んだ脚は、ルシャが戦姫補正を帯びた足で追いかけ、追い抜き、跳躍からの剣の振り下ろしで、地面へと叩きつける。
その隙に安楽女は四つん這いで駆けながら、場に残っていたセリへとクモの脚で刺突──。
「どけええぇええっ!」
「どかぬっ! せえいっ!」
──ガキイイィイインッ!
セリの方形の剣筋が、臆することなくクモの脚を切断。
しかし安楽女は構わず前進。
「ははっ! 一本ならくれてやっけん! 記念品たいっ!」
「しまった! この脚……はなから捨てる気だったか!」
クモの脚二本、人間の手二本の四つん這いでありながらも、跳ねるように軽快に移動する安楽女。
市民を人質に、己の脚一本を犠牲にし、エルゼルたち
神の島公園を出て、いまいる丘陵地の下にあるバス通りへと下り始める。
「キー置きっぱの車でも拾えればよかけどね。なかったらなかったで、裏道と山ば抜けていくさ。土地勘のなか
安楽女は勾配で速度を稼ぎつつ、丁字路を左へと曲がる。
刹那──。
「なっ……!?」
真正面から坂道を駆け上がってくる、イッカとギャンが駆るロードバイク。
その背後には、イッカたちを捕食できず、餓えに餓えている両獣・悪食──。
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