第081話 海獣・磯撫(3)

 ──東彼杵郡川棚町・片島魚雷発射試験場跡そばの丘陵地。

 歪蛮を攻略し終えたムコとユーノが、並んでそこに立つ。

 二人の眼下遥か先には、磯撫が噴出した毒素含有の黒い靄が見える。

 陸軍研究團「鼻」二代目のムコは、すん……と鼻を鳴らし、北向きの風に乗ってわずかに飛来した毒素を嗅ぎ取った。


「……ウナギの血の匂い。あのシャチ、毒をばらまいている」


「ウナギの血液が含有する毒素……イクシオトキシンですか。内出血のダメージを負うと、鼻から血を噴き出して防御に用いる生態なのでしょう。ただのデカいシャチではなかったということですか、ククッ」


「みんなは大丈夫だろうか?」


「炎症、嘔吐……とまあ、重篤には至らない毒素ですが。なにしろあの巨体から放たれているので、致死量……ということも、十分ありえますねぇ」


「打開策は?」


「いーい質問です。懐に中和剤を忍ばせていますよ。イクシオトキシンは食中毒騒ぎを起こすのに使……おっと、使毒素でしてねぇ。毒使いは中和剤とセットで常備していますよ。クックックッ……」


「……この戦いが終わったら、おまえにごちそうしようかと思っていたがやめよう。ではその中和剤、みんなに届けるぞ」


 ムコがユーノへ掌を差し出しながら、駆け足の初動を取る。

 しかしユーノは手も足も動かさず、呆けた表情でムコを見返した。


「届けるって……徒歩でですか?」


「乗り物がないのだから当然だ。山窩イルフのわたしとしのびのおまえなら、あそこまでそうはかからない」


「あなたの弓で届ければ、もっと早いんですがねぇ……。矢に中和剤を塗布し、あのバケモノの鼻の穴へブチ込む……。これが最善手かと。クックックッ……」


「遠すぎる。射程外だ」


「おや、感じませんか? 先ほどの石塔のように、場がわたしたちに味方しているのを?」


「えっ……?」


 ユーノの指摘を受け、己の鉄弓に視線を落とすムコ。

 弦がうっすらと、戦姫補正の証である青白い発光を纏っている。


「こ、これは……? 翼竜を倒して石塔から離れたときに、光らなくなっていたのに……?」


「そこの海際に、廃墟がありますねぇ。あそこは魚雷の発射施設で、あちらは航跡の確認施設……。ここら一帯、元は海軍の縄張り。海軍兵のわたしには、場が与してくれているのがすぐにわかりましたよ。ククッ……」


「ぬぅ……。要は、ここから射ても届くということだな? あのシャチへ」


「ええ。届いても当たらなければ、無意味ですがね? クックックッ……」


「心配無用。『目』にこそ負けるが、山窩イルフの視力は抜群。奴の鼻の穴は、二つともよく見えている」


「ひゅーっ! それではお手並み拝見といきますか。クックックッ……」


 ユーノは懐から中和剤の小瓶を出し、ムコの背中の矢籠から矢二本を取る。

 鳥の羽根で作られた使い捨ての小さな刷毛で、鏃へ中和剤を塗布。

 弓を手にしたムコはそれを一本ずつ、矢継ぎ早に、空へ向けて射った。


「シュッ! シュッ!」


 二人がいま立つ場所、川棚町三越みつごえ郷の、海を見下ろす斜面地。

 そこには太平洋戦争時、敵の爆撃機を迎撃するための十二.七センチ連装高角砲二基を備えた、三越砲台(※1)があった。

 魚雷を製造する川棚海軍工廠、航空機を製造する大村市の第二十一海軍航空廠は度重なる空爆に遭ったため、周囲には対空陣地が複数置かれた。

 歪蛮が出現した西海市の虚空蔵山も、その一つ。

 一九四五年八月九日。

 小倉陸軍造兵廠を擁する福岡県北九州市小倉北区を目指していた、第二の原子爆弾ファットマン投下機は、厚い雲による視界不良を理由に、機首を第二目標である長崎市へと向けた。

 その飛行音を曇天越しに聞いた三越砲台に詰める海軍兵たちは、姿の見えぬ爆撃機に対し、暗雲の上へ向けて、まさに闇雲の砲撃(※2)

 しかし天候、敵機の高度という悪条件が重なり、それが届くことはなかった──。


 ──ドッ! ドッ!


 青白い軌跡を描いて向かい風を突き抜けた二本の鉄矢が、磯撫の二つの鼻腔へ、わずかな時間差を置いて着弾。

 鼻腔内へ深々と突き刺さった鏃から、毒素の中和剤が血管を伝い始める。


 ──ギギギイイッ!


 ムコとユーノの耳にも届く、歯ぎしりのような磯撫の悲鳴。

 ムコは上半身を軽く左右へ捻り、背負った矢籠の中の矢を、カラカラと揺らす。

 その音で残弾数を確認──。


「……残り二本か。一本は念のために残すとして、片目も潰しておこう。あちらも戦いやすくなるはずだ」


「怖いお人ですねぇ。クックックッ……」


「毒使いから怖いと言われたくない。しかしシャチという生き物、狙ってくれと言わんばかりに、目のそばに白い目印があるな」


「あの模様はアイパッチと言って、シャチの顔立ち、目元の印象なのですが。それを的にするとは、やはり怖い女ですねぇ」


「……うるさい。シュッ……!」


「ところで、わたしやフィルルお嬢様のように、糸目のアイパッチ個体はいるんでしょうか? ククッ」


 ──ドッ!


 三射目の矢が磯撫の左眼を貫き、潰した──。



(※1)陣地跡は私有地につき、立ち入りできません。ムコとユーノが立ち入っているのは、非常時という要素を加味したフィクションです。

(※2)参考資料:徳島新聞 二〇二〇年七月十八日掲載記事 戦争を語り継ぐ「長崎で防空任務、原爆投下前のB29狙う 大村湾越しに懸命の砲撃」

https://www.topics.or.jp/articles/-/392128

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