第080話 海獣・磯撫(2)

 ──大村湾中心部に、ラネットの伝令が轟いた。


「ディーナさんっ! いまは攻撃せず、そのまま進んでくださいっ!」


「その声……ラネットですっ!?」


「はいっ! その先には、航空機を飛ばす場所……空港がありますっ! そこでカナンたちが迎撃に備えていますっ!」


「航空機! この世界では実用化してるですっ!?」


「えっと、カルチャーショックはあとにしてもらって……。いまはカナンたちのそばまで、シャチの怪物を誘導してくださいっ! カナンたちと楽隊長とで……歌で攻撃しますっ!」


「歌で……攻撃? あっ……もしかして、超音波ですっ!?」


「はいっ! 超音波で会話するシャチに、カナンたちの歌……超音波をぶつけて衝撃を与えますっ! お師匠の発案ですっ!」


 シャチは頭部にあるメロン体という物質から超音波を発し、それで仲間と会話を交わしたり、反響によって獲物や地形の情報を得たりする。

 大村湾そばの海上自衛隊大村航空基地にて霊獣・精霊風に勝利したカナンたちを、そのまま対磯撫戦に回すという、この地、戦姫團関係者の特性、シャチの生態を把握している愛里ならではの采配──。

 長崎空港滑走路北端では、カナン三姉妹が立ち並んで、海を間近に見る。

 その列の前では、楽隊長・ヴェストリアが指揮棒タクトを手にし、三つ子へきつい視線を向けつつ、唇を薄く開いた。


さんせんの初陣が、異なる世界……。フフッ、あなたたちらしいですね」


「「「はいっ!」」」


「カナンが発する、高音域の声色……。それを左右から増幅させる、イクサ、シャロムの声色……。歌で、音楽で……この世界でも、わたくしたちは勝利を奏でます!」


 かつて蟲の軍勢との戦いにおいて、人が発する音で蟲の鼓膜器官を麻痺させ、「音楽で戦う」という悲願を成し遂げた戦姫團音楽隊隊長・ヴェストリア。

 令和日本の空にも凱歌を響かせんと、巨大な海獣に挑む──。


「敵は超音波を操る哺乳類。イルカは音楽を理解する……という研究論文もありました。恐らく蟲よりも立体音響技法ステレオサウンドが効くはず……!」


 大村湾に描かれる、磯撫とディーナの二本の航跡。

 一人と一体の姿が、ヴェストリアたちの視界に入った。

 再び辺りに、ラネットの伝令が響く──。


「ディーナさん、攻撃を! シャチを左方へ誘導して、空港に寄せてくださいっ!」


「了解ですっ! でええぇええいっ!」


 勢いよく放たれるアンカー。

 海上に出ていた背びれの左側面を強打。

 血液の代わりに黒い瘴気が、抉られた表皮の奥からぶわっと拡散。


 ──ギイイッ!


 歯ぎしりのような怒声を発して、磯撫の頭部がディーナを向く。

 ディーナは旋回して磯撫に背を向け、長崎空港の滑走路北端前を横切った。

 長崎空港は孤島のしまを造成して建設されており、周辺の水深は浅い。

 磯撫は海底への接触を嫌い、体を徐々に海上へと現す。

 ディーナを噛み砕かんと、口を海面へ露出させ、鋭い牙を覗かせる。

 刹那、ヴェストリアが号令、かつ指揮──。


「参歌戦っ! 立体音響技法ステレオサウンド……『ラ』!」


 あたかも剣捌きのような、ヴェストリアの鋭い指揮棒タクトの手繰り。

 呼応して、カナンをセンターに配した三つ子の隊列が、甲高い発声。


「「「ラーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」」」


 三人の甘く愛らしい声に、人間の聴力の限界を超えた高音域の響きが上積みされて、宙を貫く。

 指揮棒が発する青白い光が、その発声に色味を付加。

 カナン三姉妹の声が、青白い光線となって磯撫の顎を直撃──!


「ギギギッ……ギイイッ!」


 ──バキッ! バキャッ!


 鈍い断裂音が連続で鳴り響き、磯撫の牙がいくつも砕け散る。

 たまらず磯撫は海中へと逃れ、深みへと身を隠した。

 ヴェストリアが指揮棒を下げ、三つ子の発声を一旦終えさせる。

 カナンがおずおずと一歩前へ出て、ヴェストリアへと質問。


「……カナンたちの声、効いたんですか?」


「ええ。シャチは仲間が発した超音波を下顎で受信し、コミュニケーションを取ります。その下顎へ、あなたたちが発する超音波が直撃しました。恐らくあのシャチは、麻酔なしで抜歯される苦痛を、無数に、同時に味わったことでしょう」


「うわぁ……。痛そぉ……」


「噛みつきによる攻撃は、封じたとみていいでしょう。これで幾分戦いやすくなったかと思いますが…………はっ!?」


 ──ザバアアアアッ!


 滑走路から数十メートル離れた沖合で、磯撫が高々跳躍し、全身を宙に現す。

 そして背中の鼻腔から、黒い瘴気を盛大に噴出させた。

 まずは海上のディーナの鼻に、その瘴気が到達──。


「──つっ!? 痛いです! 目にも染みる……です! これ……たぶん毒ですっ!」


「「「ええええっ!?」」」


「みんな海から離れるですっ! 風は北向きですから、南へ逃げるですっ!」


「「「キャアアアアアーッ!」」」


 海上に薄暗い靄が漂い、それが風に流されて北側へと延びる。

 滑走路北端のカナン三姉妹は、悲鳴を上げながらわたわたと南へと走った。

 上官のヴェストリアは、三姉妹の安全を確保しながらその背を追い、海上のディーナへと声をかける。


「ディーナ! あなたも一時撤退をっ!」


「わたしは海風を読めるから心配ないですっ! それに……にいさんが一緒だから、絶対勝てるですっ!」


「にいさん……?」


 磯撫の着水時に生じた荒い波が、全方位へと広がる。

 ディーナの巧みな操舵で小型艇が上手く波に乗り、勢いよくジャンプ。

 トビウオのように低く跳躍し、着水時には水切り石のように海面を数回バウンド。

 磯撫の陰影の左舷前方をキープしながら、アンカーを振り回して投擲に備える。

 まるで白いシャチのようなその流麗で力強い動きを見たヴェストリアは、思わず逃げる足を止めてつぶやいた。


「あの子……やっぱり海軍向きじゃないかしら」

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