海獣・磯撫

第079話 海獣・磯撫(1)

 ──大村湾・東彼杵ひがしそのぎ郡川棚町。

 佐世保市に隣接する、かつて海軍工廠を有した町。

 その沖合の海面に、海獣・磯撫の黒い巨影が浮かぶ。

 体長二〇メートル超の、通常の二~四倍はある巨大なシャチの妖怪。

 時折海上へ見せる黒い背は、さながら小島のよう。

 その巨体を単身追う、全長五メートル弱の白銀の小型艇「シルバーブレード」。

 操舵を担うディーナは、十分に距離を取って磯撫と並走。


「……この船、武装も火薬もないですが、燃料はたっぷりのようです。だったら……入團試験のように、これで戦うですっ!」


 ディーナは大股を広げて座席を跨いで立ち、モデル然のしなやかな脚線美を披露。

 ボートが低い波を乗り越えるたびに、たわわな胸部がたぷんと大波を打つ。

 クリーム色のウェービーな頭髪が、潮風に流されてバタバタとはためく。

 その頭上では抜錨したアンカーが、ヘリコプターのジャイロのように大回転──。


「砲隊長も蟲も倒したアンカー捌き、とくと味わうですっ!」


 ──ブンブンブンブン…………ジャラッ!


 鋼鉄製の鎖が擦れ合う音を短く立てて、アンカーが放たれる。

 青白い軌跡を描いて宙を進んだアンカーが、浮上してきた磯撫の背中を抉った。


 ──ギイッ!


 苦痛を帯びた磯撫の悲鳴。

 抉られた箇所からは、黒い瘴気が曲線を描いて液体のように飛ぶ。

 磯撫は背びれが没するまで潜水し、頭部をディーナへと向ける。

 噛砕ごうさい、ないし頭突きの体勢。

 ディーナは左足の土踏まずで起用に操舵し、船首を逆時計回り。

 逆時計回りに身を捻った磯撫に対し、同じ逆時計回りの回避で間合いを大きく取る。


「シルバーブレード、すばらしい機動性です! まるで白い魚の上に乗ってるみたいです!」


 小回りを利かせながらも、波の影響を跳ね返す力強い船体。

 まるで生き物のように、そしてディーナの相棒のように、滑らかに海上をはしる。

 ディーナは旋回中に周囲を見渡し、全方位が陸地に囲まれているのを把握。


「景色や潮の流れから見て、閉鎖的な海みたいです。さっきの魚雷製造施設も、大昔のものっぽかったですし……。軍艦は常駐していないと見るべきです。残念ですが、援軍は期待できそうにないです」


 ほんの一瞬、孤軍奮闘を覚悟するディーナ。

 しかしすぐに、ちぎれんばかりに顔を左右へ振ってそれを否定。

 左胸の胸部に縫いつけられたシャチのアップリケを、愛しげに撫でる──。


「……ううん。わたしにはいつも、にいさんがついてるです。海軍兵のにいさんと、一緒の海戦……負けるわけがないですっ!」


 意気新たなディーナの右方から、再び磯撫の背びれが浮上。

 船の右舷目掛けて猛スピードで直進。

 ディーナはそれを全速力の直進でかわし、すぐに旋回して磯撫の背後を取った。


「シャチ対決……絶対に負けないですっ! 目標……背びれっ! 動きを鈍らせるですっ!」


 背びれ目掛け、全力でアンカーを投擲するディーナ。

 そのとき──。

 背びれの手前で、大きな黒い影が舞った──。


 ──ガキイイィイインッ!


「きゃううぅううんっ!」


 硬い物質に衝突したアンカーが激しく弾き返され、長崎凧ハタのように空高く舞う。

 繋いでいるチェーンが伸び切り、ディーナごと船外へ投げ出そうとする。

 あまりの勢いに両肩を脱臼しそうになるディーナだが、青白い光が船体とアンカーを薄く包んで衝撃を緩和。

 船体が大きくぐらつき、幾度も九〇度近くまで傾いたものの、起き上がりこぼしの構造と戦姫補正によって、転覆は免れた。


「ふうっ……ふうっ……危なかったですぅ! こ、この青白い光が……守ってくれた……みたいです」


 ディーナは一旦着席し、操舵に専念。

 再び磯撫と距離を置いて並走。

 磯撫が勝ち誇ったように、背中の鼻腔から潮をブッ……と吹いた。

 それから尾びれを海上へ出し、海面へ激しく叩きつける威嚇。


「さっきのは、あの尾びれですか……。ささくれがたくさんあって、まるでおろし金みたいです。きっと、サメや漁師と戦い続けているうちに、尾びれが硬質化したですね……」


 このディーナの推測、ズバリ。

 この磯撫は、サメ、クジラ、ダイオウイカ、漁師との戦いで傷ついた尾びれが年月とともに硬質化し、敵をズタズタに引き裂く武器へと進化したシャチの妖怪。

 海上の船へそっと近づき、尾びれで撫でるようにして船上の人間を引っかけ、海中へ引きずり込んで捕食することから、この名がついている。


「背後……後ろ半身への攻撃は、ぜんぶ尾びれに弾かれそうです。頭部を攻めるほうが、勝機ありそうです。それにしても……です」


 にわかに並走が続く。

 海育ちのディーナに、すぐに直感が走った。


「こちらが攻撃しなければ、攻めてこない……です。あのシャチ、どこかへ向かおうとしてるです。きっとそこが、わたしの護るべき施設です! ですよね、にいさんっ!」


 左胸のシャチのアップリケが、青白い光を放って跳ねるような動き。

 非戦闘時の磯撫の進路は、川棚港沖から南へほぼ一直線。

 その先に磯撫の攻撃目標があると、ディーナは断定。


「行かせないですっ! 最大出力……ですっ!」


 ディーナは再び頭上でアンカーを振り回し、投擲の準備。

 スロットルレバーを左足で操作し、船速を最大。

 磯撫の左横っ面の浮上を待つ。

 異世界出身のディーナには知る由はなかったが、磯撫の進路には長崎空港、さらにその先には魚雷の製造、運用試験を行う三菱重工業長崎造船所・堂崎工場がある。

 磯撫の狙いは、両施設の無力化と、周辺海域の制圧にあった──。

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