第069話 両獣・悪喰(2)
いわゆる立ち漕ぎの姿勢で、ペダルの上に立つギャン。
サドルには、軍服の上着を脱ぎ捨てて白いシャツ姿を晒し、袖を肩までまくっているイッカが座る。
イッカは股をやや左右に開き、サドルの先端にギャンがヒップをつけられる余地を作った。
ギャンが慎重にペダルを踏み、漕ぎだす──。
「一人乗り用の自転車だが、状況が状況だからな。ところでイッカ、なぜ上着を脱いだ?」
「奴があたしを生き餌と判断するよう、少しでも地肌を見せておかなければ……と、思いまして」
「おまえのそういう聡いところは好きだが、軍の備品の紛失は、懲罰モノだぞ? それに……なるべくわたし以外に、肌を見せてほしくないな。ハハッ♥」
「まあ……ギャンさん♥」
「じゃあ……出発だ! 蟲に捕まったときみたいに、ぐずるんじゃないぞっ!」
「もぉ! それは忘れてくださいっ!」
ロードバイクが駐車場内で大きく「8」の字を描き、コーナリングの感触を確認。
二人乗りの重心のブレを調整したギャンは、それからスピードを上げて悪喰の前を横切った。
イッカの地肌を目で追った悪喰は、ワンテンポ置いて二人を追い始める──。
──ザサササササササッ!
「は……速いっ! ギャンさん、あいつトカゲ並みに俊足ですっ! 意外っ!」
前脚と後脚をすばやく動かし、みるみるロードバイクとの差を縮める悪喰。
サンショウウオは水中でもそもそと動いているウーパールーパーのイメージが強いが、成体は危機に遭遇した際、トカゲ並みのすばやさで逃避する。
悪喰はその俊敏性を、捕食にも用いることができる生態だった。
ギャンは駐車場内をぐるぐると走りつつ、吸引を交えた捕食を回避。
「イッカ、こっちも飛ばすっ! 振り落とされるなよ! それから伝令兵からの道案内は、おまえが受けてくれっ!」
「わ……わかりましたっ! ラネット……聞こえて!? あたしたち、これからどこへ向かえばいいのっ?」
イッカが空へ向けて声を放つ。
十数秒の間を置いて、ラネットの大声がイッカへと届く──。
「いやー、好きな子の素肌ほかの子に見せたくない気持ち、ボクもよくわかるなー。ボクも、トーンの素顔はボクだけが知ってるんだーって、優越感に浸るときが──」
「あたしは道案内しろって言ってんのよ! このクソデカボイス女っ!」
「…………わっ、辛辣。えっと……その駐車場とやらを出たら、右折してください」
「……上り坂のほうね?」
「…………はい。車道が麓へ続いているので、カーブに気をつけつつ、直進してください。公園をすぎた辺りで、また連絡ください」
「公園ね、わかったわ!」
伝令は、聴音壕のトーンが戦姫の声を拾って読み上げ、愛里がそれに適した指示を出し、ラネットが特殊な大声で伝令……のプロセスを踏む。
そのため若干のタイムラグがある。
会話が一旦途切れ、その隙にイッカが小さく「ふぅ……」と息を漏らした。
「まったく……。こっちはわが身を囮にしてるっていうのに……」
「だがあのまま戦っても、勝機はなかった。これも作戦、これも攻め……だ」
「まあ、そうとも言えますね」
「それにな。一度おまえと、サイクリングのデートをしてみたかった。異世界で怪物に追われながら……はよけいだが、正直いまの気分は、悪くない」
「まあ……♥」
食欲全開の巨大な両生類が猛スピードで追ってくる中、二人は互いの想いを繋げるがごとく重心をぴったり揃え、カーブが連続する下り坂を難なく進む。
たまにギャンが、サドルの先端へヒップを軽く乗せ、重心を調整。
その瞬間、サドルに戦姫補正の青白い発光が生じる。
無理くりな二人乗りを、戦姫補正が転倒から守っていた。
ほどなくラネットが指定した児童公園が、イッカの視界に入ってきた。
「ラネット、公園来たわよっ! この先はっ!?」
「…………いやー、サイクリングデートいいですよねー。ボクもやってみたいんですけど、トーンが自転車苦手で。いま補助輪つきで練習を──」
「このバケモノ、あんたンとこに連れてってもいいんだけどっ!?」
「ああああ……ごめんなさいっ! えっと、その先に
「右、右ね! 了解っ!」
イッカが返答し終えたとき、すでに車体は「稲佐岳登山道路入口」の標石を通過し、丁字路の中心へ到達。
ブレーキをかければ悪喰との距離が詰まるため、ギャンは極力減速を抑えながら、丁字路を力強く右折。
イッカの体がコーナーの外側へ大きく振れるも、車体の重心はぶれない。
一方の悪喰は長い体を柔軟に曲げ、減速いっさいなしで右折。
二人との間合いを詰める──。
「ギャンさん、来てます来てますっ! 吸引される間合いに入りそうですっ!」
「やむを得んっ! 剣を鞘ごと捨てて身を軽くするっ! しかし武器をただ捨てるは軍人の恥っ! 投げつけてやれっ!」
「はいっ!」
イッカは鞘から長剣を抜き、不安定な姿勢で悪喰の顔目掛け投げつける。
しかし不安定な車上での、振り向きながらの投擲では、思ったように飛ばない。
剣は大きく狙いを逸れ、ただ車道に落ち、空しく金属音を立てる。
イッカは続けざまに鞘を放り捨てたあと、ギャンの鞘から抜剣し、二投目。
──さくっ!
「やったわ!」
ふらふらと回転気味に飛んだ長剣だったが、悪喰の体表が柔らかいこともあり、切っ先が申し訳程度に突き刺さった。
しかし復元した細胞が、長剣をすぐさま体外へと押し出す。
「チッ! やっぱりダメージなし……か。まったく……面倒な敵、あてがってくれたものだわ!」
「そう言うな。いままでの流れを考えるに、わたしたち以外ならばいまごろ、奴の胃袋だったかもしれん。わたしはこの采配、当たりだと思えてきた」
「まあ、確かに……。あっ……ギャンさん、あの交差点を右ですっ!」
「うむっ! 減速せずに突っ込むから、慣性にすなおに従えよっ!」
──キキギキキィ!
タイヤからうっすら黒煙を上げながら、大きな曲線を描いてロードバイクが右折。
左側に初夏の青い海を見つつ、幅の広い直線道路へと躍り出る。
いまの右折で、悪喰との間合いは詰まっていない。
「イッカ、よく振り落とされなかったな! 偉いぞ!」
「ギャンさんの運転がすばらしいからですっ! あはっ!」
「この自転車の癖も、だいぶ掴めてきたからなっ!」
平坦な直線の道路と、爽やかな海の景色が、二人の緊張を和らげる。
依然として悪喰は二人を追ってくるが、安全圏の間合いを保てている。
戦況を把握できていない二人は、この港湾部の沖に巨大な亀の下僕獣がいること、眼前の造船施設を発端にフィルルが壮絶な剣戟を繰り広げたことを、まだ知らない。
そんな二人の耳に、ラネットの伝言が届く──。
「その道をまっすぐ進むとトンネルがありますが、入らずに手前で左折して、坂道を上ってください。ところで……」
「「……ところで?」」
「お二人が乗っている自転車、ハンドルの左側に、下向きのレバー的なもの……ついてたりします?」
運転手のギャンが、前方の直線道路に障害がないことを確認してから、左ハンドルをチラ見し、レバーの存在を確認。
顔を正面へ戻し、手探りでレバーの構造を確認する。
「あ、ああ……。ついているな」
「だとするとそれは、たぶんロードバイクだそうで……。そのレバーを押したり引いたりすることで、ペダルの回転数を上り下りに合わせて変更でき、快適に運転できるそうで……」
「「はっ……早く言えーっ!!!」」
「そ……そう言われても、ボクはお師匠に言われてることを、そのまま伝えてるだけなので……。あはっ……あははは……」
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