両獣・悪食

第068話 両獣・悪喰(1)

 ──稲佐山公園・駐車場。

 公園利用者の避難は完了しており、四百台分の広い駐車スペースには、乗り捨てられた数台の車が残るのみ。

 シカ牧場付近から一段下のそこへ、悪喰をなんとか誘導してきたイッカとギャン。

 二人は揃って同時に、悪喰の後脚を膝関節から切断──。


 ──ザシュッ! ザシュッ!


 落とされた脚がアスファルト上で溶け、地へ染み込むように消える。

 直後、悪喰の細胞がみるみる分裂し、後脚を再生させた。

 イッカが特徴的なジト目を片方歪め、舌打ち。


「チッ……! こいつを遠くまで誘導しろだなんて、無茶ぶりもいいとこよ! あたしたちに、餌になれってことじゃないっ!」


「それも、ウマの鼻先にぶら下げたニンジン。絶対に食われてはならない餌にな」


「あっ……。ギャンさん、それですっ! それでいきましょう!」


「……ニンジン?」


「いいえ、ウマですっ! ウマの脚ならば奴に追いつかれず、かつ生き餌ですので、奴も追ってくるでしょう!」


 空いている手の指をパチンと鳴らしたイッカは、いまだシカ牧場のフェンスわきにいる女性飼育員を見上げ、声をかける。


「そこのあなた! ここにウマはいないの!? できればぐんっ!」


「い……いませんっ! この公園にいるのは、シカとサルだけです! ところで……グンバってなんですか~?」


「うはっ! 軍馬も通じない世界なのここっ!?」


 イッカは悪喰の巨体の背後に広がる、広大なアスファルト敷きの一帯を、あらためて見る──。


「ここらに引かれてる、白い線……。これ全部、車を停めるための区切りね。なるほど、ウマは車に取って変わられてるってわけか……。ギャンさんは、車の運転は?」


「何度か研修を受けてはいるが、いざ運転するとなると自信はない。ましてここにあるのは、ずっと未来の車なんだろう?」


「確かに、あたしたちが素直に扱えるとも思えませんね。それに車だと、あたしたちの姿が視認できなくなって、こいつが追ってこなくなるかも……おっと!」


 ──シャッ! シャッ!


 イッカとギャンが後方へ飛びのきながら、長剣を振るった。

 四肢を揃え直し、二人を正面から捕食しようとした悪喰の顔に、浅い裂傷が二本刻まれる。

 傷口には、粘液のような黒い瘴気が、わずかに滲む。

 そしてその傷口は、二人が着地する前に塞がった。

 イッカは宙で体のバランスを崩し、接地時にわずかに足首を捻る──。


「……つうっ! この怪物……ただかぶりつくのではなく、空気吸ってる! 捕食時に、口内へと吸引力が働いてるっ! ジャンプ中に……吸い寄せられたっ!」


 サンショウウオは水中で暮らしている幼生時、舌の骨の動きを利用して口内へと水流を作り、吸い込むように獲物を捕食する。

 悪喰はそれを陸上でも行えるほどに舌の骨が発達しており、かぶりつくと同時に気流を発生させて、掃除機のように獲物を吸い込んでいた。


「ふふっ、イッカ。熟練兵と新兵の差が出たな。わたしも吸い寄せられはしたが、跳躍力がそれに勝り、鍛えた体幹で着地も危なげなく、だ」


「軍人一年生にマウント取ってる場合ですかっ! ウマもダメっ! 車もダメっ! 走るのは……体力的に厳しいし、時間もかかるっ! なにかいい手は……」


 イッカが親指の腹で唇の端を擦りながら思案。

 左手に停まっている、山頂との間を往復するスロープカー(※1)をジト目の端で見る。

 蒸気機関車が最新鋭の乗り物である世界から来たイッカには、電動機で稼働するスロープカーの光沢ある表面が物珍しい。


「……軌道の勾配から見てパワーありそうだけれど、軌道上しか移動できなさそうだからあれはダメ。シカに乗って移動……は論外。となると…………自転車っ!」


 イッカが唇から親指を離し、その指をパチンと鳴らす。

 それから再び、一段上の土地の女性飼育員へと顔を上げた。


「あなたっ! ここに自転車はありますっ!? 自転車というのは二輪の人力車で、ペダルを漕ぐことで後輪を回転させ……」


「自転車くらい知ってますよっ! わたしが通勤に使ってるロードバイクなら、ありますけどぉ!」


「ロ、ロード……バイク?」


「ロードバイクというのはぁ、舗装路を走るのに特化した、競技用の自転車で……」


「あーはいはい、結局自転車ねっ! この怪物を退治してあげますから、それ貸してくださらないっ?」


「わかりましたっ! ちょっと待っててくださいっ!」


 踵を返し、一旦イッカの視界から消える女性飼育員。

 すぐに群青鮮やかなフレームのロードバイクに乗って現れ、舗装路を通って駐車場へとスムーズに走り込んでくる──。


「お待たせしましたっ!」


「待ってないわよっ! 妙に早いわねっ!」


「いざというときは、これに乗ってすぐ逃げられるよう、準備してましたからっ! じゃああとは……お任せしますっ!」


 女性飼育員は走行しながら片脚を上げ、半身を車体から浮かす。

 それから地に足をつき、無人となったロードバイクを、イッカ目掛けてまっすぐ走らせた──。


「ひいいいっ! こっちまで普通に持ってきなさいよぉ!」


「これ以上、そのモンスターに近づきたくありませんからっ! ではっ!」


 背中を見せて走り去り、シカ牧場へ戻る女性飼育員。

 イッカへと一直線に迫るロードバイク。

 そのわきからギャンが、ハンドル部をごく自然に握って車体を止める──。


 ──ガシッ!


「この世界の自転車……か。ほう」


 ギャンは長剣を鞘へ納めると、ハンドルに掛けてあったヘルメットを取り、イッカへと放った。

 それからフレームを跨って左右のハンドルを握り、右足の踵でペダルを軽く踏んでみる。


「見た目こそわれわれの世界のものと大差ないが、車体は軽く、各部の連動は実にスムーズで……。なによりいま見せたスピードと安定性! すばらしいっ!」


「あ、あの……。ギャンさん?」


「これであの怪物を誘導しよう。わたしが運転する。ヘルメットは餌のイッカが被れ」


「ええっ? それって……二人乗りってことです? っていうか、餌ぁ!?」


「自転車には少々、腕に覚えがあるのだ。それにおまえはさっき、足首捻っただろう。だから餌役はイッカだ。早くサドルに座れ」


「うええぇええっ!? 結局ニンジンが正解いいぃいいっ!?」



(※1)「スロープカー」は株式会社嘉穂かほ製作所の登録商標。

https://www.kaho-monorail.com/

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