第063話 剣獣・武蔵(4)
──
蛇腹構造の柄を長く伸ばし、武蔵の首の左右に、双剣を突き刺す。
オオカマキリの大顎が、捕らえた獲物の喉を噛み砕くような一撃。
しかし──。
「くっ……浅い!」
鍛え抜かれた筋肉を纏う武蔵の首へは、刃は三センチほどしか食い込まない。
「やせ細った老剣士ゆえ、短い刃でも貫けると思いましたが……。あの体は、極限まで硬質化された……骨と筋肉の塊!」
武蔵は痛みを微塵も現わさず、めり込みきれなかった刃を指でつまみ、左右同時に首から引き抜く。
それを壊れた玩具を捨てるかのように、力みなくアスファルトへ放った。
傷口からは、黒い瘴気がドロリと一塊だけ垂れ落ちるのみ。
フィルルは蛇腹状の柄を引き戻して畳み、再びロック。
通常の柄に戻す。
「この剣、改良の余地多分にあり……ですわね。生きて帰れれば、ですが!」
刃についていた武蔵の黒い瘴気を振り払い、双剣を固く握り直すフィルル。
それから普段通りの構えへ。
武蔵も両手の鉄棒を十字状に構え直したのち、フィルルへと一気に駆ける。
縦に構えた鉄棒を、黒い残像を描いて垂直に振り下ろす。
「ヌうんっ!」
フィルルは全身を捻ってかろうじてそれを交わし、武蔵の右側面へと回り込む。
すかさず武蔵、もう一本の鉄棒を水平に払う。
フィルル、刃渡りが短剣以下となった双剣を揃えることでかろうじてそれを受けるも、衝撃がもろに手首、肘、肩へと伝達。
上半身が不安定になるのを嫌ったフィルルは自ら下がったが、武蔵は一呼吸も置かずに追撃。
「はあっ!」
フィルルは左方への高らかな跳躍で間一髪、鉄棒の振り下ろしを回避。
跳びながら右手の剣を鞘へ納め、橋を支える斜めに張られたケーブルを空いた手で握り、一旦宙に身を置く。
眼下では、橋にめり込んだ武蔵の鉄棒が、アスファルトの破片を広範囲に散らしている──。
「さて……。残された武器はもう、鞘くらいですが……。中身が空洞では脆すぎますわね。なにかを隙間なく詰められれば、使えるやも…………あらっ?」
ケーブルに掴まるフィルルの右手に、不意に違和感。
太く、表面が滑らかで掴まりにくいケーブルにすがっているにも関わらず、右手には疲労がいっさい生じていない。
それどころかケーブルに掴まっていると、疲労が抜けていくようにさえ感じる。
「な、なんですの……? この不思議な……温かな……感触は……?」
戦姫補正特有の青白いオーラ。
それがフィルルが掴まっているケーブルの表面を流れる。
さらにはオーラの中に、複数の人の声が混ざってくる──。
「頑張れ糸目のネーちゃん! ネット経由だけど応援してるぞーっ!」
「糸目で面長で、はんなりとした……古式ゆかしい京美人風っ! 推せるっ!」
「いま推しだしたニワカはパンツ見たからだろ! 俺は最初から推してるわっ!」
「糸目さんがんばえー!」
「さっきから『がんばえー』コメしてる奴、幼女の振りしたオッサンだろ!」
「糸目さんには女神様がついてますっ! だから絶対勝てますっ!」
身近な喧噪のように、フィルルを取り囲む人々の声。
しかし当然ながらいま、フィルルの周囲に人の姿はない。
「これは、もしや……? この世界の人たちの……声?」
会話の内容からフィルルは、それがこの世界の住人の声だと察した。
とりわけ「女神様」と発した若い女性の声が、喧噪の中をよく通ってくる。
「……その橋の名前は、女神大橋ですっ! 別名、ヴィーナスウイング!」
「ヴィーナスウイング……」
「みんなが糸目さんを応援しています! 女神様がきっと、その応援をあなたの力に変えてくれますっ!」
「クスッ……♪ そう、そうですの。この世界の民にも、わたくしの強さと美しさが伝わったのですね。なればその声援、勝利への糧としましょう! とうっ!」
フィルルは護身のために左手に握っていた剣も、鞘へと戻す。
両手でケーブルを掴み、懸垂の姿勢から勢いよく両脚を揃えて振り、大車輪。
一回転のちケーブル上に立ち、その上を駆け下り始める。
女神大橋は東西に一七〇メートル超の一対の塔を持ち、そこから金属製のケーブルが幾本も扇状に下がり、車道を吊り上げている。
その東西の扇状のケーブルが巨大な羽に見えることから、女神大橋の愛称はヴィーナスウイング。
フィルルはその、東西の羽の狭間に降り立った。
「フフッ……感じますわ。戦姫補正とやらが、満ち満ちていくのを……」
下半身下着姿のフィルルが両脚を力強く広げ、白い太腿の内側までも晒す。
両手で左右の腰の剣を握り、抜剣の姿勢。
「感じますわ……。鞘の中に、力が蓄えられていくのを……」
地上に降りてきたフィルルを討つべく、武蔵が追ってくる。
しかしフィルルの正面で、武蔵は上げていた右足を浮かせたまま立ち止まった。
「ヌうっ!?」
武蔵の目に映った、いまのフィルルの姿。
橋のケーブルから流れ込む戦姫補正を一身に受ける、一対の羽を広げた女性剣士。
翼獣・歪蛮にも匹敵する羽を有した、一つの生物に見える。
フィルルは上品に笑みを浮かべると、ゆっくりと左右の鞘から剣を引き抜いた。
天音の宝刀・神気のように、鞘から出たそばから、青白いオーラによって剣が錬成されていく。
しかもその剣は、転移時に持っていた長剣とは異なる形状の刃。
フィルルの下弦の糸目とまったく同じ湾曲を有する、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます