第055話 化獣・六日見狐(2)
──愛里たちが本陣を構えた、小榊高射砲陣地跡。
その眼下に架かる女神大橋の上を、郊外へ避難する車が連なって走る。
市内西部から東部へと向かう一台のバスの上で、元副團長のロミアと、遊女姿の六日見狐が向かい合う。
一人と一体は、バスの速度が緩むたびに間合いを詰め、剣と尾の切っ先をぶつけ合い、相手の技量を推し量った。
ほどなく、混雑でバスが一時停止。
六日見狐は、赤いドレスに身を包んだロミアを舐めるように見る。
「……ふむふむ、相当な器量よしじゃな。お主ならば、フランソワーズでも文句ないぞい」
「えっ? フラン……なに?」
「なんでもない。お主の美貌を褒め称えただけじゃ」
「……あら、ありがと。そういうあなたも、派手な着物を難なく着こなしてて、とってもチャーミングよ?」
「ほっほっほっ、お褒めにあずかり光栄じゃ。じゃが儂は、この遊女のいで立ち、あまり好きではなくての。着ておいてなんじゃが」
「遊女……」
遊女というワードに一人と一体は同時に反応し、互いに戦意を低下。
二人を車上に乗せたバスは、一旦市内中心部へと入り、市外へと通じる出島バイパスの入口へと差し掛かる。
そのバイパスへのトンネル手前で、六日見狐が商業施設方面へ跳んだ──。
「……来たれよっ、麗人!」
「どこかへ誘導されてる気、してたけれど……。わたし用の特別な
「うむっ! それがこの
──出島。
もしくは、出島
長崎港に造られた、扇状の人工島。
ポルトガル人の居留地として建造され、一六三六年に完成に至る。
しかし翌年、島原の乱が勃発──。
異国との交易を危険視した幕府により、鎖国が進められる。
鎖国後出島は、交易国のオランダの商館が立ち並ぶ、日本唯一の海外の門戸へ。
一八〇八年には、ナポレオン戦争を経てオランダを支配したイギリスの軍艦、フェートン号が長崎港へ侵入し、オランダ商館員二人を拉致する事件も起こった。
そんな世界の歴史が絡み合うこの地も、現在は周囲の埋め立てによって島の面影はなくなり、観光客、修学旅行生が訪れる定番の史跡となっている。
しかしいま人々は市街地から避難を始めており、この地に人影はない。
復元された商館が立ち並ぶメインストリートで、ロミアと六日見狐が真正面で向き合う。
太くもなく細くもなく、形よく整えられたロミアのダークブラウンの眉が、険しく両端を上げる──。
「外国との窓口の地。つまり、外国人用の買春街があった地……ネ?」
「話が早く、助かる。ここから少し歩いたところに、丸山という名の遊郭があった。儂はその遊郭へ、売り飛ばされたことがある。まあ、儂は見ての通りの物の怪ゆえ、すぐに脱出したがの」
「あら、まあ……」
「しかし、ただの人間……。まして年端もゆかぬ少年少女は、そうはならん。借金の
「どこの世界も、歴史は一緒……ネ。発展の陰では、弱き者が泣いてる……」
「じゃが後世は、それを正確に伝えぬ。遊郭を華々しいものとして取り上げ、娯楽性のある上澄みだけを吸い取り、語りたがる」
「人身売買、堕胎、性病……。真に伝えるべきことから、目を背けながらネ」
ロミアと六日見狐は互いに刃を相手へ向けるも、それを振るう気配を見せることなく、相手の切っ先よりも唇の動きに注視する。
真っ赤な口紅を嫌味なく着こなしたロミアの形のいい唇を見て、六日見狐がくすっ……と、口内の犬歯を覗かせた。
「……お主、異世界の者でありながら、まるで見てきたかのように詳しいのぉ?」
「わたしの祖母がネ、遊女だったのヨ。そして母には、半分異国の血が入ってる」
「ほぉ……」
「孫のわたしにまでは、差別は及ばなかったけれど……。祖母と母は、ずいぶんと偏見と迫害を受けたらしいノ」
「お主は、いわゆるクォーター……か。対岸の稲佐にも、ロシア村の子、孫……がしばしばおったの。なるほど、スムーズに話が通るわけじゃ」
この日の午前中、愛里たちが訪問した稲佐山。
その麓の港には明治時代、ロシア海軍が越冬するための異人街があり、そこは「ロシア村」と呼ばれた。
周囲にはロシア兵向けの歓楽街、訓練用の射的場があり、それらは国交断絶をする日露戦争勃発まで存続した──。
「……わたしは陸軍退役後、俳優へ転身したワ。これから
ロミアが長剣を宙で一振り。
退役してもなお衰えない剣筋を披露したのち、六日見狐へと構え直す。
六日見狐もまた、その場でくるっと宙で前転し、硬質化した尾を構え直し、笑顔。
「
遊女の衣装を身に纏った六日見狐の脳裏に、かつてこの世界を戦乱に陥れた、七三分け、チョビ髭の男のシルエットが、山田右衛門作の代理で浮かび上がる。
「かつての一揆を、宗教戦争としてやり直そうとする誇大妄想家の……じゃ。当時異教徒扱いじゃった信徒が中心となって起こしたその一揆で、この国は他国との交易を廃した。鎖国……というのじゃが、もしも島原の乱……その戦がなければ、ここらの異人用の遊郭も、なかったかもしれぬのじゃ」
島原の乱が、日本の歴史へ及ぼした影響は大きい。
とりわけ、鎖国はその最たるものであり、鎖国によって生じた海外との交易拠点……長崎の出島は、「唯一の他国との玄関口」という美名の下に、少年少女を慰み者にする買春宿の軒を並ばせた。
そして海外へ輸出される少年少女「からゆきさん」をも、多く生み出す。
そんな歴史的背景を知らぬ異世界のロミアだが、発展目覚ましい令和日本の街並みを見て、ここに至るまでになにが犠牲にされてきたかを、すぐに察した──。
「……つまりあなたは、このバカげた戦を止めたいってわけ? だったら……」
「このバカげた戦を少しでも早く止めたければ、儂を討ってくれ。儂は否が応でも、この戦に身を投じねばならぬ、哀れな下僕。当地の
「……そう。けれど退いたとは言え、わたしの魂はまだまだ
「わかっておる。六分の一状態の儂を
「ええっ!」
──ギンッ……ザシュッ!
出島商館跡のメインストリートを、一人と一体の影が瞬時に交錯。
一呼吸で、それぞれの立ち位置を入れ替えた。
姿勢を正し、再び刃を構えて向きあう一人と一体。
長剣を振り、青白い戦姫のオーラを払うロミア。
頬を上げてニヤッと笑って見せた六日見狐の体が、端々から黒く煤けていく──。
「……見事じゃ。異世界の麗人よ……」
六日見狐の右肩から左わき腹へと、一直線の刀傷が走る。
遊女の衣装ごと斬られたその裂け目からは、どす黒い瘴気が、液体のようにドロドロと漏れ落ちる。
ロミアは申し訳なさそうに眉を潜めつつ、微笑を浮かべた。
「あなたは女優の顔を狙わないような気がしたノ。それを信じた一撃だったワ」
「ふん……それは儂も同じじゃ。お主は必ず、この遊女の衣装を裂いてくると読んでおった。その上でなお、この結果……。単純にお主の力量勝ちじゃ」
「残念ヨ……。あなたとは、いいお友達になれそうだったのに」
「ふふ……そこはまこと同感じゃ。じゃが心配はいらぬ。お主が儂を討ってくれたおかげで、それに一歩近づいた……わ…………」
「えっ? それって……どういう意味?」
戦姫團本陣にいる一体以外をすべて討てば、六日見狐寝返る。
その約束事をロミアへ伝える前に、この場の六日見狐は黒い塵となって、かつての日本唯一の交易の地に消えた──。
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