第056話 化獣・六日見狐(3)

 ──愛里たちが本陣を構えた小榊高射砲陣地跡直下の、片道一車線の車道。

 アリスとバニーガール衣装の六日見狐、一人と一体はそこで交戦。

 避難の自家用車が一通り過ぎ去ったアスファルト道で、剣と尾がぶつかり合う。


 ──ギンッ!


 双方の刃が中央線センターライン上で交わり、互いの身を後方へと押しのける。

 その勢いを利用して跳躍した六日見狐がカーブを曲がり、姿を消した。

 アリスがすぐに駆けだす。


「お待ちなさいっ!」


「にょほほほほっ! 不思議の国へ案内するゆえ、追ってくるがよいっ!」


 バニーガール衣装からキツネの尾を生やした六日巫女が、網タイツの太腿をぴっちり合わせ、尻尾をふりふりと振り、挑発。

 老いてもなお健脚のアリスが、狭い歩幅の駆け足で追う。


「フフッ……。百二十歳まで生きてやると始めた足腰の鍛錬が、こんなところで役に立つとはね。おまけに戦姫補正というのも働いているのか、体が軽いわっ!」


 徐々に駆ける速度を増すアリス。

 いよいよ大股になって、大きな湾曲を描きながらカーブを曲がった。


「……いないっ!?」


 そこに六日見狐の姿はない。

 制限速度四〇キロメートルを示す交通標識。

 近くの中学校の生徒のために、バスが朝夕に一度だけ止まる停留所の標識。

 そのほかには白いガードレールと、両側の斜面に生えたいくばくかの雑草のみ。

 アリスは鼻を小さく「すん」と鳴らしたあと、停留所の標識目掛けて跳躍し、サーベルを振り下ろした──。


「……せえいっ!」


 停留所の標識が、礎石ごと後方へ跳ね、それをかわす。

 礎石がアスファルトに接した瞬間、蒸気のような白い煙が湧き起こり、六日見狐へと変化。

 六日見狐はバニーガール衣装のままで、目を丸くして驚く──。


「お……お主なぜ、この『西にしどまり中学校前』バス停が去年廃止されていたことを知っておる!? さては廃路線バスマニアかっ!?」


「そんなの知るわけないでしょっ! 匂いよ、に・お・い! あなたのその、女狐の獣臭に決まっているでしょう!?」


「儂、そんなに匂うかの……。お主の鼻が超人的なのは先刻承知じゃが、それでも少々傷つくものがあるのぉ…………とうっ!」


「……ああ。別に体臭がキツいというわけではないので、そこは安心なさいな。単に野生の獣の匂いが、ごくわずかに……って! ちょっと、待ちなさいなっ!」


 話術でアリスの虚を突き、前方のS字カーブを曲がって消える六日見狐。

 今度はアリス、最初から大股の全力疾走で追う。


「ああもう……。わたくしをからかっていいのは、あらゆる世界において愛里一人だけなのにぃ……。もうっ、悔しい!」


 S字カーブに達したアリスを待っていたのは、女学生と車のイラストが描かれた、交通安全を啓蒙する小振りの看板。

 そのわきに、歩行者の飛び出しを運転手へ警告する、男児のイラストが描かれた立て看板……いわゆる「飛び出し坊や」。

 アリスは逡巡することなく、飛び出し坊やの首目掛けてサーベルを水平に振るう。


「その奇術、わたくしには無意味ですってば!」


 飛び出し坊やが芯ごと後方へ跳躍し、刃をすんでのところでかわした。


「……わわっ! 飛び出し坊やを、飛び退かせるでないっ! お主の嗅覚の鋭さは、ようわかったぞもう!」


 飛び出し坊やが宙で一回転し、再びバニーガール姿の六日見狐へ。

 剣を振りぬいて不安定な姿勢だったアリスが、全身をしゃきっと正し、サーベルを体の前に構える。


「よくもわたくしの愛里に化けてくれたわね……。その罪……万死に値しますっ!」


「おおこわ……。そのように鬼気迫る形相を浮かべては、皺が増えるぞい?」


「キーッ! その愛里を真似た憎まれ口も、即刻おやめなさいっ!」


「これは儂の地なのじゃが……。どうも愛里と儂は、まあまあ似ているようじゃの」


「ハッ……冗談よしなさいっ! 愛里はあなたのような獣臭い野卑な女と違って、気高くて、凛々しくて、そして……美しいわ。ハアアアァ……♥」


 アリスがサーベルを握る両手の握力を、わずかに緩める。

 五十年以上の時を経て、ついに踏み立った愛里の世界にいる幸せを、あらためて噛み締める。

 六日見狐は衣装の胸元のズレを正しながら、半ば呆れ顔でアリスへと問う──。


「……お主ら、親子ほどの年の差があるが、想いは絶対のようじゃの。もしよかったら、馴れ初めを聞かせてもらえんか? 興味あるぞい」


「フフン。自慢話として聞かせてあげたいのは山々なれど、話は五十三年前に遡るわ。語ってる余裕はないわね」


「……はて。あの愛里は三十路ほどゆえ、五十三年前にはまだ生まれておらぬのではないか?」


「フッフッフッ……。そこがわたくしと愛里の、世界をも時をも超えた、深い深い絆なのです。あなたのようなお子様には、夜を徹して語っても伝わらぬでしょうが」


「……ふむ。つまりお主の世界とこちらでは、時の流れが四倍ほど違うわけか。珍妙な話じゃが、妖狐の儂がツッコむのも……筋違いかの?」


「ど……どうしてその事情を、瞬時に理解できましたのっ!?」


「儂は見てくれは小娘じゃが、これでも五百年近く生きておる。そして空想話は大好物じゃ。わからいでか」


「そ……そう。子どもを殺めるのは、内心気が引けていましたが……。わたくしの何倍も高齢とあらば、遠慮は無用ですわねっ!」


「言うても見た目は、儂が断然若いがの。ほれ、ほうれい線もカラスの足跡もない、ピッチピチのお肌じゃぞい? さわってもよいぞ? その皺々の甲の手での。にょほほほほっ!」


「キイイィイイッ! 若さは単純な見た目では決まりませんっ! わたくしの魂は、いまだ十四歳っ! 年寄り染みた語りのあなたより、わたくしがずっとずっと若々しいと言えますわっ!」


「永遠の十四歳とは、ねえもびっくりじゃの。どれ、その強がりがどこまでのものか、試してやろうぞ──」


 六日見狐が白煙を発しながら、宙でくるりと一回転。

 煙が晴れたあとに現れたのは、バニーガールの衣装はそのままに、キツネの耳と一尾を生やしたアリスの姿。

 六日見狐は、六十七歳のバニーガールこと、アリスへと変化した。

 年寄りの冷や水……と言うほかない、己の大胆な姿を客観視して、アリスの顔が見る見る赤くなる──。


「な……なんですかその姿はっ! 人の容貌を辱めるとは、言語道断っ!」


「ほお……辱めるとな? つまりお主、このセクシーな衣装は、高齢の自分には着こなせない……という自覚があるのじゃな?」


「くっ……!」


「にょほほほっ! アリスは鏡の国にもくからのう。この変化は外せんぞい」


 アリスをからかい尽くした六日見狐は、いかにも満足げな笑顔を浮かべ、口内の犬歯を覗かせた。

 そして変化中のアリスの両胸へ両手をあてがい、付け根から強めに揉みしだく。


「ふむふむ……。この乳房、六十七歳とは思えぬほど張りがあるのぉ。愛里以外にはいっさい揉ませず、アンチエイジングに徹してきたか。まあまあ女盛りのものではないか」


「ひっ……他人ひとの胸を、許しなく揉むのはおやめなさいっ!」


「そして乳暈にゅううんは……ほほぉ! ナチュラルピンクはさすがに無理でも、この色みはなかなか──」


「──黙らっしゃい!」


 バニー衣装の胸元をめくって、乳頭の色合いを確認する六日見狐。

 辱めを受けてアリスは、怒髪天を突きながら六日見狐の心臓目がけ、勢いよくサーベルを刺突──。


 ──ザシュッ!


 六日見狐の体の中心を貫くサーベル。

 アリスは反撃を警戒し、サーベルから手を離して、すぐに後方へ跳躍。

 しかし六日見狐は、反撃も応急処置もする気配なく、佇んでアリスを向く。

 サーベルが刺さった胸元と突き抜けた背中からは、どす黒い瘴気が線香の煙のように、細く漂い始める。


「ほ、ほほぉ……。己自身の姿を……躊躇なく刺せるとは……の。気骨ある……軍人じゃな……」


「あ、あなた……。いまの一撃、本当は受けれたのでは……なくて?」


「さてのぉ……。そういうお主こそ、受けてほしかったのでは……ないかの……。この戦が、終われば……。お主たちは……元の世界へ……戻るのじゃろ?」


「…………恐らく、ね」


「お主は……愛里と長くいたいが、ゆえに……。この戦乱が、長く続けばよい……永遠に……終わらなければよい……と、思っておったのではないか? だらだら引き延ばそう……という考えが、頭の片隅にでも……あったのでは……ない……か?」


 六日見狐の体が、手先、足先、頭髪の先から、徐々に黒い塵と化していく。

 先ほどから浮かべ続けていた笑顔が、苦痛で端々から歪んでいく。

 それを見てアリスは己の勝利を確信し、せめてもの手向けに、本心を吐露──。


「ないわね、微塵も。わたくしたちの世界で愛里は、一分一秒でも早く争いを終わらせようと、必死に戦ってくれたわ。わたくしはその姿に、惹かれ続けたの。ですからわたくしの意志も、同じ。それから……」


「なん……じゃ?」


 足首から下が塵となって消失した六日見狐が、地に両膝をつく。

 アリスが険しい表情で歩みより、固い笑顔で見上げる六日見狐の顔を指さす。


「……あなたの変装、下手! わたくしの顔には、そこまで皺はありませんっ!」


「にょ、ほほ……強気……じゃのぉ……。儂の変化の術は、指紋から……肛門の皺まで再現するゆえ……それは……ないのじゃが……。お主……写真写りが悪いと、よく口にするタイプじゃろ……」


「うるさいわねっ! とっとと消えなさいなっ!」


「よいか……忘れるな……。儂の変化の術は…………じゃ。ここはテストに出るゆえ……よぉく覚えて……おくのじゃ……ぞ…………」


 ──ガランッ!


 重々しい金属音とともにアスファルトへ落ちる、アリスのサーベル。

 黒い塵の塊と化した六日見狐へ一陣の風が吹きよせ、海の方向へと散らした。

 それを見送ったアリスは、海を見て鼻をくんくんと鳴らす。


「……海際に、あと三体。まあ、年寄りが手を貸しにいくほどでもないでしょう」


 アリスはサーベルを鞘へ納め、踵を返し、愛里たちがいる本陣へと戻る──。

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