第066話 恋人・逆位置 -LOVERS REVERSE-(2)

「やああぁーっ!」


 小グモと化している千羽が、安楽女の頭を蹴って跳躍。

 エルゼルの頭上を越え、その背後にある樹上へ。

 そこから周囲の樹木、街灯、公園の遊具へと、糸を張りながら軽やかに跳ねて回る。

 エルゼルの頭上で不規則に交差する白く半透明な糸は、夏の日差しを浴びて鋭利そうにギラギラと輝いている。

 それに斬撃の性能があることを、エルゼルは一見で把握。


「こちらの跳躍を阻害……か。制空ワイヤーを張られる側になるとは、なんとも皮肉だな」


 戦姫團は蟲との戦闘時、蟲を飛翔させないよう、上空にワイヤーを展開した。

 その戦術を施される側となったエルゼルはふと、自分がこの世界では異分子──駆除される側の存在ではないか……と錯覚。

 ひとしきり巣を張った千羽は安楽女の頭上へと戻り、ポンっと着地。

 八本ある脚の前四本を高々と掲げ、勇ましく叫ぶ。


「……いいえ! これはジャンプを防ぐためのものじゃありませんっ! いきますっ! ダイス・ステーキ・シュレッダー!」


 エルゼルの頭上に網目状に広がった、切れ味抜群のクモの糸。

 それが千羽の掛け声、脚の振り下ろしととともに急降下。

 エルゼルの全身を細切れにしようと、真上から迫る──。


「くッ! 吊り天井か!」


 不規則な網目ゆえに隙間にバラつきがある、千羽が張ったクモの巣。

 最も大きな隙間をエルゼルは瞬時に見つけ、その直下へ移動。

 すんでのところで細切れを回避──。


「それで終わりじゃないですよっ!」


 千羽が前四本の足を再び掲げ、それを体の正面で合わせる。

 地面に落ちた巣が。開いた本を閉じるような挙動で、再びエルゼルを襲う。

 エルゼルはすぐさま松葉杖を地に置き、直近の四〇センチ四方の隙間へと体を向けた。


「ええいッ……通れッ!」


 両肩を限界まですぼめ、隙間の対角線に肩幅を合わせて、頭から隙間へと飛び込むエルゼル。

 髪の先端や巡査の制服の端々を裁断されながらも、ギリギリ潜り抜けた──。


「……ふう。退團してから少し肉がついたからな。肝を冷やしたぞッ!」


 エルゼルは着地後、横転しながら右腰の拳銃を抜き、すぐさま発砲。

 狙いは千羽の頭部。


 ──パアンッ!


 しかし不安定な姿勢からの射撃。

 射線が逸れ、その左前脚を一本吹き飛ばすに留まる。


「きゃあっ!」


 響く千羽の悲鳴。

 千切れた脚が、安楽女の眼前を落下。

 手繰られていた鋭利なクモの巣は、そのダメージによって硬質化が解け、ふわりと地へ落ちる。

 千羽が苦痛で震えているのを頭髪伝いに感じ取った安楽女は、エルゼルへ明確な殺意を宿した目を向ける──。


「おまえっ! 仕込み銃以外にも銃持っとるのはズルかぞっ!」


「……だから言っただろう。残弾数を教えるほど、お人好しではないと。警察官が銃を携帯するのは常識だしな」


 エルゼルは再び地を横転し、松葉杖を回収。

 膝の痛みを気取られぬよう、歌舞の経験を生かして姿勢よく立ち上がる。

 その間安楽女は、頭上の千羽を気遣った。


「千羽、大丈夫ねっ!?」


「はい……。脚一本、もげただけですから。そもそもわたし、一度死にかけてますし……これくらい平気です」


「そう、おまえは半分びと! もうわたしをカモフラージュするガワの役目もなかっ! 物言う神が降りてくっとを、わたしン中でおとなしゅう見とかんねっ!」


「いいえっ! わたしも一緒に戦いますっ! 死んだわたしの半分は、いまは安楽女さんなんですからっ!」


「千羽……」


「わたし、物言う神とか、この世の平和とか滅亡とか……正直もう、あまり興味ないんですっ! いまはただ、わたしの罪を被ってくれた安楽女さんの力になりたいんですっ!」


 生まれて初めてできた恋人……と思っていた男に弄ばれて悲観し、自殺未遂。

 息絶える直前に顕現した安楽女が、その体に入り込み、拾体の下僕獣の一斉蜂起の下準備に利用。

 その活動の最中で、千羽を弄んだ男を、己の体内で精製した猛毒で毒殺。

 クモの糸を用いて男が住むマンションの高層階へと侵入し、人間の痕跡を残さない完全犯罪を遂行。

 男は女性遍歴が派手であったことから、千羽へは捜査の手は及ばずじまい。

 安楽女にしてみれば、これから起こす宗教戦争のための準備運動であったが、千羽は強い恩義と貸借関係を覚えていた──。


「安楽女さんっ。毒、ちょっとお借りしますっ!」


 千羽が軽く跳ねてくるっと前後を入れ替え、安楽女の顔の前に太めの糸を垂らす。

 それが安楽女の下半身のクモの口へと、するりと入り込む……。


「なっ……!? 千羽、なんばすっとね! 下の口にれんと……んっ♥ もぞもぞせんとぉ!」


 千羽のクモの糸の先が、鋏角を擦って刺激。

 毒腺から強い神経毒が分泌され、糸に染み込んでいく。


「安楽女さんって、敏感なんですね……。軽くさわっただけで、もうこんなに濡れてます……あはっ♥」


「こ・(れ)・は・お・ま・え・の・体・や・ろ・う・が!」


「クモの部分は違いますよぉ! まぁそれはさておき……こちらも残弾数ガッツリでいきますよぉ! えーいっ!」


 ──ピピピピッ!


 エルゼルへと一直線に並んで飛ぶ、キラキラとした細い光の数々。

 半分読み、半分勘で、エルゼルはそれを松葉杖で受け止める。

 カカカカッ……と、小さな音が連続して鳴った。


「針……。いや……毒針か?」


 松葉杖は、針が刺さった周辺が深紫色に変色。

 それを見てエルゼルは、つぶやきに毒針という言葉をつけ加えた。

 千羽が自慢気に胸部を起こし、三本の脚を腕組みのように絡ませる。


「それはわたしの糸を、短く切ったものです。ちなみにわたしの糸は数キロメートル分、安楽女さんの毒は数万人分が精製可能ですっ!」


 その言葉に、安楽女も意気揚々と言葉を足す。

 それまであったエルゼルへの苦手意識を、吹き飛ばすかのように──。


そい(それ)に、わたしの脚も糸もまだまだあるけんねぇ! あんたもよう粘ったけど、このへんでしまい(終わり)たい! ハーッハッハッハッ!」


 エルゼルと安楽女たちの間に、形勢逆転の気配が色濃く漂う。

 観戦に徹していた砲隊長・ノアが、思わず剣に手を掛け踏み出す──。


「……團長ッ! 加勢しますッ!」


「来るなッ! 砲隊長の大柄な体格は、こいつらの糸による攻撃と相性が悪いッ! 持ち場に戻れ!」


「し……しかしッ!」


「多対多こそが、奴らに利するッ! 的はわたし一人のほうが、かえって戦いやすい! それに……おまえの砲撃の号令こそが、いまのわたしにはなによりものえんだッ!」


「…………わ、わかりましたッ! どうか……どうか無理をなさらずにッ!」


 後ろ髪を引かれる思いで、ノアが再び持ち場へと戻る。

 エルゼルはそれを横目で確認し、安楽女たちから意識を切らさずに思案。


(……それにつがいの蟲は、わたしにとって越えねばならぬ壁。この戦いは恐らく、偶然ではなく……必然だろう)


 蟲の軍勢との戦いで、双蟲の巨躯に挟まれ、絶体絶命を経験したエルゼル。

 だれにも他言していない、あのときの恐怖心と絶望感。

 それがときに、悔しさや不甲斐なさとなって蘇った。

 そして続けて思い出す、その窮地から救い出してくれた愛里の雄姿を──。


(……タヌキ女は、こちらではただの民間人だったな。フフッ……民間人に助けを期待するわけにもいくまい。やはりこの場は、わたし一人で戦い抜くッ!)


 エルゼルはまだ熱を帯びている拳銃をホルスターへと戻し、左手を空ける。

 武器を手にせぬことで、剣か、拳銃か、仕込み銃か、スリングショットか、あるいはまだ晒していない武器か……の迷いを、安楽女たちに持たせた。

 負荷が蓄積しだした左膝には、フラッシュバックによる幻痛ファントムペインではなく、現実の痛みが疼き始めていた──。

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