恋人・逆位置 -LOVERS REVERSE-

第065話 恋人・逆位置 -LOVERS REVERSE-(1)

 ──甲獣・阿鼻亀へと艦首を向ける護衛艦やはぎ。

 それを神の島公園から見下ろした砲隊長・ノアは、一旦砲撃を止める。


「ふッ……。ようやくこの世界の海軍も動き出したか。だが、なりこそ大きいが、やけにのっぺりした見た目に、装備はなし……。この世界、文明が進んでいるように見えて、戦備はわれら以下か?」


 もがみ型護衛艦を初めて目にした、前々世代の軍人の、しごく当然の感想。

 ステルス性能に特化した艦体に、令和日本の最新鋭の装備が凝縮された威容。

 加えて、進水式を控えての主砲未搭載。

 それを、海軍嫌いのノアに読み解く術はなかった。

 一旦ノアは展望台を離れ、エルゼルの戦況を見る。

 そこにはノアの視線を釘付けにする、エルゼルの華麗な雄姿があった。


「ハアッ!」


 松葉杖の石突を地に叩きつけて、しなやかに跳躍するエルゼル。

 安楽女の幾本もの脚による刺突を避けつつ、仕込み銃でその眉間を狙う。


 ──パンッ……ギンッ!


「くっ……!」


 安楽女は脚二本を眼前で交差させてそれを防ぐも、片脚の爪先が銃弾で欠ける。

 着地したエルゼル、瞬時に腰の剣を手にし、重心を低くする。

 秘剣・銀狼牙の初動。

 見抜いた安楽女は、残る六本の脚先を一点に集中させて地面を蹴る。

 そして腹部から粘着性のある糸を出しつつ、後方へと飛びのいた。


「同じ手、二度は食わんとっ!」


 網目状に地面へ敷かれた半透明な糸は、辺りの芝生の間を縫っており、常人には視認が難しい。

 エルゼルがそれらを踏めば足へと絡まり、動きを封じる。

 観覧車の回転をも封じた安楽女の蜘蛛の糸は、強靭にして柔軟。

 その巣へ獲物をおびき寄せるべく、安楽女は人間の両腕を前に出して手招きし、近接戦へと挑発──。


「そろそろ弾の切れるころじゃなかとね? フフン?」


「フッ……。戦場で敵に残弾数を教えるほど、お人好しではないが……。せっかくの心配に応えて、ほんの一部を見せてやろう」


 エルゼルは剣に添えていた手を放し、肩から掛けている警笛用のロープに繋がっている無数の球体を、四個手に取った。

 直径四センチほどの、金属製の球体。

 それを手品師のように掌で軽妙に弄び、五指の間に挟んで、ニッとほくそ笑む。

 安楽女もまた手品の観客のように、華麗な球さばきに目を奪われる。

 次にエルゼルは、左手で突いている松葉杖の上辺を、下から親指で弾いた。

 カバー状の構造になっていた松葉杖の上辺が外れ、中から幅のある黒いゴムが現れる。

 「Y」字状の上辺に張られた幅のあるゴム、そして鉄球。

 安楽女はすぐに、その正体に気づいた──。


「くっ……! スリングショットねっ!」


 エルゼルが力強く松葉杖を地に立てて固定し、スリングショットの初弾を放つ。

 戦姫補正を得た鉄球が青白い光球となって、弾丸のような勢いで飛ぶ。

 狙いは安楽女の顔面の中心。

 安楽女は先ほどのように、二脚を交差させてそれを防御──。


 ──バギャッ!


「ぐうっ!」


 蜘蛛の脚へめり込むように、鉄球が着弾。

 硬い皮膚に丸い窪みと、放射状の亀裂が刻まれる。

 仕込み銃をもしのぐ重々しいダメージに、安楽女の顔が歪む。

 その痛みが、第二撃、第三撃への警戒を強めさせ、安楽女はたまらず、上半身のガードに一脚を追加。

 その隙にエルゼル、次弾以降を安楽女の正面、その地表に三発放った。


 ──ドッ! ドッ! ドッ!


 およそ一メートル間隔で均等に地面へと撃ち込まれた鉄球。

 わずかに地表に顔を出したその上を、エルゼルが飛び石を渡るように駆ける──。


「秘剣・銀狼牙ッ!」


 叫びとともに、安楽女の真正面で横一文字の青白い剣跡が走った。

 安楽女の体を支えていた三本の脚のうち、手前の右脚が付け根付近で破断。


「あぐっ……!」


 体勢を崩した安楽女は、下腹部にある蜘蛛の顔を地面へとぶつけてしまう。

 残る五本の蜘蛛の脚すべてで、とっさに体を支える安楽女。

 その、上半身のガードがなくなった安楽女の首を狙い、エルゼルがすぐさま跳躍。


「もらった!」


「チイッ!」


 ──キインッ……ザシュッ!


 エルゼルの長剣が、安楽女の首へと達する──。

 刹那、わきから一本の硬い蜘蛛の糸が伸びてきて、剣筋をわずかにずらした。

 それにより、エルゼルの一撃は浅い裂傷を首に刻むのみに終わる。

 エルゼルは、かかとで地表の鉄球をテンポよく踏みながら、一旦後退。

 安楽女は、血の代わりに黒い瘴気を滴らせる首の傷を人間の手で抑えながら、眼鏡越しにエルゼルをきつく睨みつけた。


「……スリングショットで足場ば作ったとには、さすがに驚いたばい」


「フフッ。相手が持っている選択肢の外から、攻めるきらいがあってな。だがこれでもまだ、愛里のひねくれ具合に比べればかわいいものだ」


どげんして(どうやって)、草ン中に張った巣に気づいた?」


「ここらの芝生が、わたしがよく知る芝生に似ていたものでね」


「……あ?」


「ナルザーク城塞……。わたしが青春を過ごした、陸軍の城塞だ。そこには『戦姫の戦場いくさば』と呼ばれる、美しい芝生の一帯があってな。そこの芝生は揃って、太陽へ向けて葉先を掲げていた。ゆえに、おまえを中心に放射状にバラついた芝生を見て、違和感を持った」


 、戦姫團の拠点、要衝。

 そしていまエルゼルが立つこの地は、かつての、その一角。

 似た名前による言霊、芝生の同じ香りの記憶が、エルゼルへと力を与えている。

 安楽女も獣の勘で、この地が自分に不利なことを察した──。


(くっ……やぐらしか(面倒な)女ばい。癪けどこいつとは、相性の悪かごたる。ここは退いて、別の下僕獣ばあてがう? にしても……さっきの糸、なんやったとね。わたしは出しとらんけど……)


 そのとき、安楽女の下半身を形成するオオチツグモタランチュラと同じ姿にして、安楽女の顔ほどのサイズのクモが、その頭部にちょこんと乗った。

 その小グモから、若い女性の声が響く。


「……あれはわたしですっ! 援護しますっ! 安楽女さんっ!」


「おまえ……。まさか千羽ねっ!?」


「はいっ! 安楽女さんがアラクネの本性を現したとき、わたしも一緒に、小グモとして実体化しましたっ!」


 小グモと化した千羽が、腹部から白い糸をゆるりと紡ぐ。

 先ほどの鋼鉄のような硬い糸とは打って変わって、絹のように柔らかい糸が安楽女の首へ優しく巻きつき、傷口を塞ぐ包帯となった。


「千羽……」


 予期せぬ援軍と、応急手当。

 にわかに安楽女の各所のダメージの、痛みが和らいだ。

 一方、エルゼルの故障中の左膝に、鋭い痛みが走る。


 ──ズキンッ!


「つッ……!」


 膝の断裂時の記憶が、激痛という形でフラッシュバック。

 エルゼルはその不調を気取られぬよう、努めて冷静に直立を保つ。


(そう言えばあのときも……蟲のつがいが相手だったな!)


 一年前の、蟲の軍勢との戦い。

 二体一組で向き合って行動し、周囲の人間を翅の斬撃で斬り裂き、上部からの攻撃は計四本の鎌で迎撃する、死角のない強豪の双蟲、恋人ラヴァーズ

 エルゼルが己の左膝と役者人生を犠牲にして、勝利の糸口を掴んだ。

 そのエルゼルに、令和日本で、再びつがいの蟲が立ち塞がる──。


(……げんが悪い。新たに現れた個体は小さいが、いまので流れが変わった予感がする……。まずいな……)

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