第097話 グラウンド・ゼロ
フィルルの奥義、
長い手足と握力、全身の柔軟なバネ、それらをフル稼働させる双剣の居合斬り。
これまで数々の難敵を打ち破ってきた、常識外れの間合いの大技。
フィルルはいまそれを、刃物の投擲技として応用した。
「陸軍戦姫團團長、フィルル・フォーフルールの技の冴えっ! その巨体で、とくと味わいなさいなっ!」
一対の半月剣が、安楽女のクモの糸を引きながら宙を舞う。
曲線を描く動きで、青白い軌跡を記しながら、海上の阿鼻亀を急襲。
円形の甲羅から伸びる六本の脚、そのうちの向かい合う脚二本に突き刺さる。
──ザシュッ! ザシュッ!
突然の激痛に、阿鼻亀が負傷した二脚を慌てて収納。
そして残る四脚で、がむしゃらに暴れ回る。
阿鼻亀を中心に、不規則な大波が四方八方へ拡散。
糸を縛りつけている女神大橋が、わずかに揺れる。
フィルルは橋の縁に立ったままで、動揺することなく阿鼻亀を観察。
「上手いこと剣が、大ガメの体内へ収納されましたわ。しかも剣の反りが、釣り針の返しのような働きをしているようです」
右隣りに立つステラも、橋の揺れに臆せず目視を継続。
「糸も切れる様子はないですね。下僕獣を下僕獣の糸で捕らえる。姉弟子の妙案が生きました。ですが……」
「……問題は、橋の強度ですわね。落ちたら落ちたで下敷きにできるか、海中で重しになるか……ですけれど。わたくしたちの離脱の猶予だけは、見誤らぬよう」
「奴が体勢を崩し、腹部の顔を見せれば、わたしがとどめを刺すのですが」
クモの糸から逃れようと、阿鼻亀は無傷の脚四本をでたらめに動かした。
それらにもクモの糸が絡みつき、拘束。
次第に阿鼻亀全体へ糸が張り巡らされ、吊り上げている糸も短くなっていく。
絵に描いたような自縄自縛。
ついに阿鼻亀の巨体が、海面よりわずかに浮いた。
それまで海中に分散されていた阿鼻亀の重みが、女神大橋へと集約──。
──ズズンッ!
これまで微振動だった橋の揺れに、大きな縦揺れが加わり始めた。
四車線のうち、阿鼻亀を吊り下げている沖側の片道二車線が、わずかに傾く。
パトカーに乗り込んでブレーキペダル踏みっ放しの警部補が、運転席から叫んだ。
「おいっ! いいかげん逃げねーと橋落ちるぞっ! おまえらさっさと乗れ!」
フィルル、ステラ、シー、天音の体は、警部補の声に反応しない。
蟲の軍勢と戦った軍人たちと、天草の乱一揆軍の総大将。
橋が傾いた程度では動じない。
天音が意を決した表情で、左隣のステラを見る──。
「……ステラ。阿鼻亀がもう少し吊り上がったら、ボクが飛び降りて糸を一本斬る」
「吊っている糸を一本にすれば、奴の体勢がいまの水平から垂直になり、弱点の頭部が露見……というわけですね」
「うん。とどめをきみに託したい。頼める?」
「妹弟子の頼みなので、受け入れたいところですが。その役回り、逆が良いでしょう」
「ステラが糸を斬って、ボクがとどめ……ってこと?」
「はい。わたしの武器、
「刺突……か。うん、わかった。奴の頭、必ず貫いてみせる」
「チームとんこつ改……でしたか。即興のチーム結成でしたが、最後の最後で、見せ場が来ましたね」
「リーダーのリム考案の作戦で、ステラとボクの連撃。きっと上手くいくよ。うん」
視線を合わせ、阿吽の呼吸で頷き合う二人。
顔を上げたとき、二人の唇にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
そのわきで阿鼻亀を凝視していたシーが、その眼力を発揮──。
「ふーむ。斬るなら向かって左側の糸でしな。糸の絡まりのバランス的に、腹部が橋の下を向かないのは左側でし」
阿鼻亀へ複雑に絡みついた糸の比重を、異眼で読み解いたシー。
その小さな肩へ、フィルルが背後からポンと手を乗せた。
「さすがは陸軍研究團・異能『目』。あとはわたくしたちの仕事。あなたはあの警察車両で、先に避難してくださいな」
「おりょりょ? 團長殿も残るのでしか?」
「團長だから残るのですわ、クスッ。それに大ガメへ突き刺した剣、気に入っておりますの。回収しませんとね」
「ほほう。蟲との戦いでエルゼルちんが、あちしだけは必ず助けると言ったことがあったでしが……それを思い出したでし。新しい團長殿も、さっそく頼もしいでしな! ではでは、ご武運を!」
シーが萌え袖の両手を頭上でブンブンと振って、横並びの列から離脱。
同時にステラが、跳ぶ──。
「では……いきます」
高々と海の上へ跳躍したステラの体が丸まり、高速で前転。
蒼い球体と化して、垂直に落下。
「富嶽断っ!」
阿鼻亀を吊るしている二本のクモの糸。
うち左側を降下しながら切断。
海面へと接した際、斬撃が海水をわずかに切り裂いて、飛沫を派手に上げた。
その飛沫に乗ってステラがバウンドし、ダメージなく足から着水。
一方の阿鼻亀は、吊る糸が一本になったことで、ぶらんと垂直の体勢になる。
海から顔を上げたステラの目に、阿鼻亀の腹部に埋まっている頭部が映る。
それを見て天音が、海側へ背を向けて宙へと続く──。
「いっくぞーっ!」
──同時に、パトカーの後部座席へシーが飛び乗った。
警部補が即座に、ブレーキペダルから足を離す。
「よっしゃ出すぞ! ひとまず、橋の外まで…………うわあっ!?」
──ドンッ!
走り出したパトカーの屋根で、なにか重い物が圧し掛かる振動、音。
開けっ放しだった運転席の窓から、黒く毛深い蟲の脚が車内へ侵入。
その鋭く尖った先端を、警部補の喉へと突きつける。
「なっ、な……なんだぁ?」
「橋の外と言わず、もっと走ってくれんね。そうねぇ…………爆心地公園。原爆落下中心地まで……ハハハハッ!」
パトカーの上部へ落下し、へばりつく安楽女。
フィルルたちに気取られぬよう橋の裏側から接近し、人知れず小グモを回収。
糸を消費し、皮一枚のように薄くなった繭の中で、弱りきった小グモこと千羽。
それを大事そうに左腕で抱えつつ、脚で警部補を脅迫する安楽女。
警部補は一旦服従し、パトカーの速度を落とすことなく女神大橋を通り過ぎ、松山町方面へとハンドルを切った。
──長崎市松山町・爆心地公園。
原子爆弾が上空で炸裂した地点、
そして、「物言う神」を顕現させるための円陣の中心地点──。
「こうなったら残っとる人間ば手当たり次第に殺して、わたしだけで戦争すっさ! まだ死なんとよ千羽……。『物言う神』ば、見せてやっけんね!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます