第046話 陸軍研究團・異能「知」 アリス・クラール

 ──陸軍戦姫團・長崎陣地。

 戦姫補正を得たトーンの聴力、そしてSNS上から愛里は武蔵出現を把握。

 フィルルの召喚を即断した。


「拾体の下僕獣、最後は宮本武蔵……の複製体か。巨大カマキリの次はクローン武蔵って、どっかで聞いた話ね~」


「右衛門作さんは島原の乱で、ボクを斬首したあと武蔵と立ち合ったそうです。いわく、鬼神の剣。それで人間ながら、下僕獣に採用した……と」


「右衛門作、武蔵相手に無事だったんだ?」


「護身用の妖術画を、いくつか忍ばせていたそうで。絵から出した投石で奇襲し、逃げおおせたそうです」


「ほ~。武蔵が一揆軍の投石で戦線離脱したの、一応史実だったんだ。あっ……話ちょっと中断」


「はい?」


「……尿意湧いたから、お花摘みに席外すわね。すぐすませるから、あははっ」


 照れ笑いを浮かべながら、いそいそと繁みの奥へと消える愛里。

 天音は上半身を捻って、苦笑いをリムへと向ける。


「ハハッ……。尿意って言っちゃったら、お花摘みの意味ないのになぁ」


 野外での排泄の隠語、「お花摘み」。

 話題を振られたリムが、手に絵筆を握ったままでにっこりと笑う。


「ウフフフッ♪ あれはわざとですよ、天音さん。あ、わざとじゃなくってきっと、自然にああいう言い回しが出るんです。お師匠様は」


「無意識で、場を和ませてるってこと?」


「はい。わたしたちの世界の戦いでも、ずっとそうでしたから」


「ふーん……。やっぱり大人物みたいだね、師匠さんは。で、あそこの彼女が、向こうの世界で、リムが好きな人……かな?」


「えっ……?」


 天音が形よく尖った顎を向けた先。

 そこには聴音壕の縁に腰かけ、中のトーンと楽しげに話すラネットの姿。

 予備役兵ととんこつラーメン屋の二足のわらじ生活を送るラネットは、久しぶりに会ったリムの目に、以前よりもたくましく、青年っぽく映った。


「あ、あ、ああぁ……いえ、そっ、そんなことはっ! 彼女……ラネットさんとは、一緒に替え玉じゅ……いえいえっ! を、一緒に頑張った仲でして!」


 リムの頬がたちまち真っ赤に染まり、その上気で眼鏡のレンズがうっすら曇る。

 態度で肯定したリムを、天音はからかうことなく会話を継続。


「それが、ってわけかぁ。リムには気の毒かもしれないけど、ラネットに恋人がいてくれてよかった。だってボクが、リムの恋人に名乗りを上げられるからね。フフッ……」


「あ、天音さんって……こっちの世界の、歴史上の人物みたいですけど……。意外と軽薄なんですね?」


「そんなことないよ。恋に憧れてる、普通の女の子さ。ねえ、この戦いが終わったらさ。また……デートしてくれる? さっきは途中で邪魔入っちゃったし」


「い、いいですけど……。もう観覧車はイヤですよ?」


 リムは不機嫌そうに唇を尖らせながらも、頬の赤みを抜かないまま、デートの誘いを快諾。

 天音もうっすら頬を赤くしながら、全身をリムへと向けた。

 そんないい雰囲気の二人に、スッ……と愛里が接近し、天音を見下ろす。


「こーら、天音。不吉なフラグ立ててんじゃないわよ」


「わわっ、師匠さん。お早いお帰りですねっ?」


「年取っちゃうとさ~。排尿って、量より回数なのよね~。というわけで、これからもちょくちょく消えるかもだけど、まあよろし──」


 ──ゴッ!


 おどける愛里の脳天へ、背後から勢いよく振り下ろされる拳。

 愛里が痛みで頭を押さえ、しゃがみこむ。

 その背後にいたのは────愛里。

 愛里が愛里へ、拳骨を振り下ろしていた。

 二人の愛里の出現に、場の一同、目を丸くして驚く。

 殴った側の愛里が、両手を腰に当てて胸を反らす。


「アンタたぶん……さっきの妖狐でしょ! 六日見狐って名前は、日見峠の化け狐の伝承から来てたのねっ!」


 一方の殴られたほうの愛里。

 涙目をしばしばさせながら立ち上がり、もう一人の自分と対峙。


「いたたた……。不意打ちとはひきょうな……っていうか、その手ちゃんと洗ったんでしょうねっ!?」


「ふんっ! さっきの『排尿は量より回数』云々の下りは、まあまあわたしっぽい口ぶりだったけれど! おあいにくさま、わたしは溜めて一気に出す派なのよ!」


「そっちこそ、それっぽい語りしてんじゃないわよっ! だいたいねぇ、本物のわたしなら拳骨なんてせず、浣腸第二関節突きで尻尾の尾骨粉砕してやったわ!」


 向きあって罵倒を始める二人の愛里。

 天音がリムの横に並んで、そっと尋ねる。


「……リム。どっちが本物の師匠さんか……わかる? 六日見狐にはへん能力あるから、どっちかが六日見狐だと思うけど……。ボクは師匠さんと知り合ったばかりだから、なんとも……」


「え、ええと……。見た感じ、どちらも本物っぽいんですよねぇ。見た目もですけど、口調も……。でもお師匠様は口が達者ですから、偽者がすぐにボロを──」


 ──ガサガサッ……パキッ!


 藪を鳴らす音が、リムと天音の会話を遮る。

 藪の中から現れたのは、第三の愛里──。


「あー……こらこら。偽者同士で騒がないの。わたしに化けて、指揮系統乱すつもりなんだろうけどさぁ。いろいろ雑なのよねー。なりチャのレベルで模倣が雑」


「「本物オリジナルに向かって、なにが雑ってのよ!」」


「上から下まで違ってるさあ。わたしは八八・六〇・九〇よ」


「「この貯金たっぷりぶよんぶよんウエストのどこが六〇なのよっ! まあ、この修羅場に某宇宙海賊ネタぶっこんできたのは評価するけどっ!」」


 先にいた愛里二人が、同時に己の腹部の贅肉を掴んで、むにむにと蠢かす。

 それを見てリムがしかめっ面になり、ベレー帽の上から頭を押さえる。


「うわぁ……。どれもお師匠様ムーブ全開で、見分けつかないです……。ステラさんは……どうですか?」


「……わたしにもまだ、判断つきかねます。ですが、姉弟子たちの替え玉受験とは違い、変装ではなく複製……と言えるでしょう」


「わっ、わっ! 替え玉の件は、天音さんの前ではどうか内密に……。そ、それで……。変装ではなく複製……というのは、いったい……?」


「全員、そばかすの位置がまったく同じです。ただの変装では、そこまでの再現は無理でしょう。拾体の下僕獣とやらが妖術で創り出した、複製体かと」


 そのステラの発言に、三人の愛里が同時に耳をピクピクさせた。

 三人が横並びでステラの真正面に立ち、そしてしゃがむ。

 その三人の背後に、さらに三人の愛里が現れた──。


「「「「「「アンタわたしのそばかすの位置、ぜんぶ把握してんのっ!?」」」」」」


「ええ、尊敬するお師様の顔ですから。天体観測者は、季節ごとの星の位置をすべて把握していると言いますし、それに比べれぶああぁああぁああっ!?」


 ──計六人の愛里。

 それらからいっせいに注視され、さすがのクールビューティーのステラも目と口を全開にし、吃驚。

 それでもなお軍人、しかも上官としての冷静さを最低限保ち、愛里へ問う。


「お、お……お師様へ、質問です。お師様がわたしへ授けてくれた、奥義の名前……。それを、お聞かせください」


 令和日本では愛里しか知りえない、異世界での出来事を質問──。

 ステラの機転に、リムが「さすがです!」と内心で賛辞。

 問いに六人の愛里が、いっせいにがなりたてる。


「ごめーん、忘れちゃった。わたし、格ゲーの必殺技名とか覚えないタチだから」

「えっ? 命名したの、わたしじゃないでしょ?」

「はぁ? 三日三晩悩んだスタイリッシュな名前あるでしょ! アンタ偽者ね!」

「ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロック! もち覚えてる!」

「あっ、また尿意が……。答えるの、あとでいい?」

「だーからわたしは溜めに溜めてから一気に出す派だってーのっ!」


 同じ声が重なり合い、聞き取れなくなる。

 六行分の文章を一行に重ねて書いたものが、読み取れないかのように。

 それでもステラは、かろうじてそれぞれをうっすら聞き取っていた。


(奥義の名は、富嶽断。正解者はいなかった。ただ……「命名したのはわたしじゃない」という回答があった。そう。正確にはお師様の独り言から、わたしが拝借した

技名……。だから正解とも言える。これは……質問が悪かった? でも、どのような質問だろうと、いまみたいに偽者に声を被せられたら、看破は難しい……)


 一旦思案に陥るステラ。

 その間、この場にいるもう一人の秀才、リムは筆を動かしていた──。


「お師匠様のことならば……この人っ! この人よりほかに……ありませんっ!」


 スケッチブックにとある人物を描き、署名を入れるリム。

 六人の愛里たちの前に、白い光の柱が静かに立つ。

 その柱を抜けて、白銀の長いツインテールを背へ垂らした、老齢の女性が現れる。

 口の両脇にくっきりとほうれい線を刻みながらも、その顔、その瞳には生気が満ちており、背筋もすらっと伸びて、老化という生理現象を最低限に抑えている容貌。

 細い腰、細い四肢は痩せこけたものではなく、若き日から維持し続けたスタイル。

 濃紺色のワンピースと純白のシャツを組み合わせた、こちらの世界でいうシスターのような衣装。

 陸軍研究團・先代異能「鼻」にして現在は異能「知」、アリス・クラール。

 六十七歳ながら、「心は永遠の十四歳」と言い張る、愛里の恋人──。


「フフッ……。ついにあなたの世界へ来れたわね、メグ──」


 アリスは感慨深げに、令和日本の青い空を眺め、瞳を細める。

 それからすぐに顔つきを険しい軍人のものとし、正面の愛里を見る。

 そして「くん……」と場の空気を一嗅ぎしてから、大きな溜め息を一つ。


「ふううぅ……」


「「「「「「……?」」」」」」


「ああ、獣臭い。野ギツネの匂いばかりが、辺りに充満してる。そもそも……」


 そこでアリスは言葉を途切れさせ、愛里の一群を左から右へと睨みつける。


「……そもそも本物の愛里ならば、わたくしを目にした瞬間に駆け寄り、強く抱き寄せ、わたくしの名を耳元で囁いたあと、熱い口づけをくれるわ! この中に本物の愛里はいませんっ! すべて偽者ですっ!」


「「「「「「……………………」」」」」」


 六人の愛里はそれぞれ無言で顔を見合わせたあと、数秒硬直。

 のちそれぞれが、ポップコーンが弾けるような軽快な音を鳴らしながら、白い煙に包まれる。


 ──ポンッ!

 ──ポンッ!

 ──ポンッ!

 ──ポンッ!

 ──ポンッ!

 ──ポンッ!


 煙の中から現れたのは、一体一尾の、六体の六日見狐。

 声を合わせて、満面の笑顔で叫ぶ──。


「「「「「「大当たり~!」」」」」」

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