第041話 陸軍戦姫團・砲隊 ディーナ・デルダイン

 ──長崎県・大村湾。

 陸地に囲まれ、外海がいかいとの繋がりは西海橋が架かる細口の針尾瀬戸と、いくつかの河川のみという極めて閉鎖的な海域。

 イルカの仲間であるスナメリが定住していることでも知られるこの湾に、存在しえない生物が現れた。

 巨大なシャチ、海獣・磯撫いそなで

 海面に大きなうねりを広げ、黒い背中を下に、白い腹部を上にして跳躍。

 クジラ、イルカの仲間が見せる「ブリーチ」と呼ばれる行動。

 その威容をまざまざと人間たちへ見せつけたあと、背中から海中へと消える──。


 ──ザパアアァアアァアアン!


 勢いよく水柱が立ち、細かい水しぶきを周囲の陸上へと届かせる。

 その塩っけは、針尾無線塔上のムコとユーノの鼻にも届いた。


「……獣くさい。あれが海の獣……クジラ。初めて見る」


「あれは体の模様からして、クジラではなくシャチですねぇ。で、どうします? 二手に分かれます?」


「いまはここの制空権確保が先かと。……愛里メグリさんっ! こちらの近海に、巨大なクジラ……もといシャチが出現っ! 叶うならば増援を頼みますっ!」


 ムコの呼び声を、聴音壕のトーンがキャッチ。

 愛里が急ぎ、SNS上に流されている海獣・磯撫の姿を確認する。


「これってもしかして……磯撫?」


 スマホを隣りから覗き込んだ天音が、愛里へ頬ずりするような体で回答。


「下僕獣の一体、磯撫ですね。師匠さん、ご存じなんですか?」


「九州沿岸に出没する、シャチの妖怪。ほら、尾びれ見て」


 愛里が動画を停止させ、宙に舞った磯撫の尾びれを拡大表示。

 その尾びれには、とげ状と化した皮膚のささくれ痕が、おろし金のように無数に並んでいる。


「これで敵を撫でる……ズタズタに引き裂くのよね。確か、島原の乱のもっとあとの創作妖怪本に出てくる奴だから、名前が一緒なのは偶然かしら」


「下僕獣の妖術画がいつごろ描かれたかは、右衛門作さんが消えたいま、知る由もないですが……。似ている妖怪があるからと言って、同一視は危険ですよ」


「そうね。しかし……相手は海かぁ。大村湾ってあちこち浅いらしいから、この巨体だと移動範囲も限られてそうだけど……。砂浜を這ってアザラシ捕食してるのテレビで見たことあるし、油断は禁物ね」


「……悪喰同様、斥候をつけたほうがよさそうですね」


「そうなんだけれどさぁ……。戦姫團って陸軍だから、相手が海だとねぇ……。水陸機動団的な組織は、なかったわよねぇ」


 目頭を指で押さえて、思案の愛里。

 天音が接している側と反対の頬へ、ステラが頬をつけてくる。


「……お師様。わが團には一人、海戦に通じている変わり者がおります。覚えはありませんか?」


「変わり者……。アンタも含めて、変わり者じゃない子探すのが難しそうだけど……って、いたいた! 水路に野砲浮かべて、山の上で無理くり艦砲射撃行った、水兵服の子ね!」


「はい。砲隊の測距兵、ディーナ・デルダインです」


「よーっし! 磯撫には、その子についてもらいましょっ! リム、そのディーナって子、描けるっ!?」


 愛里が左右の少女の頬を掌で押し戻しながらリムを向く。

 ディーナという名前に呼応してリムの脳内に、城塞内の浴場で間近に見た豊満なバストが思い出された。

 次いで、城塞内の水路を全裸で泳ぐディーナの見事なモデル体型と、それにやや不釣り合いな、少女のままのあどけない陰部も、まざまざと脳裏に蘇る。


「あ、はい……。ディーナさんはご立派な裸体をたびたび拝見したので、よ~く覚えてますね。アハハ……」


「それじゃあ召喚場所は、ここでおねが…………あ、ちょっと待って」


 愛里が召喚先の景色を映したスマホを提示したのち、慌てて引っ込めた。

 すぐに指先で操作し直し、別の画像を探す。


「……堂崎の発射試験場、バリバリの現役だから戦地にするのマズいか。このバケモノ、巨大な海獣だし……。召喚場所は、お向かいのこっちで!」


 ──東彼杵郡川棚町・片島。

 約百年前に建造され、魚雷の品質チェックが行われていた片島魚雷発射試験場。

 現在は片島公園として整備されているその地には、いまも施設群が色濃く遺る。

 中でもひときわ目を引くのが、コンクリート製の壁に四方を囲まれた、空気圧縮ポンプ室の建物。

 屋根が完全に崩落し、青空を覗かせているその屋内では、太い樹木がそびえる。

 その屋内から白く柔らかな光が生じ、空へと立ち上る。

 そして光の中から現れる、水兵服に身を包んだ、クリーム色の長髪の少女──。


「んん~っ! いい潮風です~っ! でもわたしが知ってる海に比べて、塩っけちょっと薄めです。戦姫さんの世界の海……ですねっ!」


 陸軍戦姫團・砲隊所属、ディーナ・デルダイン。

 陸軍組織の入團試験の場へ海軍の制服を模した格好で現れ、歌唱試験では海軍軍歌を歌い、海軍嫌いの砲隊長・ノアをしばしば激怒させたお騒がせ受験者。

 いまはそのノアの部下として、測距の技術を磨いている。


「ここは……魚雷を扱う施設の跡ですか? 屋根がすっぽり落ちてるですね~」


 魚雷や砲弾を扱う施設は、万一の暴発事故に備え、外壁はコンクリート製、屋根は木造か簡素なコンクリート製の造りにされていることがある。

 これは爆発の衝撃を真上へ逃がし、周囲への被害を軽減させるための構造だが、現役の軍人であるディーナは、すぐにそれを見抜いた。


「久々の水兵服もうれしいです~。城塞でこれ着ると、砲隊長に殴られちゃうですし~! にいさん……異世界でも一緒ですっ!」


 ディーナがいま着用している水兵服の、左乳房の上にあるシャチのアップリケ。

 それがあたかも泳ぐように、豊満な乳房の揺動を受けて、軽快に跳ねた。

 海軍兵として、駆逐艦に乗艦していたディーナの兄。

 演習中の僚艦との衝突事故で海へ投げ出されたのは、ディーナが十二歳のとき。

 いまだ生死不明。

 慕う兄の海軍帽の裏へ、ディーナがこっそりと縫いつけたシャチのアップリケ。

 それとお揃いのものが、ディーナの衣装に縫いつけられている。

 ディーナは入團試験の際、いわば兄の化身であるアップリケを従者として紹介したが、砲隊長・ノアは「爆乳を自慢した」と解釈したため、トラブルに発展した。

 その誤解は、いまだ解かれていない。


「にいさんは……絶対、絶対生きてるですっ! こんなふうに……別の世界へ行ってるかもしれない……ですっ!」


 ぎゅっと両拳を握り締めたディーナが、短パンから続く鮮やかラインの脚で歩みだし、空気圧縮ポンプ室跡の外へ。

 目の前に広がるは、漁船が居並ぶ浅い海。

 周囲を山々に囲まれた、閉鎖的な港の一角。

 そこと繋がる大村湾を我が物顔で泳ぎ、背中の鼻から潮を吹く海獣・磯撫──。

 巨大なシャチの怪物の威容を遠くに見て、ディーナは左乳房の上のアップリケを、そっと右手で覆う。


「あれが……。わたしが倒すべき敵……ですね!」


 常に温厚なディーナが、吐き捨てるように言い放つ。

 それに伝令兵のラネットが応じた。


「ディーナさん、いまは倒さなくてもいいですっ! 対抗策ができるまでの間、あなたには斥候を頼みますっ!」


「任せるですっ! ……で、わたし用の艦艇はどこですっ!?」


「えっ……? あ、いや……そのぉ……。この世界の軍……自衛隊って組織だそうなんですけど。そちらとはまだ連携取れてなくて。しばらくは陸から、そこの怪物を監視してほしいな……と」


「ええ~っ!? それでは索敵の意味がないで…………あっ!」


 空気圧縮ポンプ室跡の前に立つディーナの右手に、白銀に光る小型艇が浮かぶ。

 防波堤の先端に係留された一人乗り用のそれは、あたかも主を待っているかのように、舵輪を空けている。

 ディーナは一も二もなく、それへと駆けだした。


「ちゃんと船用意してあるですねっ! 任せるですっ!」


「えっ!? あの……ディーナさんっ!?」


 ラネットの声を振り切り、防波堤の上を駆けるディーナ。

 その防波堤は、いわゆる軍艦防波堤。

 退役した軍艦を基礎にして、コンクリートで塗り固めて再利用した防波堤。

 北九州港の、駆逐艦「涼月」「冬月」「柳」三隻による軍艦防波堤が有名だが、当地にも樺型駆逐艦「樺 」の軍艦防波堤が存在している。

 その軍艦防波堤が、この地を下僕獣の脅威から護れと言わんばかりに、ディーナへ小型艇を用意していた。

 言わば駆逐艦「樺 」の後継者──。

 オープンエアーの、フィッシング用の小型ボートじみた体裁ながら、機動性の高さを伺わせるシャープな印象のその船体へ、ディーナは躊躇なく飛び乗る。


「ふんふん……。武装は後部の軽機銃だけですが、そこは腕でカバーするですっ! 船名は……最新鋭戦闘/索敵艇・シルバーブレード! いざ抜錨ばつびょう……ですっ!」


 コンパクトな船体に見合う小振りのいかりを、意気揚々と揚げるディーナ。

 それから左掌をアクセルレバーに添え、右手で舵輪を軽快に回し、出撃──。

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