第039話 陸軍戦姫團・歩兵隊 イッカ・ゾーザリー

 ──稲佐山公園・シカ牧場。

 巨大カスミサンショウウオの下僕獣・悪喰が、シカの群れを捕食せんとフェンスにのしかかろうとする。

 そこへ一人の若い女性市民が、体を震わせながら駆け出す。


「やめてっ! その子たちを食べないでっ!」


 グレーの作業服に身を包んだ、牧場の若き飼育員。

 フェンスの中で逃げまどうシカたちを見て、思わず悪喰へと飛びだした──。


「この春生まれたばかりの子もたくさんいるのっ! 食べないで、お願いっ!」


 悪喰から十数メートル離れたところから、飼育員が涙ながらに叫ぶ。

 恐怖の涙と、対抗手段を持たない非力な自分への悔し涙が半々、瞳に溢れていた。

 飼育員は両手を大きく広げ、悪喰の気を自分へと引く。

 功を奏して、悪喰の捕食対象が飼育員へと変わるが、彼女にとっては奏功とは言えない状況。

 背の低い雑草が茂る地面を這って、巨体が飼育員へと迫る──。


「きゃああぁああぁああっ!」


 ──ザシュッ!


 悪喰の両後脚が、中ほどから切断される。

 長い尾を支える力を失った悪喰が、そこで移動停止。

 切断された両後脚は、右衛門作の死に際のように、炭のような黒い塵となって風に流された。

 悪喰の背後から一人の女性剣士が現れ、飼育員のわきへと迂回で駆け寄る──。


「まったく……。あいつがシカ食べてる間、生態を観察するつもりだったのに……。よけいなまねしてくれたわね」


 半閉じ……いわゆるジト目で飼育員をいまいましく睨みつける、女性剣士。

 陸軍戦姫團・歩兵隊所属、イッカ・ゾーザリー。

 かつての戦姫團入團試験においては、替え玉受験トリオと比較的友好関係にあった少女。

 いまは剣術を主体とする歩兵隊に所属している。

 長剣を体の前に構えて警戒するイッカに、右手後方から飼育員が物言い──。


「そ……そんなっ! シカあの子たちを、見殺しにしろって言うんですかっ!?」


「そうだけど? あいつがシカを捕食してる間は、人間の安全が保証される。満腹でしばらく動きを止めるかもしれない。奴の攻略の糸口が、見いだせるかもしれない。このシカ用のフェンス内に閉じ込めることも、できるかもしれない。ベストな判断だと思うけれど?」


「シカの命も、人間の命も……みんな平等ですっ!」


「じゃああなたは、『あのような巨大な両生類は希少だから保護しろ!』って人が現れたら、どう反論するの? 両生類の命は軽いから殺すべきって、言うわけ?」


「そっ……それは……。あの……」


「……フン。戦争っていうのはしょせん、自分が守りたいものを守るだけの、エゴのぶつけ合い。そこできれいごとを言うのは、偽善者という名のクズ。自分はそうじゃないって言うのなら、あのバケモノと戦って、倒してみせなさいよ」


 イッカが己が握る長剣の柄を差し出し、飼育員へ握らせようとする。

 飼育員は震える両手でそれを掴もうとするも、中途半端に開いた十指を、宙に留まらせてしまう──。


「うっ……ぐす……。あぐっ……ひっ……ひっ……」


「結局一番かわいいのは、わが身ってことね……はぁ。でもまあ、それって正解。恥じることないわ」


「えっ……?」


「手を血で染め続け、重いとがを抱え続け、それでも民間人のために戦うのが軍人っ! あたしたち、陸軍戦姫團っ! こういう損な役回りの人間いなきゃ、世の中って回らないのよっ!」


 イッカが剣を構えて、真正面から悪喰へと駆ける。

 全身に、妹のイッカを蟲から奪還した際の胆力がみなぎる。

 握る長剣全体が青白い光を放ち、刃渡りを延長させる。

 後脚を失った悪喰は、いま動けない──。

 そう判断して斬りかかるイッカの目論見が、瞬時に裏切られた。


「──なっ!?」


 悪喰の両後脚が、みるみる再生。

 イッカを捕食せんと、まっすぐ向かってくる。


「くっ……! なにあの異常な生命力っ!? ラネットから、再生能力あるはずだからじっくり観察しろって伝令あったけれど……。あれじゃ実質不死身じゃない!」


 足を止めたイッカの目前に迫る、両獣・悪喰の丸い口。

 瞬間、イッカの体をわきから抱きかかえ、苦境から離脱させる者が現れる──。


「……ギャンさんっ!?」


「自分が守りたいものを守るだけの、エゴのぶつけ合い……。ほんっとそうね、戦争って。だから軍人のわたしも、いまそうしたわ。イッカはわたしの、大切な女の子だもの……ね♥」


「ギャン……お姉様ぁ♥」


 橙色のウェービーヘアをなびかせて現れたのは、歩兵隊所属、ギャン・ダット。

 イッカの一期前の入團者。

 左目の下にある赤っぽいホクロが特徴的な以外は、さりとて秀でた面のない兵。

 強いて特徴を挙げるなら、前年の入團試験で偽受験者を演じたことくらい。

 そんなギャンだが、イッカにとっては特別な存在。

 イッカの憧れの先輩であり、かつての入團試験においても、陰ながらその合格に助力している──。


「……イッカ? わたしたち戦姫團は軍人であると同時に、軍の広報部隊でもあり、歌劇團でもある。たとえ異なる世界であっても……。いえ、だからこそ、無様な戦いは見せられないわっ!」


「はいっ!」


「野生の動物は弱肉強食と割り切るしかないけれど、ここで育てられている家畜は、できるだけ守ってあげましょう。わたしとあなたのコンビネーションなら……それができるっ!」


「は……はいっ! ギャンお姉様っ!」


 ギャンが着地し、脇に抱えていたイッカを地に下ろす。

 二人は距離を置いて並び、同じタイミングで正面に剣を構えた。

 阿吽の呼吸で、二人同時に悪喰の両前脚を斬り落とす仕掛け。

 その二人の耳に、ラネットの声が届く──。


「──イッカさん!」


「なあに、ラネットっ!? まだなにかっ!」


「追加の伝令ですっ! そのサンショウウオの化け物、真っ二つに……」


「均等に真っ二つにしたら、最悪二匹に分裂する……でしょっ!? 質量多いほうの部位が、再生するっぽいものね!」


「さっすが情報戦巧者のイッカさん! 飲み込み早いっ! それからもう一つ!」


「……なによっ!?」


「戦姫團関係者の会話は、トーンが聴音壕ですべて拾ってますから……。お二人がつきあってるの、いまバレましたっ! だから隠す必要ないですよっ! この戦い終わったら、なれそめじっくり聞かせてくださいっ! あはははっ!」


「……ぎゃああぁああぁああぁああぁああっ!」

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