第036話 陸軍研究團・異能「耳」 トーン・ジレン

 愛里が両膝に手を当て、上半身を前へ曲げながら、聴音壕内を覗き込む。


「……トーンちゃんは、聴音壕で都市中の情報を収集。並びに転移されてきた戦姫團、研究團との連絡係をお願いするわ」


 見上げ返したトーンの顔は、相変わらず長い前髪で完全に覆い尽くされている。

 その前髪の緞帳どんちょうの奥から、これまた相変わらずの、抑揚のない声が生じた。


「……わかった」


「トーンちゃん、相変わらず立派な前髪ね~。せっかくラネットと再会できたんだから、ヘアスタイル、あれこれ試さなかったの?」


「ラネットが……。これが一番かわいいって、言ってくれる、から……」


「は~っ……それはごちそうさま! トーンちゃんがかわいいから、ほかの子に顔見せたくないのよきっと。『トーンの素顔は、ボクにだけ見せて……。ボクだけの、宝物だから……』とか、ベッドで言われてない?」


「…………。言われて……る……♥」


 前髪の隙間からうっすら見えるトーンの頬に、赤みが差す。

 その赤みが、トーンの返答が事実であることを証明。

 ラネットが慌てふためいて、顔を真っ赤にしながら愛里の背を引っ張った。


「ちょっ……お師匠! なに見てきたようなこと言ってるんですかっ! まさかあっちとこっちの世界、ちょこちょこ行ったり来たりしてませんよねっ?」


「そんな器用なことできないわよ……。にしてもまあ、夫婦円満なようでよかったわ。ねえトーンちゃん、ラネットって女子にモテそうだけど、女ばかりの城塞に出入りさせて大丈夫ぅ?」


 その質問を受けて、トーンの頬から赤みがサッと引いた。


「大丈夫……とも、言い切れ……ない。ラネットに言い寄る女……たくさん、いる。いつ浮気するか……心配……」


「あはははっ、やっぱり! ラネットは無自覚系女たらしっぽいキャラだから、よーく注意しときなさいっ!」


「……はい」


「じゃあそろそろ、聴音活動お願い。人々の悲鳴とか、助けを求める声とか……。そういうの……聞き取れないかしら?」


「やって、みる……」


 直立していたトーンがしゃがみ、聴音壕内の壁に背を当てて体育座り。

 両手を両耳にかざし、周囲の音を拾い始める。

 聴音壕内からは、青白くきらめく細かい光の粒が霧のように湧き、音を探すかのように、四方の大気へと散っていく──。


「……北の、鉄塔がある山。人々が……逃げまどってる……。大きなオタマジャクシが……シカを……襲ってる。そう……叫びが聞こえる……」


「こっから北の、鉄塔がある山で、シカ……稲佐山ね。大きなオタマジャクシって……なによ?」


 愛里がそれらのワードを元にSNSを検索。

 阿鼻亀、歪蛮といった巨獣の情報に隠れていた、未把握の下僕獣の動画を発見。

 そこには、シカ牧場のフェンスを破ろうとしている、巨大な両生類の姿があった。


「これは……イモリ? いや、腹が赤くないからサンショウウオか。どっちにしても、生命力……再生力が凄そうね。あと、攻撃方法は捕食……。さて、だれを向かわせるべきか……」


 スマホに表示されている両獣・悪喰の画像を見ながら、愛里が思案。

 その顔をわきからステラが見上げる。


「朝に寄った山ですね。わたしが行きます」


「……いや、ステラは相性悪いっぽい。サンショウウオは再生能力が高い生き物でね。それの異形バージョンってことは、切り刻んでもすぐ復活しそう。真っ二つにしたら、最悪二匹に増えるかも……」


「なるほど。斬撃スタイルのわたしでは、倒しにくそうですね。では、われらが團の砲隊を呼び出し、砲撃で焼き尽くすのはいかがでしょう?」


「そっちはいまは、巨大亀にぶつけたいのよ。サンショウウオのほうは、もっと情報欲しいわ。えっと……ジト目の女の子、いたわよね? 前髪パッツンの」


「イッカ・ゾーザリーですね。はい、在籍しています。わたしと同期の入團者は、だれも音を上げず、日々練度を高めています」


「あの子、城内で一緒にゴキブリ蟲と戦ったんだけどさ。敵の能力と地の利の分析に長けてたわ。あの子に斥候せっこうお願いしましょ」


 ゴキブリ蟲こと隠者ハーミット

 かつての蟲との戦いで城内に出没した、人間大のすばやい蟲。

 イッカの妹・リッカを捕まえたまま、トイレ内の個室間をすばやく移動するという遊撃戦を展開したが、イッカが剣で自分の腕に傷を刻み、その出血を塗料にしてすべての個室内の壁に通し番号を書き、それを妹に読み上げさせるという機転で蟲の所在を把握し、攻略──。

 また入團試験の場においても、その情報分析能力は一歩抜きんでていた。

 情報の扱いに関しては、天童のステラも一目置いている。


「イッカならば、適任です」


 ステラが自信を含ませた顔で頷いた。

 愛里が頷き返し、リムを向く。


「よっしゃリム、次のオーダー! ジト目ちゃんを、けさ寄った稲佐山へ送って! 現地の参考画像はいるっ!?」


「いえ、ついさっき見たばかりの景色なので、きっちり覚えてますっ! イッカさんも、ジト目と前髪が特徴的だったので、記憶に鮮明ですっ!」


「リムって元々記憶力抜群だったけれど、それにも戦姫補正かかってるのかもね! だったら戦姫團の砲隊長の顔、覚えてる? あの海軍嫌いの、おっかな~い女!」


「あ、えと……。はい、なんとか! でもお師匠様は、そのおっかない女をボコボコにしましたよね。歌唱試験のとき……」


「まあ……それは一旦置いといて。次に呼び出すのは、その砲隊長! 場所はここ! 頼んだわよっ!」


「は……はいっ!」


 愛里がスマホに表示した画像は、一同がいまいる小榊高射砲陣地跡からわずかに南西の、神の島公園。

 長崎港湾部を見下ろす高台にあるこの公園は、明治時代、丸ごと要塞だった。

 港湾部に侵入しようとする敵艦船を迎撃するための二十八センチ榴弾砲が、当時四基配備されていた──。

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