第035話 陸軍研究團・異能「声」 ラネット・ジョスター

 ──長崎市の港湾部を見下ろす尾根の先端、天門峰。

 その登山道の中ほどには、高射砲陣地の石積み、水槽、窪地が、いまだ多く遺る。

 車を登山口に停めてきた愛里一行は、森の中に埋まっている聴音壕を並んで囲う。

 地表にわずかに露出している円状の石積みの周囲を、愛里がぐるぐると時計回りに歩いた。


「……ここの聴音壕はトーンちゃんのと違って、聴音機っていう集音装置を置いてたんだけど。きっとムコちゃんみたいに、場所が味方してくれるわ」


 愛里はSNS上に流れるムコの戦いの様子を、スマホで確認。

 針尾無線塔の上部を繋ぐ青白い光が、過去二度、自身にも宿った戦姫補正と同じものであることを確信する。

 そのスマホをぎゅっと握り締めながら、力んだ顔をリムへと向けた。


「リム、お願い」


「……はいっ!」


 リムが車内で描き終えていた二人の少女の絵に、さらっと署名を添える。

 瞬間、聴音壕が外周に沿って発光。

 黄色みを含まない真っ白な光の柱を、空へと高く上らせる。

 視界を遮るほどのまばゆい光だが、瞳への刺激はいっさいない。

 天音が胸元で腕を組み、軽く唸った。


「……リムがお師匠さんのお店へ招かれたときも、こんな光が起きてたっけ。この世にはボクが知らないこと、まだまだたくさんあるんだなぁ……」


「あのとき天音に、次の来店時替え玉サービスって言ったけどさ。お代わり無料に変更しとく。特別に餃子もつけてあげるわ」


「アハハッ、ありがとうございます! お師匠さんのラーメン、ほんとに美味しかったですっ!」


 天音が年相応の、少女の顔をほころばせる。

 愛里からの「戦いで命を落とすな」「そのあとも生きていけ」「そして知らないことをたくさん見聞きしなさい」という遠回しな激励が、天音の控えめな乳房の谷間に、心地いいむず痒さを生じさせた。

 島原の乱の最中、一揆軍の心の拠り所として神の御使いを演じてきた天音。

 等身大の人間としてさりげなく、そして力強く支えてくる愛里の慈愛が染みる。

 舌と喉には、初対面の夜に食したとんこつラーメンの味が、ほのかに蘇った──。


「……お師匠さんって、地元の歴史に詳しいんですよね?」


「そこそこね。穴もいっぱいだけれど」


「じゃあ……もし。お師匠さんが、島原の乱の首魁しゅかいだったとしたら……。あの戦い、どう采配を取りましたか? 一つの世界を救った経験、あるんですよね?」


「……うーん。歴史に『たられば』は、創作以外無意味ってのがわたしのスタンスなんだけれど。乱の前……しまの密談から考える必要ありそうかな。この話の続きは、戦いのあとでお願い」


 湯島。

 別名、談合島だんごうじま

 島原の乱の前、いまの長崎県の島原の民と、いまの熊本県の天草の民が、一揆を起こす算段を密約した、二つの土地の狭間にある孤島。

 現在は三百人未満の島民と、その数を超える野良ネコが暮らす、ネコの島。

 また、シュモクザメハンマーヘッドシャークが生息する海域につき、漁業被害を抑えるためのフカサメ狩りが伝統的に行われてきた一帯。

 その島の名前をすんなり出してきた愛里の唇を見て、天音が凛々しい笑み。


「……わかりました。湯島の名を出してくれただけで、いまは十分です」


「強いて言うなら、この戦いを速やかに、被害最小限で終わらせることね。犠牲者が増えればそれだけ、後世で悔やみの『あのときこうしてたら、こうしてれば』を言う人が増えるわ」


「悔やみの『たられば』を、作らないこと……か。それが答なのかもしれません」


「この戦いをテレビやネットで見ている世界中の人たちが、島原の乱という凄惨な争い、宗教の自由を勝ち取った信徒の苦難、暴力の理不尽さを知るわ。それってまさに、山田右衛門作が望んだことじゃない? アプローチは違えど、ね」


「……ですね。すべては、この戦いに勝つこと、ですか」


「そ! さあて、そろそろお出ましよ! 最強の聴音兵と伝令兵の!」


 ──光の柱が消える。

 中から現れたのは、ナルザーク城塞屋上にあるものとまったく同じ内径、深さ、石積みの、人力用の聴音壕。

 本来この地にあった聴音壕が、戦姫補正によって変形した。

 深さ数メートルの聴音壕の中では、身長差がある二人の少女が、落ち着いた様子で背中合わせに手を繋いでいる。

 背が高いほうの少女が、開口一番、大声を発した──。


「ご無沙汰でしたっ! お師匠っ!」


 替え玉受験チームの一人、ラネット・ジョスター。

 現在は陸軍研究團・異能「声」として予備役兵となり、招集がかからない際は城塞の麓の街で、愛里から譲り受けたラーメン店をきりもりしている。

 聴音壕の縁に数人並ぶ中からまず愛里と顔を合わせ、満面の笑みで元気な挨拶。

 それから跳躍で聴音壕を抜け、愛里と笑顔で向かいあう。

 愛里は「会いたかった顔」の一つと向き合うことで瞳を湿らせるも、それを隠すように、癖のウインクを両目で交互に行った。


「……わたし直伝のスープ、きっちり守れてるみたいね、ラネット! 髪に染みついてるにおいでわかるっ! でも指の火傷は……もうちょっと多くていいかしらね~? 修行が足りんっ! あはははっ!」


「あははは~。予備役兵の仕事もありますから、一日中ラーメン屋というわけにはなかなか……。でもお師匠、元気そうで本当になによりですっ!」


「いやー、これでもきのうリムと再会するまでは、異世界ロスで半分抜け殻だったんだから。いくさがきっかけだからこう言うのもなんだけれど、また会えてうれしいわ」


「こっちの世界の戦……ですよね。フィルルさんから、そう伝えられてました。となればボクは……伝令兵ですねっ!」


「そう! その大声で、この都市全域に状況を伝えてちょうだいっ! 頼りにしてるわよ!」

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