第033話 魔獣襲来

 ──長崎市内全域に、緊急の防災無線が響き渡った。

 周囲の山々が、そのやまびこを起こす。


 ──JR長崎駅前高架広場における、悪魔デビルの出現。

 みらい長崎ココウォークで生じた観覧車倒壊と、被害を防いだ巨大な鎧の出現。

 その場に居合わせた蟲の脚を持つ女と妖狐、その目撃情報、写真、動画。

 そして長崎港沖に出現した、巨大な亀・阿鼻亀。

 映画の撮影の憶測はネット上からすでに消え、各種メディアがその異常事態の報道を始め、行政、そして警察が初動を見せた。

 しかし、あまりにもな不測の事態につき、防災無線が伝える内容は「身辺に注意してください」というあいまいなものに留まった。

 市民はネット上に流れる阿鼻亀の動画を頼りに、海から離れた高所、ないし隣接する西海市、その先の佐世保市へと避難の流れを見せる。

 その混乱をあざ笑うかのように、拾体の下僕獣の顕現が続く──。


 ──長崎市・稲佐山公園野外音楽堂。

 午前中に愛里たちが身体測定を行った芝生広場。

 そこへ森林から、体表がぬめった巨大な生物が現れる。

 周辺の水系に生息する両生類、カスミサンショウウオの幼形成熟ネオテニーが巨大化した下僕獣、両獣・悪喰あくじき

 世間的に知られるウーパールーパーが、黒っぽい体色で全長二〇メートルほどになったと形容すべき姿。

 港湾部から避難してきた市民が、その異形を目にして行く当てもなく逃走。

 森林の中にいたイノシシ数頭が危機を察して芝生広場へ飛び出すも、まずそれらが、悪喰のすばやい捕食行動の餌食となった──。


「なにあのオタマジャクシみたいなのっ!?」

「イノシシを食べまくってる!」

「わたしたちも食べられるわっ! みんな逃げてーっ!」


 ──西海市・ぞうさん公園。

 その上空に前触れもなく生じた暗雲を割いて、巨大な翼竜が出現した。

 翼獣・歪蛮わいばーん

 西洋の魔物・ワイバーンを、文献を頼りに山田右衛門作が描いた下僕獣。

 漫画、ゲーム等の媒体で知名度を得ているため、架空の生物ながら、皮肉にも実在の生物の延長上にいる悪喰よりも見た目の知名度は高い。

 歪蛮は県北へ移動する車の列へ待ったをかけるように、巨大な赤い翼を左右へ広げ、土色の蛇腹を張り、固い鱗に覆われた尾を振って、己の威容を誇示した。

 そして、海上自衛隊佐世保地方隊、ならびに米海軍佐世保基地を壊滅すべく、その首を北へと向ける──。


「なんだあれっ! ワイバーンかっ!?」

「佐世保のほう飛んでったぞ! 米軍とりあう気かっ!?」

「むしろ県北のが危なくねーかっ!?」


 ──大村市・海上自衛隊大村航空基地。

 主に哨戒機を運用するこの基地の敷地中心に、妖艶な女性が宙から降り立った。

 渦を巻く漆黒の瘴気しょうきを背に従えた、西洋の顔立ちの碧髪の女性。

 白い肌に純白のローブを纏い、常に穏やかに瞳を伏せている。

 霊獣・精霊風シルフ

 西洋の妖精・シルフと、五島列島に伝わる瘴気の妖怪・精霊風しょうろうかぜを、右衛門作が混同して描いた結果生まれた、東西のハイブリッド下僕獣。

 本来のシルフが奏でる美しい歌声は瘴気を帯び、人間の耳のみならず、基地内の計器すべてを狂わせた。

 また、天候を操る能力を有しており、周囲を暗雲と強風で包んでいる。

 この中で飛び立てる哨戒機は一機もなく、下僕獣たちの侵略を空から把握する手段を奪っている──。


「司令っ! 計器すべて不調! 激しい雷雨、暴風で、哨戒機も出せませんっ!」

「個人のスマホはどうだっ!?」

「それもダメですっ! 雲の広がりかたから見て、長崎空港も麻痺状態かと!」

「くっ……この金切り声、鼓膜が破れそうだっ!」


 ──県内各地から続々と伝えられる、下僕獣出現の報道。

 SNS上に流れる個人発の情報が先んじており、行政やマスコミはそれを追う形。

 愛里はカーラジオ、車載テレビ、自分のスマホ、そして盗んだ車の助手席に置いてあったスマホを併用して、情報収集。


「……とんでもない事態ね。こっから行政や国が緊急対策会議の類を招集して、自衛隊を動かすまで、どれだけ時間かかるやら。長崎大水害の教訓、生かされてればいいんだけど……」


 長崎大水害。

 昭和五十七年七月二十三日に、長崎市を中心に生じた豪雨による大規模災害。

 市内では「7・23ナナテンニイサン」で通じるほどに、市史に爪痕を刻んだ。

 死者約三〇〇人。

 一時間当たりの降水量一八七ミリは、令和四年時点でいまだ観測史上最高。

 斜面地と河川の狭間に街がある長崎市は、土砂崩れと増水の挟撃を受ける格好となり、家屋の全半壊、床上・床下浸水、道路の寸断、停電が都市全体で生じた。

 この際行政も混乱に陥り、自衛隊への災害派遣要請がなされなかったため、自衛隊側が独断で動くという異例の措置が取られた。

 愛里が生まれる前の出来事だが、愛里が継いでいる祖父母開業の飲食店には、一階のに床上浸水時の染みが残っている。


「……にしても、米軍にケンカふっかけそうな奴いるのは大問題だわ。リム、お願いしてた二人は描けた!?」


「あっ、はい。あとは署名入れて呼び出すだけですっ!」


「じゃあ先に、呼び出してほしい子いるの! それから……召喚する場所も指定したいから、ここ背景に描いてっ!」


 愛里が左手でスマホを操作し、とある建造物の画像を表示してからリムへ渡した。

 表示されているのは、ミカン畑の中にそびえる、コンクリート製の巨塔、三基。

 大正時代、現在の佐世保市針尾島に建造された電波塔、針尾無線塔。

 かの開戦命令「ニイタカヤマノボレ」を中継したとされる場所──。

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