第031話 灰塵
──屋上庭園。
ニタニタと下卑た笑みの中に、殺意をみなぎらせた瞳を赤く光らせる安楽女。
右衛門作はその刺すような視線を浴びながらも、たじろぐことなく、しかし抵抗の構えも見せず、穏やかな諦観の表情。
背後では、天音と愛里が間に割って入る姿勢を取るが、右衛門作はそれを止めるかのように、両腕を左右へわずかに広げた。
「下僕獣と一体化しているようだが……かの集落の末裔か。ようやく会えた。わたしの愚かな企みのせいで、先祖代々苦しい思いをさせてしまった。本当に申し訳ない」
「はーん? 『苦しめた』とか、上から目線ねぇ? そんとおりっちゃそんとおりやけどさ、こん体……千羽の家系さかのぼって調べたら、禁教時代のあとはもう秘密の家庭内行事みたいになっとったと。実際千羽も、わたしが自殺止めたときまで、自分が信徒って知らんかったけん」
「自殺……? その娘さんは、なんのために自殺を……」
「そいは個人情報。千羽とは一応、友情あっけんねー」
安楽女が、ほんのわずかに照れくさそうに、右側のおさげを指先でいじってから話を続ける。
「そいけんまあ、『物言う神』も『拾体の下僕獣』も、誇大妄想ジジイの落描きのまま、歴史の影に埋もれたかもしれんと。でもこの信徒たち、ある時限爆弾ば抱えとってねぇ」
「時限……爆弾?」
「信徒が十人以下になるとき、いっせいに下僕獣を顕現させる……っていう刷り込み。暗示……」
安楽女が右親指の爪の先を、自分の胸に押しつけながら白い歯を見せてニタリ。
「……下僕獣の顕現は、信徒の命と引き換えやけんね。子々孫々にそういう強烈な暗示をかけながら、信仰ば繋いできとっと。千羽の代くらいになるともう、なにげない日常の所作が、その刷り込みになっとったごたるね」
「な、なんということだ……。おぉ……」
右衛門作が脱力するように、許しを請うように、ゆっくりとひざまずく。
己の我欲が生んだ不遇な一族が、子孫に課した殉教の使命。
いよいよ体を支えられず両手を着く右衛門作の右隣に、愛里が立ち、会話を代行。
「……一種の群発自殺ね」
「えーっと……ああ、そうそう。千羽もそがん言いよった。アイドルの後追い自殺とか、怪奇小説のネタにある『何々歳で必ず死ぬ呪われた一族』とかねー」
「防ぐ方法は?」
「なか。千羽が自殺に踏み切った時点でもう、顕現ドミノ始まっとる。さっき観覧車に六日見狐……妖狐のおったろ? まああいつは、戦力外の攪乱要員ばってん」
「じゃあ、アンタたちと和解……共存は?」
「無ー理ー。わたしら下僕獣には、宗教戦争ば起こして、阿鼻叫喚によって物言う神をこの地に降ろすって使命のあっけん。その使命とわたしらを創った戦犯が、そこでみっともなく呻いてる誇大妄想ジジイ……ってわけたい」
額を地にこすりつけ、悔恨の涙を流して縮こまる右衛門作。
愛里が代理で問答を続ける。
「その物言う神が現れたら……。この地は、この世界はどうなるの?」
「そいはわたしらもわからんとさねー。わかっとるとは、この地に降りるってことだけ」
「この地って、島原の乱の……原城址?」
「いーや、この長崎市。ここには、都市が描いた巨大な陣のあるけんね。魔法陣とか曼荼羅とか、神の降りる場所にはそういう陣が必要かとさー」
「長崎市にある……巨大な陣? もしかして、長崎要塞の区域線?」
「……ブー! さっきの群発自殺といい、アンタ物知りやね」
要塞地帯の区域線。
明治時代に日本軍が策定した、国防の要衝となる要塞地帯の範囲を示すライン。
そのライン上には、要塞地帯標と呼ばれる通し番号入りの標柱が点在。
花崗岩製のものは、令和の現代でも各地に少なからず現存している。
またリムたちの世界にも、『城塞地帯』として同様の制度、区域が存在している。
歴女の愛里の知識に一瞬感心した安楽女が、すぐに下卑た表情へと戻った。
「……でも、もっとわかりやすか陣のあるやろが?」
「もっと……わかりやすい?」
「ほら、正円の……さぁ?」
「正円……まさかっ!?」
得体の知れぬ下僕獣・安楽女に臆することなく、愛里が怒りの形相で詰め寄り、胸倉を掴んだ。
「アンタ…………ふざけんじゃないわよっ!」
「ハハッ……そうたい! 原爆たい! この都市には未来永劫消せん、正円の傷痕があるっさ! それを陣にして……物言う神は降りると!」
「そんな暴挙……絶対させないっ! そんなんで降りてくる神なんて、邪神に決まってる! 絶対阻止してやるわっ!」
「へえぇ……。アンタかすかばってん、妖気のあるね。一般市民じゃなかったい?」
「これでも一つの世界を救った女傑よ! その妹のような世界で、こっちの戦争が再現されないようまあまあ頑張ってきたの! だから原爆犠牲者の傷痕を
「ほぉほぉ……。ノーマークやったけどアンタ、右衛門作よりも四郎よりも、危険人物のごたるね。早めに片づけたほうが、よかごた…………っと!」
──ザシュッ!
安楽女のスカートの中から現れて伸びる、毒蟲の毛深く長い脚、二本。
その先端が目の前の肉体を、脇腹から肩にかけて交差しながら貫く──。
「──ぐはあっ!」
毒蟲の脚の犠牲となったのは、愛里を押しのけて立ち上がった右衛門作。
弾き飛ばされた愛里の体を、天音が抱き支える。
その天音が、顔をくしゃくしゃにして悲痛な叫び──。
「右衛門作さああぁああんっ!」
「……よい、天音。元よりこれが……わたしの……望み……。裁き……ごふっ……」
右衛門作の体からは血は流れず、代わりに墨のような液体が、患部や口腔から滴り落ちる。
「西坂の、丘のそばで……。かの偉大な殉教者たちのように……串刺しに……。これでわたしの罪科が洗われたとは、露ほども……ごほっ……思わぬが……」
右衛門作は最期の力を振り絞り、天音と愛里へと振り返って、
「あのような巨人をも呼び出せる、異世界の
右衛門作の体が、紙が燃えるように手足の先から黒い灰塵と化す。
島原の乱の主要人物にして、武士にして南蛮画家の山田右衛門作。
令和の長崎の空に散る──。
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