第027話 ゴンドラの唄
──そのころ天音は、リムの右手を掴んだままで、観覧車の券売機を操作。
リムは異世界の精算システムに目を奪われつつも、天音の掌の温かで柔らかな感触に、胸をうずかせる。
係員の誘導に従って天音がゴンドラへ飛び乗り、その手に引かれてリムが続く。
異世界の少女と、四〇〇年前のこの世界の少女が、観覧車を初体験。
二人はゴンドラ内で、向きあって座る。
右衛門作の鞄は、リムの太腿の上──。
「リム、腕引っ張ってごめん。痛くなかった?」
「い、いえ……。特には……」
「そう、よかった。エスカレーターに手こずってたから、観覧車は一気に乗せなきゃ危ないって思ってさ。アハハッ♪」
「あ、ありがとうございます……」
「……ねね。さっきのボクとリム、ピーター・パンとウェンディっぽくなかった?」
「ピーター……? ウェンディ……?」
記憶にない人名を出されたリムは、きょろきょろとゴンドラ内と外の景色を見回しながら、その名前の心当たりを脳内に求めた。
上下左右にランダムに動くリムの黒目を見て、天音がくすっと笑う。
「あ~、ピーター・パンを知らないってことは、リムはやっぱり、異世界の女の子なんだなぁ。そういうボクも、この間知ったばかりだけれど」
「……こちらの世界の、有名人ですか?」
「うん、まあね。桃太郎やウルトラマンには、日本じゃ知名度負けるかなぁ……。天草四郎とは……う~ん、どっこいどっこい? アハハッ!」
「はあ……」
「ピーター・パンは童話の主人公で、空を
「えっ……?」
悪戯小僧っぽい憎々しい笑みで、ゴンドラ内に両腕をめいいっぱい広げる天音。
そこでリムはいま、己が空の中にいることに気づいた。
じわじわと高度を増す、ゴンドラの車窓の景色。
そびえたつ峰のように思えたビル群が、無防備に屋上を見せている。
無数の自動車が、窓の向こうの眼下で、アリのようにせわしなく行き交う。
リムの表情が、みるみるうちに引きつっていく──。
「こっ、こっ、こっ、こっ、これって、まさか……。高いところへ上ったあと、ただ下って元の位置に戻るだけの、不毛な乗り物なんですかっ!?」
「まあ、水平の移動距離だけを考えたら……そうかも?」
「おっ……降りますっ! わたし高いところ苦手なんですっ!」
リムが半パニック状態に陥り、ドアノブを両手で握り締めてガタガタと揺らす。
天音はその両手に自分の両手を重ねて、優しくさすった。
「リム? いま強引にドア開けたら、『降りる』じゃなくて『落ちる』になるよ? この観覧車五階に建ってるから、乗った時点で相当な高さだし」
「ひゃえええぇえええっ!? あっ……もしかしてこの観覧車って、拷問施設かなにかですかっ!? スパイに口を割らせるためのものとかっ!?」
「この程度で口を割るようじゃ、
「……えっ?」
天音は了解を得ぬうちに、リムの左隣りへ移動。
リムを右側へ押し出すようにして、二人掛けのいすへ並んで座る。
周囲に掴まれるものがなく、わたわたと両手を宙で泳がせていたリムは、地面で仰向けになった昆虫がそばの枝へしがみつくかのように、天音の右腕に抱き着いた。
天音の肩へ額をぎゅっと押しけながら、固く瞳を閉じる。
「あ……あのっ! 一周したら教えてくださいっ! それで降りますからっ!」
「んー……構わないけど。まだ四分の一も回ってないよ?」
「はいいいぃ!? これに乗ってから、時間の流れ遅くなってませんっ!? っていうかお師匠様はどうして、わたしたちにこんな乗り物勧めたんでしょうっ!?」
「うーん……。ボクもこの時代に来て日が浅いから、観覧車は初めてなんだけど……。これって逢い引き……デートの定番遊具らしいよ?」
「えっ……? デート……の?」
「だれの目にもつかない。けれど狭いところじゃなくて、広い空の中。この空を……ひいては世界を、二人だけのものにできる乗り物。ボクはリムと乗れて、すごくいい気分だよ。乗せてくれた師匠さんに、感謝しなくっちゃ?」
「乗せて、くれた……ですか?」
「いのち短し……恋せよ乙女♪ これ、右衛門作さんが好きな『ゴンドラの唄』っていう歌の、出だしなんだけどさ。いまのボクに、ぴったりの曲だなぁ」
天音が歌の冒頭のみを口ずさみ、あとは鼻歌を鳴らす。
「ゴンドラの唄」は大正四年(一九一五年)発表の歌謡曲(※著作権失効につき歌詞掲載)。
異世界出身のリムにはあずかり知らぬことだが、右衛門作が日本の歴史を転々としていることを天音が伺わせた。
天音の体温でやや落ち着きを取り戻したリムは、つられるように、別の歌を鼻歌で
鳴らし始める──。
「……………………♪」
「……それは?」
「知りません? 『翼をください』っていう、こちらの世界の歌なんですけど……。元の世界にいたとき、お師匠様から習ったんです。スマホを使って」
「うーん、知らないなぁ。というかリムって、すごい複雑な経緯でこっち来たみたいだね?」
「アハハ……そうですね。わたしの世界は、この世界の一〇〇年ほど前の文明水準らしいんですけど……。この観覧車がわたしたちの世界で造られるのって、どれくらい先なんでしょうね……」
「もしかして元の世界に、一緒に乗りたい人がいる?」
「ええまあ……って、いえいえ! 乗せたいお二人がいるんですっ。アハハハッ!」
リムの脳裏に、久しく会っていないラネット、そしてその恋人・トーンの姿が並んで浮かぶ。
ナルザーク城塞屋上の聴音壕で、籠の鳥のような生活を送っていたトーンを、遠方からの
天音の左半身に抱き着くことで、徐々にリムから高所の恐怖心が失せていく。
この並びはくしくも、幼き日のラネットとトーンが、揺られながら背負子に並んで座った状態と同じ。
少なからずラネットを想っていたリムは、替え玉受験の日々を思い返して頬を染め、切なげな瞳で異世界の空を眺める。
その血色のいい薄桃色の頬へ、ちょうど同じ色をした年ごろの少女の唇を、天音がつける──。
「ちゅっ……♥」
「えっ?」
唐突な感触に、リムがとまどった表情を天音へ見せる。
正面から向き合う、二人の少女の赤ら顔。
天音はリムの顎へ指を添え、柔らかな顎肉の感触を愉しみながら、スムーズに顔を寄せて唇を重ねる──。
「んっ……♥」
「ン……。ン……ンン……」
リムは不思議と、抵抗できなかった。
リムは顔を寄せられる直前、天音とラネットの顔が重なるのを見た。
精悍な顔つきの、ボーイッシュなボクっ娘。
聡明なリムは、天音をラネットの代用品として見るのは、双方に失礼……という理性を、すぐに働かせる。
薄目を開け、いま柔らかな唇を合わせている相手の顔を、間近に見る。
漆黒の前髪を、伏せた瞳の睫毛とわずかに絡ませ合う、端正な顔立ちの少女。
リムは眼鏡のレンズの奥で、同じように瞳を閉じ、そして唇を薄く開く。
先ほどからノックのように、リムの唇をつついていた天音の舌先。
それをぬるりと、口内へと招き入れた──。
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