第026話 信徒発見

 右衛門作から差し出された画材入りの鞄を、愛里が慎重に受け取り、見る──。


「描いたモノが現実になる画材……ねぇ。山田右衛門作の伝承を知らなきゃ、即一一〇番か一一九番するとこだわ」


「その鞄に入っているスケッチブックに、呼び出したい者の姿をえがくのだ。正面の全身像を……な」


「じゃあわたしみたいな、顔とデフォルメ絵しか描けない半端オタクには無用の長物か。リム、持ってて」


「あっ、はい……」


 愛里は後ろ手で、肩掛け鞄をリムへと渡す。

 受け取ったリムはなんの抵抗もなく、自然にそれを左肩へと掛けた。

 その様を見て右衛門作は、リムがを備えたという確信を得た──。


「……異世界の絵師よ。託した画材で実在の者を描けば、その者が呼び出される。架空のモノを描けば、先ほどのような意思疎通のできぬあやかしが生まれるやもしれぬ。絵の具にもスケッチブックの枚数にも限りがある。おまえの世界の強き武士もののふ……戦士を選別し、しかと描いてほしい」


 右衛門作から画材を託されたリム。

 鞄のほどよい重みが、両親から生まれて初めて買い与えられた画材セットの感触を呼び起こさせた。


「は……はいっ。わかりましたっ」


「うむ……。これでわたしの役目は終わった。天音、あとの説明はおまえから頼む……」


 右衛門作が翻って愛里たちへ背を向け、代わりに天音が一歩近寄る。

 その天音へ、愛里がすかさず財布から一万円札を取り出し、ピッと突きつけた。


「天音。リムへの説明は、そこの観覧車の中でしてあげて」


「えっ?」


 みらい長崎ココウォーク・屋上庭園のわきをゆっくりと回る、天空の観覧車。

 天音がそちらへ視線を移した瞬間、愛里は天音に万札を握らせる。


「あんたの隣りの山田くんは、この場を早く去りたがってるけどね。こっちは聞きたいことまだまだあんの。重い話だから、リムへの説明はアンタに任せたわ。そろそろお昼だし、観覧車を降りたらランチもしてきなさい」


 愛里が天音へ向かって、癖のウインクを初披露。

 天音はすぐに、その真意を察する。


「……わかりました。さすが、その二人から師匠と呼ばれるだけはありますね。異世界では、どれだけの活躍をしてきたんですか?」


「ふふっ、自画自賛になっちゃうけどさぁ。桃太郎かウルトラマンかってレベルの有名人よ? あっちの世界じゃ」


「ハハハッ、それはかなわないなぁ。じゃ、ここはおとなしく、の言いつけに従うかな。行こう、リムっ!」


 天音がリムの右手を引き、これまでの通路をさかのぼる。

 リムは「えっ? えっ?」と慌てふためきながらも、天音に引きずられるがまま。

 場には、愛里、ステラ、右衛門作の三人が残る。

 愛里は背を向けている右衛門作の左肩を強く掴んで、自分へと振り向かせた。


「いい肩してんじゃん。筆圧の賜物? それとも剣?」


「愛里殿も、市井の女性とも思えぬ握力。そして場慣れ。異なる世界で、どれほどの死闘を重ねたのやら」


「わたしだけじゃないわ。後ろのステラは、こう見えて向こうの世界最強の女軍人。だからもっと深く踏み込んだ話、してくれていいのよん」


 愛里は右衛門作の肩を握る手に、わずかに力を加えた。


「アンタ……死ぬ気よね?」


「……ああ。死なねば……いや、殺されなければならん。わたしの創ったまやかしの神に、何百年と踊らされた一族から……」


「その神、『物言う神』って言ってたわね。遠藤周作の『沈黙』と関係ある?」


「あの小説を知っているなら、話は早い。あれは幕府の弾圧に耐えながら、神の沈黙に苦しむ宣教師の物語。出だしも島原の乱。当時の宣教師も信徒も実際に、神のお言葉を欲していた……」


「…………」


「わたしは島原の乱からしばらくのち、絵移しの法で百年ほど絵に籠り、目覚めた。そして遁走中の日本人宣教師に扮し、とある潜伏キリシタンの集落へ、偽りの神を持ち込んだ。妖術画の応用で描いた、信徒たちの問いに答える神の南蛮画……。それが物言う神だ……うぅ……」


 そこまで話したところで右衛門作がよろつき、膝から崩れ落ちそうになる。

 とっさに愛里が肩を貸し、わきのベンチへと座らせた。

 右衛門作は苦しげに眉を潜めるも、話を続ける。


「はぁ……はぁ……。集落の者たちは、その薄っぺらい神を狂おしいほどに崇めた。砂に水が染むがごとく、物言う神は集落に浸透した。わたしはさらに拾体の下僕獣を描き、こう広めた……。この潜伏生活が崩れそうになったとき、下僕獣の絵に祈れ。信仰を守るための戦いを、起こしてくれる……と」


「諸外国に宗教戦争と解釈されなかった島原の乱を、やり直すつもりで?」


「……そうだ。当時のわたしは、信仰を人集めに利用したあの一揆が許せなかった。二十六聖人をはじめとする殉教者たちに続こうとしなかった、天草、島原の民を。そしてまた百年、成り行きを見るために絵に籠った。次に目覚めたとき、この国では奇跡が起きていた──」


「えーっと……。島原の乱から百年。で、また百年……。あっ、信徒発見!」


「うむ」


 信徒発見。

 フランス出身の宣教師、ベルナール・タデー・プティジャン神父が、大浦天主堂にて、二五〇年もの間潜伏していたキリシタンたちと遭遇した出来事。

 鎖国、禁教の年月の中、独自の組織体系を築くことで、教えを維持し続けた信徒。

 観音像を聖母マリアに見立てたマリア観音を隠し持ち、神社を偽装したキリシタン神社で集会を行い、各地の丘陵地や島を聖地とみなして、心の支えにした。

 この出来事はプティジャン神父から国外へ伝わり、東洋の奇跡として称えられる。

 しかし、潜伏キリシタンの存在の露呈と、その弾圧もを生むこととなった。


「この国の信徒たちは強かった。そして常に闘っていた。弾圧と、己の心と。島原の乱にとらわれるあまり、わたしはそのことを見通せなかった。わたしは自身の過ちを認め、物言う神の信仰者たちへ懺悔し、忌まわしき妖術画を回収するつもりだった」


「でも、見つけられなかった……」


「……そうだ。彼らは潜伏キリシタン、カクレキリシタンよりも深く深く、歴史の深潭しんたんから潜ってしまった。問えば答える神の存在が、そうさせたのだろう。完全にキリシタンの歴史から外れ、独自の宗教となっている。わたしは彼らを見つけ出すために、それから数十年のサイクルで絵を出入りし……。そしてあの、キノコ雲を見た……」


「原爆……! 被爆したの?」


「ああ、離れてはいたが……な。あれを見て、己がいかに浅薄せんぱくだったかを、思い知った……。ぐっ……ごほっ……」


「だっ……大丈夫っ!?」


「原爆症、度重なる絵移しの法による魂の劣化……。それから考えれば、驚くほどに健康だ……。願わくば、彼らに殺されるまではこの心身、もってほしい……」


「彼ら……。物言う神の信徒」


「この地に……二度と戦争を持ち込んではならない……。この地の者と下僕獣が戦い続ければ、宗教戦争が成立し……物言う神が現れる。どうか遠い世界の者たちの助けで、下僕獣を駆逐してほしい。宗教戦争を不成立に……してほしい」


「第三者……異世界からの助けが必要な事情はわかったわ。でもわたしはこっちの人間だから、返事はできない。どうステラ? いまの話聞いても、わたしたちに手を貸してくれる?」


 振り向いた愛里を待っていたのは、聡明にして凛々しいステラの表情。

 ステラはその高い戦闘力に注目されがちだが、秀才のリムが苦悩を強いられた、戦姫團入團試験における奇問「いちたすいち」を数秒で看破した俊英。

 ステラが折り目正しく頷き、力強く返答──。


「大恩あるお師様の世界の危機。この戦姫ステラが救わずして、だれが救いましょうっ!」

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