再びナルザーク城塞
第022話 厳戒態勢
『陸軍戦姫團副團長、ステラ・サテラ。戦姫の世界へ
そんな噂が、ナルザーク城塞内で静かに広がった。
戦姫ことメグリ・ホシガヤが、この地を去って一年。
いまだ彼女を師と慕い、目標として敬い、顔の印象も近いステラの行方不明。
その噂に納得する者も少なくない。
一日の訓練が終わり、夜警の兵以外が就寝に着いた夜間、イッカが再び、フィルルが詰める執務室を訪ねた。
机で日報を綴っていたフィルルが、ノックを受けて手を止める──。
「……イッカでしょ? どうぞ」
「失礼します。……あたしの仮説が、城塞内に広まってるわね」
「ええ。そのようですわね」
「この噂の拡散ペースから見て、漏洩元は一人じゃない。連帯責任で、互いにお咎めなし……でいいかしら?」
「妥当な判断にして妥協案……ですわね。それでいきましょう、ふぅ」
互いに胸元で腕を組み、険しい表情を突き合わせるフィルルとイッカ。
双方が、ほんの数人に「こういう推測もある」と、口を滑らせた結果がこの有様。
目新しい会話に乏しい山頂の城塞でこのような噂が立てば、波紋のように広まるのは必然。
二人はあたかも談合のように、互いに責めるのを避けた。
バツが悪そうにフィルルが、夜間にあっても口紅鮮やかな唇を開く──。
「噂がこれだけ早く浸透するのは、みな薄々、そう感じていたということでしょう。噂自体は、問題視の必要なし。これ以上の話は、第三者の意見も交えましょうか」
己が座す机の正面にある、執務室のドアを指さすフィルルが。
イッカが無言で足早にドアへ寄り、ドアノブを一気に引いた。
──ドドドドッ!
ドアの向こうにいた数人が、執務室内へと雪崩れる──。
陸軍研究團・異能「目」、シー・ウェスチ。
陸軍研究團・異能「耳」、トーン・ジレン。
陸軍研究團・異能「鼻」二代目、
そして一年前に異能「鼻」を引退し、蟲の襲来を
気配で察していたフィルルは驚きもせず、四人の醜態に糸目をさらに細める。
「……あらあら、陸軍研究團の皆さんがお揃いで。こんな夜更けに、なんのご用でしょうか?」
フィルルの問いに答えたのは、いち早く転倒者の山から這い出したシー。
裸眼を見通せないほど分厚いレンズの丸眼鏡を指でつまみながら、立ち上がる。
「にししししっ! さすが團長殿、人けの察しに秀でてましなぁ。聞くところによれば、壁の向こうの
「無駄口は結構。夜も遅いので、要件を手短に」
「ではでは、ズドンと核心をば~。昨年の戦姫團入團試験において替え玉受験の不正を行い、不合格の処遇。現在は人気漫画家として押しも押されぬ作家のリム・デックスが行方不明だと、電報が送られてきたんでしよ~」
「ええっ……!? リムさんがっ!?」
「……おやぁ? たかが替え玉受験者相手に、やけに強反応でしなぁ、團長殿。漫画家の失踪を、掲載誌の編集者が軍に知らせるのも謎ですしねぇ……。にしししっ!」
「いっ……いいから話を続けてくださいなっ!」
強い口調を放ったあとで、フィルルは平静を取り繕う。
しかしその表情には動揺が色濃く生じ、自慢の美しい糸目は左右とも端がピクピクと震えている。
(わたくしとリムさんは、
まるでその裏事情を見透かしたかのように、シーがフィルルを丸眼鏡で見据え、話を継続。
「副團長のステラ氏と、漫画家のリムちん。いずれも伝説の戦姫、メグリ氏の弟子。それが同時に数日間失踪……。果たしてこれが、偶然でしかねぇ?」
「……なにがおっしゃりたいんですの?」
「いま城塞内に広まっている、ステラ氏の異世界転移の噂……。リムちんの件も併せて考えると、あながち的外れでもない……と言うんでしよ。アリス氏が」
そう言ったところで、シーが一歩後退。
いまだトーンとムコの上に倒れ込んでいるアリスに肩を貸し、立ち上がらせる。
小柄なシーの両肩に両手で捕まりながらアリスが立ち上がり、フィルルを向く。
「……團長。いますぐ戦姫團に、厳戒態勢を命じてくださいな」
「…………はい?」
蟲を駆逐して一年後のこの世において、アリスからの突拍子もない提言。
フィルルが思わず首をかしげる。
しかしアリスは、顔の皺を深めて厳しい表情──。
「戦姫……メグリが異世界から蟲を駆逐しにきた二度、いずれも単身でした。しかし今度は、メグリの弟子二人が同時に消えています! これは尋常ならざる事態が、向こうの世界で起こっていると見るべきですっ!」
アリスが年を感じさせない、きびきびとした歩行でフィルルの机の前に立ち、バンッ……と両手を同時に叩きつけた。
「この先このナルザーク城塞に、増援が求められるかもしれません。いつどの者が、メグリの世界へ飛ばされるかわかりません。ゆえに全兵士へ、常在戦場、刀光剣影の意気を二十四時間持つよう、厳命を発してほしいのですっ!」
アリスがややヒステリック気味に、かつ、戦姫團團歌の歌詞を引用しながら主張を続ける。
その勢いに反してアリスの身なりは整っており、衣服には皺もない。
化粧は薄くも極めて丁寧で、隠蔽目的の上塗りメイクではなく、素地を輝かせるためのナチュラルメイク。
若作りではなく、上品に年を重ねた女のすっぴん顔を、さりげなく彩らせている。
フィルルは、アリスがメグリに会いたさゆえに、いつ向こうの世界へ呼ばれてもいいよう身ぎれいにしていることを察する。
「まあ、そう深刻に考えずともよろしいのでは? 仮に転移説が事実だとしても、ステラはわたくしをしのぐ
──ドンッ!
まるでハンマーが打ちつけられたかのような衝撃。
それを起こしたのは、老いて骨ばったアリスの拳骨。
アリスは机への殴打で周囲の空気を掌握してから、力強く主張を開始──。
「メグリの信頼厚き者の順ならば、まずわたくしが呼ばれていますっ!」
「そ、そう言えば……。お二人は昵懇の間柄……でしたわね。オホホホ……」
「それにあなたも、のんきに構えてはいられませんよ? 戦闘力で言えば、次に呼ばれるのはまずあなた。司令塔を欠いた戦姫團の混乱を、想定して備えておかねば!」
「……わたくしも? 戦姫の世界……へ?」
そう言われてフィルルは、自分がメグリの世界へ転移させられた状況を思案。
(あちらは
──ガタッ!
いすを後方の壁へ吹き飛ばす勢いで、フィルルが立ち上がった。
その頬はほんのりと赤く染まり、口角が上がっている。
「……進言、ありがとうございますっ! これよりこのナルザーク城塞は、非常事態に備え、厳戒態勢に入りますわっ! わたくしも、いつ戦姫の世界へ招かれてもいいよう、ただちに身構えます!」
そう言い放ったフィルルは、部屋の隅に立てかけてある旅行用のキャリーバッグをしっかりと握り締め、部屋の中央へと引いた。
異世界から、
偶然にもフィルルは、同人誌即売会で薄い本を大量購入する一般参加者のスタイルを取っていた──。
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