第015話 天草四郎と山田右衛門作

 ──老画家の前を、愛里たちが去って数分。

 灰色のパーカー、デニムジーンズ、背後に広げた艶やかな長髪、中性的な凛々しい顔立ち……の少女が、雑踏から現れて、老画家の前で膝を曲げる。

 昨晩リムが転移した際に、愛里の店でとんこつラーメンを食していたボクっ娘。


「ボクが引き合わせる前に、自ら右衛さくさんに接触するとは……。さすがだね、あの人たち」


あま……か」


 右衛門作と呼ばれた老画家が顔を上げつつ、黒髪の少女を天音と呼んだ。

 天音は衣類が汚れるのも厭わず、右衛門作の正面でぺたりを尻もちをつき、体育座り。


「眼鏡の子、右衛門作さんとを持ってるみたいだね」


「それも、わたしの最盛期の……な」


「そして蒼い髪の子は、武力を持ってる。たぶん……ボク以上。恐らく、宮本武蔵ほどの。ま、ボクはタッチの差で、武蔵の技を見れなかったけどね。アハハッ♪」


「……うむ。そして同行の、ソバカスの婦人……。あれは英雄の相。生涯で二度も見るとは、思わなかった」


「へえ……。あのラーメン屋のオバちゃん、ボクと同じ英雄の相……。ただ者じゃあないとは、うっすら感じてたけれどね」


「天音、失礼を言うな。あのご婦人は、おまえよりずっと年下だぞ」


「ハハッ……だね。でもボクはほら、数えでまだ十六歳だから。絵移しの法が解けたの、一月ひとつき前だし」


 天音。

 絵移しの法によって現代に蘇った天草四郎。

 右衛門作。

 島原の乱の一揆軍の参謀にして内通者の、山田右衛門作。

 双方ともに、魂を絵に保管する妖術「絵移しの法」により、令和の世にいる。

 しかし天音に比べて右衛門作は、島原の乱より大きく加齢が進んでいた──。


「……天音。あの人たちが現れたのは、偶然ではないぞ?」


「……わかってる。ボクが絵から出てこれたのもね」


「そうだ。『物言う神』の信徒が、いよいよ動き出す」


「きのう、あのオバ……ご婦人の店にいるとき、服毒した男性の変死体が見つかったってニュース、流れた。恐らく『拾体じったい下僕獣げぼくじゅう』の一体……らくのしわざだろうね」


 体育座りの姿勢に飽きた天音が、足を両サイドへ下ろしてあぐらをかく。

 子どもっぽさが残るゆえの、落ち着きのなさ。

 一方の右衛門作は、人形のようにずっと変わらぬ前傾姿勢。


「物言う神の信徒……。あれらも、わたしの愚かな野望の犠牲者だ。宗教戦争をこの地で……という、愚かな願望の、な」


「拾体の下僕獣……。物言う神を守護する、十体の獣。現世を蹂躙する十体の獣へ人々が抵抗し、宗教戦争が起こりしとき……。物言う神は顕現する……か」


「すべてはわたしの、愚かな創作……。その愚かさに気づくまで、三〇〇年もかかった。この地であの、キノコ雲を見るまでな……」


「浦上五番崩れ……」


 二人が揃って、令和四年のナガサキの空を見上げる。

 初夏の青い空に、緑の稜線から白い入道雲がもくもくと上っている──。

 長崎市の浦上地区で炸裂した原子爆弾の惨劇を、浦上の地で繰り返された潜伏キリシタンの弾圧「浦上崩れ」の五度目と数え、浦上五番崩れと呼ぶ者もいる。

 右衛門作は入道雲に、己が目撃した原子爆弾の爆風……キノコ雲を連想し、顔を再び地へ向けた──。


「物言う神の信徒は、浦上六番崩れを起こそうとしている……。絶対に防がねばならない。わたしの命を捧ぐのは当然……。悪いが天音、おまえの命もな」


「……それもわかってる。本来ならボクも、そこの出島で晒し首だったからね……。これが片づき次第、影武者みんなのところへ行くさ」


 天草四郎時貞。

 島原・天草地区の一揆軍、その総大将とされた、神の声を聞く美少年。

 しかしその実態は、男装の美少女。

 当時は男尊女卑が強き世。

 一揆軍の参謀たちは、少女を総大将へ据えることによる統率の乱れを懸念し、実在の少年の生い立ちを天音に重ねることで、性別を偽装した。

 この策が奏功し、幕府軍はついに天草四郎の正体を掴むことができず、のちの歴史書にも、天音の名が載ることはなかった──。


「……右衛門作さんは幕府軍のスパイだったけれど、ボクが女の子なのは、秘密にしたままだったんだよね?」


「ああ。おまえはこうして、後世に蘇らせるつもりだったからな。宗教の自由が死滅した国には、おまえが必要だと思ってのことだったが……。いらぬ心配だったな」


「信徒発見……だね。この国の信徒たちは強く、そして純粋だった。復活した天草四郎……なんてお飾り、いらなかったんだ」


「まったくだ。だがおまえには、こうして新たな使命ができた」


 右衛門作はリムから受け取った少女の絵に、水彩画用の筆で加筆を始める。

 黒の絵の具を薄く着けた筆で、リムの鉛筆画を水墨画風に塗り上げていく。

 天音が四つん這いの姿勢で、スケッチブックを覗き込んだ。


「それ、妖術画に?」


「ああ。彼女たちの力を、こいつで試しておきたい。ただ……人の姿相手はやりにくいだろうから、少しアレンジせんとな」


「アハハハッ! 右衛門作さんの口から『アレンジ』だって!」


「おかしくはないだろう。わたしは一早く西洋の作風を取り入れた南蛮画家だぞ?」


「あ……そっかそっか。そう言えば右衛門作さんが描いた一揆軍の陣中旗、いまや国の重要文化財で、世界三大聖旗なんだってねー」


「……ふん。あれは戦いを宗教戦争たらしめるために描いた、血気の産物。いまとなっては、忌々しくもある」


 右衛門作が額の皺を深めながら、筆を進める。

 リムが描いた女剣士の背に、大きなコウモリの羽を追加。

 人間ではないと一目でわからせるために、両手に握る双剣は腕と同化。

 ドレスの腰に巻かれた大きなリボンは、背後で二股に分かれ、爬虫類じみた尾へ。

 耳は長く鋭く尖り、頭部からはヒツジの角が、ツインテールのように左右へ長く伸びる。

 それを全般的に黒塗りにしたところで、右衛門作は筆を止めた。


「……こんなところか」


「これ、悪魔デビル?」


「ああ。頃合いを見て、彼女たちの前で顕現させてくれ。恐らく倒してくれるだろうが、そうでないときは、おまえに処分を頼む」


「街中にこんなの出したら、大騒ぎにならない?」


「わたしが拾体の下僕獣は、これの比ではない狂暴さだ。民衆の危機意識を高めておくことにもなろう」


「……なるほどね。了解」


 天音は絵を受け取ると、くるくると丸めて畳み、右手で軽く握った。

 それから両足で橋の表面を蹴り、垂直ジャンプで立ち上がる。


「……よっと。ああそうそう、右衛門作さん?」


「ん?」


「これを描いた、あの眼鏡の子。ボクの絵を持ってったんだよね?」


「ああ。ずいぶんと気に入っていた様子だったな」


「ふーん……。それはかなり……脈アリの予感? アハハハッ♪」


 くるりと身を翻した天音が、愛里たちの姿を追ってJR長崎駅方面へと軽やかに駆けだした。

 その体が人込みに消えるまで見送った右衛門作は、早めの店じまいを始める──。

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