第014話 少女画家
「でも……こちらに若い女の子の似顔絵、ありますよね?」
「……ああ。それは、ほんのお遊びで描いたものだよ。わたしは、生きた証を顔に深く刻み込んだ老齢の人を、専門に描いているんでねぇ」
「お年寄り……専門?」
「皺、シミ、傷跡……。そういった細部に、その人の人生を透かし見ながら描く。そうすることで、筆が走り始める……。だからきれいな肌のお嬢さんは、うまく描けないんだ。申し訳ない」
再び老画家が頭を下げる。
愛里がリムの隣りでしゃがみ、自分の顔を指さした。
「……だったらだったら、わたしの顔はっ? 見てのとおりソバカス面だし、最近小じわも目立ってきちゃってさあ」
「ん……………………。あなたも、きれいでお若い。わたしの手に余りますな」
「おっしゃあああぁあああっ!」
立ち上がってガッツポーズを取る愛里。
リムが苦笑を浮かべながら、老画家へ話を続ける。
「返事に間があったような、気もしますけれど……アハハハッ。でしたらおじいさん、お年寄り専門……ってどこかに一言、書き添えておいてはどうでしょう?」
「『年寄り専門』なんて書いたら、肝心の年寄りが来てくれなくなるんだよ」
「ああ……なるほど。ありそうですね……」
「お嬢さんのような若者は普通、似顔絵描きに頼もうなんて考えないしねぇ。ほら、スマホで写真を撮って、いくらでも加工できるから。だからわざわざ『年寄り専門』と掲げる必要もないだろう」
(スマホ……。お師匠様が使ってる、あの機械ね?)
「それよりも……。お嬢さんが一枚、わたしに描いてくれないか?」
「……ええっ?」
「そのベレー帽に……隣りのご婦人が持っているスケッチブック。お嬢さんも、絵描きなんだろう?」
「え、ええ……。端くれでは、ありますけど……。でも……」
「ははっ。われながら、バカなことを……と思うよ。描いてくださいと言ってきた人に、描いてくれとはね。ただ……絵描きとして長く生きてきたなりに、それなりの感性は培っている。その感性が、お嬢さんを『できる』──と、言っているんだ」
「できる……ですか?」
「無論、タダでとは言わない。見合った代金は払おう。どうかな?」
「えっ……? あ、でしたら……。もしわたしの絵を、気に入ってもらえたら……。そちらの絵と交換……ということで、どうでしょう?」
「……ん?」
リムが、黒髪の少女の似顔絵を指さす。
老画家は意外そうに、絵とリムを交互に見た。
「この絵……か。お嬢さんに訴えるものが、なにかあったかな?」
「ええと……。そこはかとなく漂う、中性的美少年感が……って、いえいえっ! 黒髪がきれいな子だなーって、思いましてっ! アハッ……アハハッ!」
「……ふむ。物々交換でいいなら、路傍で日銭を稼ぐ老人には願ったり叶ったり。では、一筆お願いする──」
老画家が自作用のA4サイズのスケッチブックと鉛筆を、リムへと差し出す。
その瞬間、リムの心臓がキリッ……と痛んだ。
(えっ……なにっ? いまの、刃物を突きつけられたような、緊張感……)
リムはかつての戦姫團入團試験の際、武技科目をルシャに替え玉受験させていた。
その後の蟲の軍勢との死闘でも、ほぼほぼ救護に従事。
剣の実戦経験はない。
しかし、生き死にの戦闘に携わってきた者として、その気配には覚えがある。
リムはいま、差し出されたスケッチブックと鉛筆から、冷たい切っ先を向けられたような緊張感を受けている──。
(おじいさんが言った「できる」って……。もしかして……こういう感覚? なんだか、絵画の真剣勝負……って感じで、ちょっと怖い……かも……)
かすかに震える両手で、おずおずとスケッチブックと鉛筆を受け取るリム。
一旦立ち上がり、絵を描きやすい直立の姿勢になってからスケッチブックを右腕で固定し、左手に鉛筆を握った。
「えっと……。おじいさんの似顔絵、描けばいいでしょうか?」
「……いや。わたしはね、絵に遺される価値のない人間なんだ」
「はあ……」
「……そうだな。お嬢さんが欲しいといった、この絵の少女を……お嬢さんのタッチで、描いてくれないかな。それで交換といこう」
「わ、わかりました……!」
期せずして、異世界で初の作画をすることになったリム。
スケッチブックと鉛筆をぎゅっと握り、報酬となった黒髪の少女の似顔絵をしばし見つめる。
(わたしのタッチ……。だったら……漫画っぽく、ディフォルメを利かせた?)
真っ白いスケッチブックへ視線を落としたリムは、そこへ普段作画している漫画調での模写をイメージしてみる。
そして、小さく首を横に振った。
(……ううん。同じ写実的な絵を返さないと、似顔絵描きのおじいさんに失礼……。それになんとなくだけど……。勝負を挑まれてる……ような気もするから……)
リムはスケッチブックへ鉛筆の先端を当て、左頬から顎にかけてのラインを引く。
それがリムの、人物像の作画における始点──。
──シャッ!
(あっ……この鉛筆……描きやすいっ! 紙も……サラサラで、適度に引っ掛かりがあって……快適っ! こっちの世界、紙も鉛筆も地味に進化してるんだわっ!)
顔の輪郭、ついで鼻、口、目、眉の当たり線を一気に描きこむ。
次にヘアースタイル、毛量のアウトラインをうっすらと引き、顔のパーツの本格的な描きこみへ──。
(ただの模写だと、面白みないから……。わたしの世界の顔つきに……寄せた感じでっ!)
やや鼻の頭が丸く、彫りが浅いこの国の住人の顔つき。
そう描かれた黒髪の少女の姿を、やや彫り深くアレンジしていく。
瞼をくっきりと描き、瞳は鉛筆の濃淡を駆使して青く見せる。
鼻を高く、髪を金髪に、そして眉や口元には、好みで少年らしさを追加──。
(あああぁ……。なんだかラネットさんっぽくなっていってる気があああぁ……! 本人が一緒に転移させられてなくってよかったああぁ……!)
同性でありながら、リムの理想の像だったラネット。
いまはトーンと添い遂げて、愛里から譲り受けたとんこつラーメン屋をきりもりしている。
恋だったのか失恋だったのかもわからぬまま、リムはラネットから離れているため、こうしてその面影を鉛筆でなぞっていると、甘酸っぱさで口内がキュウ……っと萎んだ──。
(ひいいいっ……! 描けば描くほどラネットさんっぽく……! これ絶対お師匠様にからかわれますねえええっ!)
リムは気恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、目を細めて苦笑。
その頬の赤みを絵へ伝播させるかのように、少女の頬の血色の良さを、陰影で表現していく──。
──シャシャシャシャ……シャッ!
「一応、これで完成…………えっ?」
描き上げた少女を見て、リムは驚く。
その顔は、スケッチブックの中央から少し上に描かれている。
周囲に全身像を描ける余白を残して──。
(えっ……あれっ? スケッチブックいっぱい使って……描いたつもりだったのに)
描きこみに集中していたリムは、顔だけを視界に捉えていた。
そのせいで、周囲に十分な余白があることに気づけずにいた。
(こ、こんなに小さい絵じゃあ……ダメ、だよね……。これ、全身描かなきゃ……)
リムはスケッチブックから離した鉛筆を、少女の鎖骨付近へと、再度置く。
「す、すみません……。もうちょっと描きこみますので、あと少しお時間を……!」
肩をすくめて恐縮しながら、作画を再開。
広く空いたスペースをいかに埋めるか、指を動かしながら思案。
(えっと、えっと……。顔が真正面だから、いまから複雑なポーズつけるの無理よね……。だったら、裾が広いスカートを履かせて、左右に長剣を持たせて……ええっと……。そうだっ、入團試験のときの皆さんをモチーフに……!)
リムは一年前の戦姫團入團試験時、合格を競ったライバルたちを思い起こす。
剣をしっかりと握る両手は、いまも文通で交流があるフィルル。
体型は、少年っぽい顔つきを考慮して、胸囲が控えめなイッカ。
衣装は見栄えを考慮して、セリのドレスと、長い腰のリボンを有したカナンの衣装を混ぜてアレンジ。
地面をしっかりと踏みしめる足とシューズは、替え玉受験仲間のルシャ。
仕上げに、後ろ髪を外跳ねさせて衣装のボリュームとのバランスを取った。
──シャッ……!
「……お待たせしましたっ! 完成ですっ!」
「ふすーっ!」と鼻息を大きく立てて、リムが鉛筆を持ち上げる。
淡い陰影を施した、凛々しい金髪の少女の全身が、スケッチブックにはあった。
仕上がった絵は、日光を浴びて鉛筆の粉末を輝かせており、見る角度によってはうっすら彩色が施されているよう──。
「スペース余っちゃって、慌てて全身追加したんですけど……。棒立ちっぽくなっちゃいましたかねー……。アハハハー……」
照れくささからの萎縮を体現するように、リムが身を屈める。
そして絵を、老画家へと差し出した。
老画家はそれを受け取ろうとせず、固まったように呆然と絵を見下ろす。
リムが顔を上げると、愛里とステラも同様に、唖然とした様子で絵を見下ろしていた──。
「あ~……。やっぱり、やっつけがすぎましたかねぇ……。アハッ、アハハッ……」
「これだけの緻密な絵を、あっという間に……。神業ですね、お嬢さん……」
「えっ?」
老画家が手を添えたスケッチブックに、リムは視線を下ろした。
興が乗って描き進めていたその絵は、感覚的には走り描きだった。
しかしあらためて見ると、顔は睫毛一本一本が見極められるほど描写が細かく、衣装の皺はその下にある少女の体躯をうっすらと浮かび上がらせ、抜身の双剣はスケッチブックがそこだけ金属製であるかのようにギラギラと光沢を放つ。
いかに画力に秀でたリムでも、丸一日を費やすであろうクオリティー。
リムは思わず、顔を上げて天を仰いだ。
「…………」
そこには、いまだ真上に至らない、午前の太陽があった。
次にリムは、手に握ったままの鉛筆の先端を見る。
鉛筆の芯は、まるで研ぎたてのように尖っている。
作画そのものが研磨であったほどの、速く、鋭く、力強い筆遣いの証──。
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