第013話 老画家

 ──長崎市最長のアーケード街、観光通り。

 アーケード街でありながら国道324号の一区間でもあり、車両が通行可能な時間帯が午前五時からの五時間と限られている。

 その時間帯も店舗へ搬入作業を行うトラック等が多く駐停車していることから、走破が困難な国道「酷道」の一つに数えられることもある。

 さらに、長崎市茂木港から熊本県天草郡富岡港の区間は海上国道となっているが、ここを繋ぐ自動車航送可能なフェリーが令和四年時点では廃止されているため、理屈上では走破不可能な国道となっている。

 そんなアーケード街の西側に、顔を真っ青にしたリムが、人混みを抜けて現れた。


「はあっ……はあっ……ふぅ……はぁ……。はああぁ……ふっ……はあぁ……」


 洋品店で愛里から買ってもらった柿色のベレー帽を被ったリムは、荒い呼吸を続けながら、前傾姿勢でふらふらとよろついている。

 ステラが肩を貸し、その華奢な体を支えている。


「……姉弟子、大丈夫ですか?」


「あ、はい……。ありがとうございます、ステラさん……。はぁ……ふぅ……」


「もしや、過呼吸では?」


「……いえ。動悸で息が乱れてるだけですから、お気遣いなく……。ふぅ……」


 愛里はリムへ買い与えたスケッチブックと筆記具を片手に、二人の先を歩く。

 この世界へ転移させられた二人が、距離を縮めるいい機会だと捉え、手は貸さず、口だけを挟む。


「……やっぱりリムには、刺激が強すぎたかしらねぇ?」


「は、はい……。まさかこちらでは、漫画があそこまで進化しているとは……」


 リムはこうなる直前、アーケード街にあるアニメイト長崎店へと立ち寄った。

 棚には令和四年の最新漫画が所狭しと並び、店内のモニターには人気アニメのプロモーション映像がエンドレスで流れる。

 それらのグッズもひしめき合う上、ハイレベルな同人誌も多々。

 視界全方位にキャラクターが居並ぶ光景に、まだ漫画が産声を上げたばかりの世界から来たリムは、すっかりそのに当てられてしまった。


「す、すみません……お師匠様。こちらの世界の漫画を見たいと言っておきながら、この体たらく……」


「こっちこそ悪かったわ。うちにある漫画で、慣れさせておかなきゃいけなかったのに」


「それにしてもあの、アニメという表現手法……凄すぎます。漫画のキャラクターが、動いて……喋って……。あれを作るのに……どれだけの人員を、割いているのでしょうか……?」


「さあ……。数十人か、あるいはそれ以上が寝食を削って……なんて話は、よく耳にするわね。でもこの国だけでも、年間三〇〇タイトル前後が作られてるらしいから、大したもんよ」


「さ……三〇〇……。その数字を聞いただけで、めまいが……」


 未知の情報を頭に詰め込みすぎたリムは、いよいよ足をもつれさせ、小柄なステラの頭部にすがりついた。

 ステラは頭上のリムを負担と思わない様子で、愛里の背中に続く。

 アーケード街を抜けた一行は、長崎港へと合流する中島川に架かる鉄橋くろがねばしの上へ。


「あっ……。あれって、路傍の似顔絵描き……さん?」


 薄目を開けていたリムの目の端に、一人の高齢男性の姿が映った。

 金属製の欄干を背に、小さな折り畳みいすに座る、長い白髪にグレーのベレー帽を被った、背の丸い七〇代半ばほどに見える男性。

 肘まで捲った上着からは、シミが多く浮かんだ、細い腕を覗かせている。

 周囲には、年季が入った木製のイーゼルに置かれた、写実的な人物画を数点。

 リムは二度見をして、その老人が絵を生業にしていることを察する。


「……お師匠様。ああいう商売って、こちらでもあるんですね?」


「ここらじゃあまり見かけないけど、あるにはあるわよ。芸術や音楽は路上で披露してこそ……って表現者は、どこの世界の、いつの時代にもいるってことね」


「お師匠様……。わたし、一枚描いてもらってみても……いいですか?」


「えぇ? アンタの絵画レベルって一流じゃない。いまさら人に描いてもらう必要なんてないんじゃ?」


「でも……。なにか……こう……引っ掛かるんですよねぇ。あのおじいさん」


「……リムって老け専だったっけ?」


「中性的美少年専門ですけれどっ!?」


 リムが眼鏡のレンズを光らせながら、愛里へ強く反論。

 その頬には、うっすらと血の気が戻ってきていた。


「はは……わかったわよ。まずはああいうクラシックスタイルの絵画に触れて、カルチャーショックの熱を冷ましてきなさいな」


「すみません。あれこれお金使わせちゃって……」


「心配無用、肉体労働で払ってもらうから。ラーメン屋って力仕事多いのよ?」


「アハハハ……お手柔らかに。あっ……ステラさん、もう大丈夫ですから。ありがとうございました」


 ステラから離れたリムは、一歩退いてペコリと一礼。

 それからよどみなく、路傍の老画家へと歩み寄った。


「……おじいさん。わたしを描いていただけますか?」


「ん……?」


 やや俯いた姿勢の老画家が、顔を上げてリムを見た。

 その所作を受けてリムは、膝を曲げて身を屈め、老画家と目線の高さを合わせる。

 鼈甲べっこう製フレームの眼鏡の、四角いレンズの奥にある細い目が開く。

 老画家は遠目には細い印象の体つきだったが、顔の輪郭はカッチリとした固い雰囲気でたるみはなく、肩幅も広く、露出している肘から先も骨ばっている。

 リムは意外にも無骨だった老画家を見て、一瞬ひるんだ。


「あっ……ええと。似顔絵、一枚お願いできますか?」


「ん……ははっ。似顔絵……か」


 老画家はリムがひるんだのを察してか、柔和な笑顔を浮かべた。

 そして、曲げている膝の頭に両手を置いて、頭を下げる。


「……いや、すまないね。お嬢さんのような、若くてきれいな娘さんは、専門外なんだ。申し訳ない」


「アハッ、きれいだなんて……そんなぁ! でも……飾ってある似顔絵、どれもすごく、お上手ですよね……?」


 老画家の周囲に並ぶ、老若男女の似顔絵。

 鉛筆書きに、水彩絵の具でサッと着色した、爽やかでいて、こなれた筆遣い。

 中でも、黒い長髪を背後に広げた、年頃の和風美少女の似顔絵が、リムの強い関心を引いた──。

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