第003話 逆流

「えっ……。な、なに……!? 爆発っ!?」


 その光に刺激性はなく、一同の目にダメージはない。

 音もなく、異臭もなく、熱もなく、空気の流れも起こさない、白い光。

 ただ視界がすべて白くなるだけの、謎の現象。


(あ……。この感じ……転移!? わたしまた、あっちの世界から呼ばれた!?)


 暗闇ならぬ明闇あかやみとも呼ぶべき、真っ白な空間。

 愛里が異世界転移させられるときに生じる現象だった。


(……………………)


 愛里は神妙な心持ちで、白い光が薄れていくのを待った。

 転移ならば、白い光が収まると同時に、非日常の景色が現れる。


(……わたしが呼ばれるのは、あっちで大事が起こっているとき。本当は、お呼びかからないほうがいいの。あっちのみんなのためにも。でも、でも……もう一度くらいは、みんなに会いたい……。大好きなアリス……大切な弟子たち……)


 数秒ののち、光は拡散の様子を巻き戻すかのように、厨房の床へと収束していく。

 愛里の前にあるのは、発光前と同じ店内の風景、同じ顔ぶれの客。

 愛里は、世界を跨いではいなかった。


(あれっ……転移してない? 変ねぇ……?)


 自身にも客にもいっさい異変はなく、身体の不調を訴える者もいない。

 客はみな、自身になにが起こったかわからず、固まってぽかんと口を開けている。

 愛里は客の安全確認を終えると、光が生じ、収束していった厨房の床へ目をやる。

 そこには店内で唯一、発光前と発光後とで、異なるものがあった──。


「リっ……………………!?」


 思わず叫びかけた口を閉じ、慌てて厨房から客席へ走り出る愛里。

 両手を大きく上下に振って、大声でまくしたてる。


「ごめんっ! なんか調理器具が調子悪いみたいっ! 安全のためにもう店閉めるから、みんなすぐ出てって!」


「ええっ!? 俺、いま食べ始めたばっかだけど?」


「ごめんなさいほんとっ! みんな、お代はいいから出てって!」


 愛里が慌てふためきながら、強引に店内の客全員を、外へと押し出す。

 客も謎の発光を不安に思い、特に抵抗することなく退店。

 客とともに一旦店外へ出た愛里は、のれんを回収してテーブル席に放り投げると、すぐに店内へ戻って、慌ただしく引き戸を施錠。

 カウンター席のいすにのぼって厨房へ飛び込み、声を上げる。


「……リムっ!」


 コンクリート打ちっぱなしの湿った床には、ネグリジェ姿のリムが、仰向けで瞳を閉じていた。

 リムの肌には健康的な血の気があり、外傷、出血ともに見当たらないが、仰向けのまま動こうとせず、くぐもった声をとぎれとぎれに漏らす。


「……ん。うぅ……ううぅん……」


「リムっ! 大丈夫っ!? リムっ!?」


「はうううぅ……寝ちゃってた……。締め……きり……ヤバい……のに……。ン……えっ…………お師匠……様?」


 「お師匠様」。

 たった3カ月ぶりなのに、とても懐かしい声、懐かしいフレーズ。

 遠い遠い遠い世界でしか、聞くことができないはずの声が、自分の店で。

 愛里の瞳が、堰をきったようにぶわっと潤み、異世界ロス中に溜めこんだ涙が、一気に溢れようとする。

 それをごまかそうと、愛里はリムの上半身を抱え上げ、その小さな肩に顎を置きつつ、ぎゅっと抱き締めた。


「リムぅ……。あんた相変わらず、いいにおいするわねぇ……ぐすっ……」


「お師匠様、いつ……うちへ……? っていうか……ここ……どこ……?」


 リムの眼鏡の奥で、眼精疲労で充血した丸い目が、きょろきょろと動いた。

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