第二十回 HCAの不幸せな童話

テーマ『おしなべて地獄』


 苦しくない水の中で、息を吐き出してもがき続ける。遠い水面へと腕を伸ばす。俺を突き飛ばしたマリーが俺のことを思い出して、この手を掴んでくれるかもしれない。あの薄情者は忘れてそうだけど、今の俺にはそれにすがるしかなかった。すると願いが通じたのか、俺の手を、力強く掴まれて引き上げられた。

 「がっ……う、えぇ。あ、ありがと、マリー」

 元を正せばお前のせいだけどな。そう言いたいのを堪えて礼を言えば、「マリー? 誰それ」とマリーとは違う声がした。

 「ぼくはセヴァンだよ?」

 は? 水を吐きながら顔を上げれば、真っ白い髪を濡らして首をかしげている少年が眉を下げて俺を見ていた。周囲を見回せば、そこは森の中ではなく湿原で、俺が溺れていた川はきったねぇ沼になっていた。

 「……ありがと。セヴァン」

 また俺は違う場所に来てしまったようだ。自分に何が起きているのか、やはり俺にはわからない。共通して言えることは、俺が今までいた場所は日本ではないということだ。

 「君が無事でよかった」

 セヴァンがにっこりと笑って言う。こんなきれいな人間、ライアンを除けば俺は生まれて始めて見たかもしれない。すらりとした外見で、整ったセヴァンの顔をじっと見ていると、セヴァンが悲しそな顔をして視線をそらした。

 「やっぱり、ぼく、変だよね」

 「は? なんで?」

んなこと一言も言ってねえけど。

 「だって、皆と違うから……」

 「いや、俺その皆ってやつ知らねぇし」

 一人で勝手に話進めてんじゃねーよ。

 「あ、そうなんだ。君は、皆を知らないんだね」

 するとセヴァンが心なしか嬉しそうに言った。

 「よかったら君の名前を聞いてもいいかな?」

 「……都誉。誉って呼んでくれ」

 「ホマレって言うんだね。よろしく、ホマレ」

 「よろしく、セヴァン」

 ま~た、形容しがたい発音だよ。その発音でライアンのことを思い出す。アイツ今、何してるんだろ。俺のこと、探してるかな。俺の王子様だなんて言うなら、俺を探しててくれよ。

 「ところでさ、セヴァン。頼みがあるんだけど――」

 それでも、ただライアンが迎えに来てることを待っているだけではだめだ。自分でも動かなくては。

 俺は簡単に今までのことや、家に帰りたいことをセヴァンに説明した。セヴァンは真面目な顔で、ふむふむと相槌を打ちながら俺の話を聞いてくれた。

 「ホマレには申し訳ないけど、ぼくはただの鳥だから、君の役には立てないや……」

 「鳥? え、鳥?!」

 大丈夫、期待してなかったから。と言おうとしたら、セヴァンがとんでもない言葉を発した。鳥? どこが? はどっからどう見ても人間じゃん!

 「鳥だよ? あ、種族的にはあひるなんだ」

 「あひるぅ?!」

 まさかの展開についていけなくて、頭がくらくらする。俺はどういう世界に来ちまったんだ? もはやここは地球ではないのかもしれない。え、俺帰れんの?

 「もしかしたら兄さんたちなら何か知ってるかも。君さえよければ、今から聞きに行こうよ!」

 セヴァンが嬉しそうに俺の手を引き、ぬかるんだ地面の上を歩きだした。


 セヴァンに連れられて歩を進めると、セヴァンと同じように白髪だが、少し体がずんぐりした男たちがいた。

 「兄さん! 聞きたいことがあるんだ!」

 セヴァンが俺が転びそうになっているのを無視して、男たちに駆け寄る。セヴァンの明るい表情に、セヴァンはコイツらと話せるのが嬉しかったことに気付いた。

 「あのね、彼が家に帰りたがって――」

 男のうちの一人が、セヴァンを平手打ちして彼の言葉を遮った。

 「何のようだよ。俺たちを笑いに来たのか?」

突然のことに俺は驚きなにもできず、セヴァンは細い指先で叩かれた頬に触れた。真っ赤に腫れた頬に、白い指はよく映えた。

 「ち、違うよ。ぼくはただ兄さんたちの知恵を貸してほしく――」

 再びセヴァンは頬を叩かれる。セヴァンの目に、じんわりと涙が溜まっていく。

 「一人で解決しろ。結局わからない俺たちをバカにしたいんだろ。

 お前の相手なんてしたくないんだよ。お前ら、行くぞ」

 男の一人が吐き捨てるようにそう言うと、男たちは一人一人セヴァンを睨み付けてこの場から去っていった。

 「ごめんね、ホマレ」

 「謝らなくていいよ。セヴァンは何も悪くない」

 「ごめんね」

 「気にしてねーよ。だから気にすんな」

 「うん、ごめん……」

 謝り続けるセヴァンに、もう何も言えなくなる。俺がどんなに気にしてないと言っても、コイツは気にし続けて謝るのだろう。……気まずい。

 「にしてもさ、」

 だから俺は話題を変えることにした。

 「セヴァンと兄貴たち、あんまり似てないよな」

 髪の毛は同じ白だけど、体格があまりにも違う。まるでセヴァンだけ違う親から生まれた、みたいな根本的な違いを感じた。

 「やっぱり……そうだよね」

 セヴァンが小さな声で呟いた。これは地雷を踏んでしまった。俺は内心でかなり焦る。

 「ま、まあ、兄弟で似てないってあるよな。あるあるだよな」

 雑なセルフフォローをするが、セヴァンは暗い表情を変えない。皆と違うことが、セヴァンにとってそれほどのコンプレックスだったなんて思いもしなかった。

 「セヴァン!」

 俺たちが無言でいると、遠くからセヴァンの名を呼ぶ声が聞こえた。声のするほうを見れば、また白髪で、今度はセヴァンと同じようにすらりとした体格の男がこちらへ向かってきていた。

 「またここにいたのか?

 ああ、頬が……。アイツらに叩かれたんだな」

 男がセヴァンに声をかける。セヴァンの叩かれた頬を気にしていて、優しそうなやつだった。セヴァンの肩に手を置き、心配そうな顔をした。

 「ここがぼくの家だよ。ここにいるのが当たり前じゃないか」

 セヴァンが男を突き放すような強い言葉を言う。

 「あんな兄弟より、オレたちと一緒にいよう。オレたちならセヴァンを傷付けない。種族がちがくても、オレたちなら上手くやっていけるさ」

 だけど男はセヴァンに優しい言葉をかける。男が心の底からセヴァンを思って言っていることがわかり、俺はあんな奴らを捨てて、コイツのところに行けばいいのにと思う。しかしセヴァンは、そうではなさそうだった。

 「それでもぼくはっ、皆と同じがいい! どんなにきれいでも、皆と同じじゃなきゃ嫌なんだ!」

 セヴァンが自分の肩に置かれている男の手を叩き落として、声をあらげる。

 「ぼくはあひるだ! 白鳥の君とは違うんだ! 君といたって、ぼくの幸せはそこにない!」

 「セヴァン、落ち着け」

 心配してくれてるやつにそれはないだろ。セヴァンから拒絶されたことがショックだったのか、男は行き場の失った手を宙にさ迷わせて呆然としている。おい、お前も手伝えよ!

 「ねえ、ぼくおかしいの? 同じじゃなきゃ嫌なの、そんなに変なの?!」

 「そういうんじゃなくてさ、落ち着けってば」

 半狂乱な状態のセヴァンの肩を掴み、俺はセヴァンへと声をかける。極力語尾が強くならないように、言い聞かせるように言う。

 「ぼくはただ、兄さんたちと幸せになりたいだけなんだ!」

 だけどそれは無意味なことだったみたいで、セヴァンが全身を使って俺の手を振りほどいた。力ずくで手振りほどかれた俺は、バランスを崩して足を滑らせた。

 「う、わ、わぁ!」

 そのまま背中から、ぬかるんだ地面へと倒れていく。

 びちゃ、という泥の上に体をぶつけた音と緩い痛みがしたと思ったら、また世界がぐるりと回転した。ああ、次はどこに行くのだろう。

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