第十九回 白昼堂々と三枚舌

テーマ『おどり狂うダブルスタンダード』


 浮遊感のあと背中を打ち付ける痛みが走る。そのあとすぐに頭も強打して、その衝撃に呼吸が止まりそうになる。

 ――痛い。

全身が砕けたのかと思う痛みに体を丸めて耐えていると、遠くのほうで話し声が聞こえた。まずい、ルルゥが呼んだのかもしれない、このままここにいては殺される。俺は這うような姿勢になってこの場から逃げようとした。

 「ん?」

 そこで自分があの地下室にいないことに気付く。うつ伏せになったまま周囲を見回せば、俺は木々がうっそうと生い茂る森の中にいた。また移動した。命の危険から逃げられたことは喜ばしいが、帰り道がさらにわからなくなることにはまったく喜べない。

 とりあえずルルゥがいないのならすぐ殺される心配はないはずだ。俺は痛む体に鞭を打って、声のするほうへと這っていく。そうやって移動していると、華やかなドレスを着た一人の女の子とその女の子より半分ぐらいの身長の人間が七人いた。

 「あぁ、やだやだ。わたしがいつアンタたちとずっと一緒にいたいって言ったのよ」

 濡れるような黒髪をした女の子が、口紅塗ってる? と言いたいぐらい鮮やかな色の唇を歪めて言う。言葉と同じぐらい気の強そうな表情に俺はちょっとびびる。というかなに、なんか修羅場とか?

 「マリー、どうして……」

 チビの内の誰かが鼻声で言う。なんか、経緯はよくわかんねぇけどあんな言い方されるのはつらいよな……。

 「もうこんな暮らしは嫌なの。朝から晩まで炊事洗濯掃除に働いて働いて……、わたしはこの国の姫なのよ? こんなことしてられるわけないでしょ」

 「楽しいって言ってくれたじゃないか」

 「あのねぇ、そんなのここにいるための嘘に決まってるじゃない。それじゃぁ、チャーミィが待っているからわたしはもう行くわ」

 マリーと呼ばれていた女の子が、ドレスの裾を翻して歩き出す。チャーミィってやつのところに行くのだろうか。

 「マリー! ぼくたちを捨てないで! マリー!」

 七人のチビたちが、わーっ! と一斉に泣き出す。えっと……俺はどっちに助けを求めたらいいんだ? うーん、と唸って考えてた末、ぐすぐすと鼻をすすって泣くチビどもじゃ、まず慰めることが先になりそうだと思った。それはめんどくさい、そう判断した俺はチビどもにみつからないようにマリーという女の子が歩いていった方向に這って進み出した。

 マリーと呼ばれていた女の子はチャーミィというやつと一緒にいるかと思ったら、一人で川に足を浸けてじゃばじゃばと水を蹴っていた。さっきのまでの気の強そうな表情はどこへやら、涙をぼろぼろとこぼしながら泣いている。う、これはこれで話しかけづらい……。だけどためらってはいられない。俺はライアンのもとに帰るんだ。

 「あのー」

 「ひきゃあああっ!」

 おそるおそる茂みの中から声をかける。するとマリーという子は漫画か? と言いたくなるように跳び跳ねて悲鳴を挙げて、じゃぶんと川へ倒れこんだ。

 「誰? だれだれだれ?!」

 全身ずぶ濡れになったマリーとやらが川に座り込んだまま周囲を見回す。なんか……さっきのつっけんどんとした様子とは違う気が……。

 「あ、誉でーす……」

 どういうテンションで接したらいいのかわからない俺は、のそのそと茂みから出て自己紹介をする。

 「だれ~!」

 だから誉だっつってんだろ!


 「ということは、ホマレは家に帰りたいのね」

 「つまりそういうこと」

 あのあとぎゃあぎゃあうるさいマリーという子を宥めて事情を説明すると、彼女はあっさりと非現実的な今まで俺に起こったことを受け入れて真面目に話を聞いてくれた。

 「ごめんなさい。私は外の世界のことを全然知らないから、役に立てそうにもないわ」

 なぁ、まじで俺が見たあの人を平気で傷付けるような発言をする女の子はどこに言ったんだ? 別にこっちのほうが俺としては助かるが、もしかして瓜二つの別人に話しかけちゃったのか? と思ってしまう。

 「わりと当てにしてなかったし、安心していいと思う」

 わかってりゃ苦労しねぇよな。するとマリーは口を控え目に開けて、すらっとした指て口に手を当てた。

 「ひどいこと言うのね」

 「マリーには言われたくねぇんだけど」

 ――さっきめちゃくちゃひどいこと言ってたじゃん。

 付け足すようにそう言うと、マリーは途端に肩を落として落ち込んだ。えっ? 俺なんか地雷踏んだ?!

 「ひどいことよね……。そうよね……ひどいわよね」

 自覚してんのか。なら達が悪いな。

 「そんな落ち込むなら謝れよ。チビども、大泣きしてたぞ」

 「それはだめ」

 「やっぱお前ひでぇやつだ」

 マリーの即答に、つい俺も即答しちゃった。この流れで断固拒否がくると思わねぇじゃん。

 「絶対に嫌われてるぞ」

 すると沈んでいた表情はどこへやら、マリーはにっこりと笑う。

 「嫌われてたら、嬉しいわ」

 それは強がりじゃなくて、心の底からの言葉だとマリーの笑顔からわかった。

 「なんで?」

 「だって嫌いな人なら、お別れしたほうが幸せでしょう?」

 なるほど、嫌いなやつとは一緒にいたくないもんな。でもそれって嫌われたほうの人間はどうなるんだ? 嫌われても好きだったら悲しいじゃん。

 「マリーはアイツらのことが嫌いなのか?」

 「まさか、皆のことは大好きよ。いられるならずっと一緒にいたかった」

 テメーから離れたのに、よく言うぜ! そう言いたいのを下唇を噛んでぐっと耐える。言ったらマリーはまた落ち込みそうだ。

 「でもね、わたしといたら皆も危ないから。

 ……わたしね、おかあさまに嫌われてるの。ここへ来たのも、おかあさまに捨てられたからなのよ」

 捨てられた。母が娘を捨てる? そんなのあんまりもひどいじゃないか。マリーは眉を下げて悲しそうに笑いながら、言葉を失っている俺を無視して話し続ける。

 「森で泣いていたところで皆に出会えて、八人で幸せに暮らしてた。でもね、この前わたしはおかあさまに殺されたの。それで死んでいたところをチャーミィが助けてくれた。このまま皆のもとにいたら、今度は皆が命を狙われてしまうかもしれないでしょう? だから離れないと」

 チャーミィ、さっきマリーが言ってたやつか。どんなやつなんだろ。

 「だからチャーミィのところに行くのか? 幸せだったのに、嫌われてまで行くのかよ」

 でもアイツらはきっとまだマリーのことを嫌いになってはいないだろうな。するとマリーは頷いて、にっこりと笑った。

 「チャーミィのもとにも行かないわ」

 「え」

 「そうしたら、今度はチャーミィが危なくなってしまうでしょう? わたしは誰も傷付いてほしくないの」

 「じゃあ……マリーは……」

一人でどこに行くんだ?

 「探していたよ、マリー!」

 「あら、チャーミィ」

 嬉しそうに弾んだ声にマリーが呼ばれる。するとマリーはさっきまでの笑顔を消して、真由と唇を歪めて不愉快そうな顔になった。俺、隠れたほうがいいかな……と思い身を屈めて茂みへ行こうとする。するとマリーが俺の背中を突き飛ばした。

 「ホマレは隠れてて」

 「むげ!」

 突然のことに対処が出来ず、川へと転び落ちる。浅い川なのですぐに起き上がれると思ったが、深みに落ちてしまったのか溺れるように下へ下へと落ちていく。かぼがぼと音を立てながら息を吐き出してもがくけど、水面に上がることができない。

 「さぁ、行こう。僕といれば君は安全だ。こんな森じゃなくて立派な城に済めるし、雑用なんてやらなくていいんだ。出会ったばかりだけど、僕たちは絶対に幸せになれる」

 「思い上がらないで。なんでアンタと行かなきゃならないの?」

 水の中だというのに、マリーと誰かの声が鮮明に聞こえる。息も苦しくなくて、まるで魔法みたいだ。

 「マリー……?」

 「アンタといて幸せになれるわけないでしょ。わたしは、彼らとずっとここにいるの。お姫様の生活なんてまっぴらごめんだわ」

 「マリー、話が違うじゃないか! 彼らと別れて僕のもとに来てくれるって行っただろう?」

 「気が変わったのよ。そんなこともわからないの?

あぁ、ほらさっさとどこかへ行ってよ。勘違いしてるアンタを見てると気分が悪くなる」

 マリーが吐き捨てるようにそう言うと、ざぶざふと水面が揺れていく。

 「さようなら、チャーミィ」

 マリーの震えた声が、うねるような瀬音の中を縫うように聞こえた。

 ようやく川底に着いたのか、背中に柔らかな衝撃があったあと世界がぐるりと回転した。

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