第十八回そのに 白血球のオフィーリア

 明日になったら町へ連れていってくれるとルルゥが言ってくれたので、今晩は屋敷に泊まらせてもらうことにした。果たして町に行って、家に帰る方法はみつかるのだろうか。俺は不安になりながら、ふかふかのベッドで眠りに就いた。

 翌朝、俺は耳をつんざくようなルルゥの悲鳴で目が覚める。

 「何?! 何あったん?!」

 泥棒か?! 泥棒だな!

 部屋にあったベッドサイドランプを持って声のしたほう――場所的には玄関だ――へ向かうと、ルルゥの旦那とは違う別のおっさんがルルゥに馬乗りになり、彼女を殴っていた。強盗、殴ってよし! 即そう判断して、二人のもとに走った俺は、ためらうことなく振り上げたランプを勢いよく男に向けて下ろす。

 「ルルゥ、逃げるぞ!」

 脳天命中、一撃必殺! 思いっきり頭を殴られた男は気絶したのか、白目を向いてふらりと倒れた。ルルゥを手を取り、無理矢理立たせて、俺たちは一先ずこの場から逃げるために走り出した。

 「でもどこに行けば!」

 俺に手を引かれながら走るルルゥが困ったように言う。ルルゥの顔は殴られて頬は腫れていたし、鼻血の跡がある。もしかしたら顔以外も殴られた可能性だってある。

 「知らねぇよ! てかおっさんどこ?!」

 なんでいないんだよ! 役立たねぇな、くそったれ!

 「旦那様は朝早くにお出かけをされていていませんの。あぁ、どうしましょうどうしましょう」

 「じゃあ、アイツは何?!」

 「わかりません! 食料を届けに来てくれた業者かと思ったら、突然殴られて……。とにかくどこかに隠れないと!」

 隠れるにしてもどこに? 下手な部屋に隠れたって、一つ一つ部屋を探していかれればみつかるのがオチだ。俺みたいな部外者が気付かないような場所、みつかりにくいような場所……。ぐるぐると思考を巡らせて、俺は昨日のおっさんの言葉を思い出す。

 「……そうだ地下室!」

 おっさんから言われるまで、俺はこの屋敷に地下室があるなんて思わなかった。それは地下室に馴染みのない人生だったらかもしれないが、俺がそう思ったんだ。あのくそジジイも俺と同じ可能性だってある。なら上の階の部屋に隠れるよりいいと思った。

 「え?」

 すると俺の言葉を受けて、ルルゥが足を止めてしまった。何?! 妙案だと思ったんだが!

 「地下室に隠れよう! どこ? 案内してくれ!」

 だけどルルゥは震えながら首を横に振り、俺がどんなに彼女の手を引いてもその場から動こうとしない。

 「だ、だめよ……。地下室はいけませんわ。旦那様が入ってはだめとおっしゃっていたもの」

 「入っちゃだめなのは小部屋だけだろ? それ以外の部屋に隠れよう!」

 「でも……ああ、それでも……。だめよ、わたしは旦那様を裏切りたくない。裏切れない……!」

 旦那様、旦那様、旦那様。ルルゥはずっとそればっかりだ。彼女の中であのおっさんがどれほど大事なのか俺はわからない。愛してるから裏切れない、それが悪いなんて言わないさ。

 「このままだと俺たちは殺されるかもしれないんだぞ? それでもいいのかよ!」

 けど自分自身のためにしか生きられない俺は、その意思を尊重することはできなかった。俺は死にたくない。そう言うと、ルルゥの体の震えがぴたりと止まった。

 「それはいや。わたしは旦那様のお側にいたい」

 結局また旦那様だ。きっともう、ルルゥはそうでしか生きることしかできないんだろう。でもそれでいい。だってそれは俺の知ったこっちゃないことなんだ。勝手におっさんに依存して、勝手に生きててくれ。

 「行こう、地下室に」

 「案内します!」

 ルルゥは力強く頷くと、俺の手を引いて走り出した。


 ルルゥの案内で地下室に行けば、そこにはおっさんの言っていた通りの長い廊下があった。

 「すご……。どれが入っちゃだめな部屋なんだ? それだけは避けないとな」

 そうだ、ようは小部屋にさえ入らなければいいんだ。間違えないようにするために、俺は部屋の位置を確認だけしておきたかった。

 「ええっと、たしか鍵穴の上にある刻印と鍵の刻印が同じのはずだから……。金の鍵は……」

 ルルゥが腰に提げた大量の鍵から該当する鍵を探していると、地下室の入り口が乱暴に叩かれる音がした。あの男だと気付いた俺たちは顔を見合せて、一番近くの部屋のドアへと駆け寄った。

 「早く早く早く早く!」

 ドン! ドン! という音に恐怖を覚えながら、ドアの鍵を探すルルゥを急かす。

 「……これだわ! ミヤコホマレ、入りましょう!」

 ルルゥが鍵を開けると同時に、俺たちはなだれ込むように部屋へと入った。そして二人がかりでドアを閉め、真っ暗な中手探りで内側から鍵をかけた。

 「地下室の鍵はわたしと旦那様しか持ってないから、きっと安全なはずです」

 「それより暗くない? 明かりとかないのか?」

 地下室なだけあって、俺たちが入った部屋には窓一つなくてルルゥがどこにいるのかすらわからないほとに真っ暗だった。暗闇の中にいると恐怖で気が狂いそうになる。

 「探してみます。少々お待ちください」

 「ん、ありがとう」

 隣にあったルルゥの気配が離れていく。一人になった俺は、気持ちを落ち着かせるため深く息を吸った。

 「…………」

 地下室だから、わかっていたが空気が悪い。錆びた鉄のようなにおいと、ドブみたいに鼻を覆いたくなるようなにおい、とにかく悪臭と呼べる空気が俺の肺を満たしていった。よし、気持ち悪くなって落ち着いた。でもくさすぎて吐きそう。

 「部屋の電気のスイッチがあったので、明かりをつけますね」

 吐きそうなほどの臭いに手で口許を覆っていると、少し離れたところからルルゥの声がした。

 「オッケー」

そう言うと、ガコン、とレバーを下げるような音がした。一気に明るくなったため目が痛くて、何度もまばたきする。しばらくすると目が慣れてきて部屋の中の様子が見えるようになった瞬間、俺は息を飲んだ。

 「ひっ!」

 石造りの部屋には黒ずんだ赤が飛び散っていた。壁も床もその色にまみれていて、壁には人型の何かが六つ立て掛けてある。部屋のにおいと色で、俺は馴染みがないそれが何なのかすぐにわかった。だってそうだろう、知識だけでもそれだと理解できる。

 「う、うぇぇ」

 静かにしてなきゃいけないのに、胃からせり上がってくるものを我慢できずに石造りの床にびちゃびちゃと音を立てて吐き出していく。俺はすぐに、この部屋は入っちゃいけないと言われていた部屋だったことに気付く。入る気なんて毛頭なかった。でもちょうどこの部屋の鍵を探していて、逃げるために慌てて近くの部屋に入ろうとして、それがこの部屋だっただけなんだ。

 「姉さん……?」

 吐くだけ吐いて今度はむせこんでいると、咳の音の隙間を縫うように、ルルゥの小さな声が聞こえた。

 「え?」

 その言葉に、俺は咳が止まる。ルルゥのほうを見ると、彼女は呆然とした表情でへたり込んでいた。もう一度人型のあれを見ると、かろうじてわかる体つきは女の人のように見えた。

 「ネックレスが、父さんが作ってくれたやつなんです。立て掛けてある六人全員着けてる」

 これ、とルルゥが自分が着けているネックレスを見せてくれた。とてもじゃないがこれ以上あれを見れない俺は、ただ頷くことしかできない。

 「どうして……どういうことなの……」

 ルルゥが涙を流して震える。

 ルルゥは七人姉妹で、全員ここに嫁いで来て、上六人は皆いなくなって、ここにある六つの『それ』はルルゥの姉の可能性が高くて。今ある情報を一つ一つ整理していく。つまり、そこから考えることは、

 「そんなん、アイツが殺したんじゃん」

 それ以外なんだというんだ。するとルルゥはぽろぽろと涙を流した。

 「嘘よ……ああ、そんな、そんなことありません」

 ルルゥが信じたくないのはわかる。家族が殺されてることも、それをしたのが大好きな人だなんて、俺も同じ立場ならルルゥと同じ反応をしただろう。否定できるなら否定したいけど、それは無理だ。

 「ルルゥ、警察に行こう。アイツは人殺しだ。このことを話さないと」

 あの強盗から逃げつつ町に行けるのか? という不安はあるが、ここにいるよりはいいはずだ。耳を澄ますが、ドアの向こうから音はしないことから、少なくとも地下室からは離れているだろう。強盗からも、あの男からも逃げるなら今しかない。

 「姉貴が殺されてるなんてつらいけど、アイツをブタ箱にぶちこまないと」

 まったく動こうとしないルルゥへ話しかける。きっと体の力が抜けて立てないんだと思っていると、ルルゥが信じられないことを言った。

 「……だから?」

 「は?」

 だからって、何がだ。ルルゥの一言に驚いていると、ルルゥが俺を睨み付けてきた。

 「旦那様が姉さんを殺しているのがなんなの? だからなに? どうせ姉さんたちが悪いのよ」

 「おい、待て、何言って……」

 「旦那様がすることはすべて正しいの。だからこれも正しいことなのよ」

 「そんなわけないだろ。それにこのままだと俺たちも殺され――」

 「わたしは旦那様のお側にいるの! 誰にも邪魔させない!」

 話が通じない。このまま話していても埒があかないと思った俺は、鍵を開けて、地下室から飛び出した。もう強盗にみつからないように、とかそんなのどうでもよかった。逃げなければ、とにかくここから逃げなければ!

 「待ちなさい! 待て!」

 案の定ルルゥは俺を追いかけてくる。ゲロを吐いて体力が消耗していた俺は、上の階へ上がる階段でルルゥに追い付かれた。掴まれても男女の力の差でルルゥを引きずるように階段を上っていくが、踊場まで行ったところで完全に掴まってそれ以上動けなくなった。

 「放せよ! 放せってば!」

 俺の腕を掴むルルゥを振りほどこうとするが、なかなか振りほどくことができない。ルルゥは俺を地下室に戻そうとしているのか、血走った目で俺を引っ張り続ける。このままだと俺はルルゥに殺される、そう命の危険を感じるような目だった。

 「わたしから旦那様を奪うことなんて許さない!」

 「放せ! 俺は死にたくないんだよ!」

 強盗に殺されるのはいやだ、部屋に入ったことでおっさんに殺されるのもいやだ、ルルゥに殺されるのも、全部いやだ!

 「黙れ!」

 「――あ」

 ルルゥの怒声と共に足元がふらついた。気が付けば俺の体は宙に浮いていて、踊場から落ちているのだと気付く。このままだと床に頭を叩きつけられて俺は死ぬかもしれない。受け身なんてとれるわけもなく、ただ訪れるであろう痛みに覚悟する。

 死ね、と言ったルルゥの声が聞こえたあと、世界がぐるりと回転した。

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