第十八回そのいち 白血球のオフィーリア

テーマ『幸福への分岐点』


 広い広い誰もいない草原をあてもなく歩いていると、どこか暗い雰囲気を感じる森の入り口へとたどり着いた。森へと入るべきかと迷っていると、木々の隙間から奥にデカイ屋敷のような家が見えた。ここからどれぐらい離れているかわからないけど、行くしかない! 俺は日が落ちるまえにそこにたどり着くために、全力疾走で屋敷へと向かった。


 屋敷――の前に、檻のような形の門。でっかい屋敷なんだから、門があるのはまあ当然だよな。

 「すいませーん! 誰かいませんかー!」

 俺はそこに立って、大声を出す。少し待つが、返事はない。

 「す、い、ま、せ、ぇ、ん! ……」

 やっぱり返事はなし。これはあれか、インターフォンがどこかにあるって感じか。そう考えた俺は周辺を見回すが、んなもんあるようには見えない。じゃあこの屋敷の人間は来訪者にどう気付くんだよ。あれか? 予約制ってやつか? だとしたらクソすぎん?

 「すいませぇえん!」

 ここまで来てしまったら、道を引き返すことも出来ない。なので俺は人が現れるまで「すいません」を言い続けることにした。

 「あら、お客様?」

 喉が枯れそうになってきた頃、後ろからそう声をかけられた。人だ! 俺はすがるように振り向くと、そこにはワンピースみたいな洋服とエプロン、平べったい靴や頭には三角巾といったおとぎ話で見るような『村娘』の格好をした女の子がいた。具体的にどんな風なの? と聞かれると、絵本でも読んでくれとしか言えないぐらいテンプレートな格好だ。え、ここ日本だよね? 俺どこ来ちゃったの?

今自分が置かれた状況に混乱していると、女の子は「どうしましょう」と言ってから頬に手を当てた。

 「お客様が来るなんて……旦那様からは何も聞いてないけれど」

 「あ、あの、俺……」

 お客様じゃないんです……と言いかけて口を閉じる。いや待て、ここで俺がお客様じゃないとしたら、この子は俺を助けてくれないかもしれない。むしろ門の前で大声を出していま不審者だと思われる可能性もあるじゃないか。

 「とりあえずお屋敷にあがってくださいな。そろそろ夕御飯の準備だから、よろしければ食べていきませんか? 旦那様はお優しいから、きっとご一緒してくださるわ」

 地獄に仏とはこのことか。感謝のあまり、つい手を合わせて祈りそうになった。

 「ありがとうございます!」

 頭を下げてお礼を言うと、女の子は門に絡まるように巻き付くたくさんの鎖をほどいた。数が多すぎて、ちょっと時間がかかってるぞ。

 「お気になさらないで。さ、どうぞ」

 俺たちが門を潜ると、女の子はまたがちゃがちゃと鎖を門に巻き付けていく。

厳重すぎない? とは思ったけど、俺にはそんな口を出す権利はないのでその言葉はぐっと飲み込んだ。


 門から数分ぐらい庭――というより庭園か?――を歩くと、ようやく屋敷にたどり着いた。それ一人で開けるの?! ってぐらい重そうで分厚そうな扉を女の子が開けると、ひょろっとした長身の男が待ち構えているかのように扉の向こう側に立っていた。この人が女の子が言っていた『旦那様』かな? 男の人のほうを見て、俺はぎょっとする。男の人は、女の子のときと同じようにおとぎ話で見るような『貴族』というような格好で、ふさふさの髭を生やしていた。俺が驚いた驚いたのは髭の色で、染めたぐらいでは到底出せないような鮮やかな色の青色をしていた。。

 「ただいま戻りました」

 「おかえり、ルルゥ」

 ルルゥとは女の子のことだろう。明らかに日本人の名前ではない。それだけでなく、男の見た目がさらにここは日本ではないと実感させる。俺は本当にどこに来てしまったのだろう、どんどん不安になっていく。

 「そちらの少年は?」

 男の人が俺を睨み付ける。これは完全に招かれざる客ってやつだ。

 「あ、都誉です! ちょっと道に迷ってたところを、こちらの――、えっと」

 この流れで女の子の名前を呼んでいいのだろうか。俺がためらっていると、女の子はにっこりと笑った。

 「ルルゥって呼んでください」

 「ルルゥが招いたのか。ならば構わない。ルルゥ、夕食の準備をしてくれ」

 そう言うと、男の人は部屋に戻るのだろうか、近くにあった階段を登り去っていった。

 「はい、旦那様」

 「えっ、あっ、あの……」

 あのさ、俺を置いてけぼりで会話しないでくれない? えっ、俺ここからどうしたらいいの?

 「それじゃ、わたしは夕食の準備があるから」

 「待って待って! 俺どこにいたらいいの」

 「なら料理中の話し相手になってくださいな! わたし、誰かと旦那様のことをお喋りしたかったの!」

 物理的に俺を置いていこうとしたルルゥに慌てて言うと、彼女は俺の手を取って歩きだした。興味ねーよ、あのおっさんのことなんて……と愚痴りたいのを、俺は助けられた恩からぐっと我慢した。

 ルルゥに手を引かれてやってきたのは、そりゃそうだけど屋敷の中のキッチンだ。まあキッチンというより厨房という言葉が似合う場所だった。

 「ルルゥと旦那様ってどういう関係?」

 手際よく料理をしているルルゥへと尋ねれば、ルルゥが料理をする手を止めて、照れくさそうに頬に手を当てて目を伏せた。そして目を伏せたあと、どこか嬉しそうに微笑みながら口を開いた。

 「その……夫婦、なんです……」

 「うっそだろ、年の差えぐくねぇ?!」

 あのおっさんどう見てもじじぃのレベルだし、ルルゥは俺より年下だろ! もうここは日本じゃねぇって思っててもこれは驚くわ! あのじじぃ倫理観大丈夫なのか? ルルゥもなんで嬉しそうなんだよ? ハーッ、わけわっかんねぇ~!

 「確かに旦那様はだいぶお年を召していらっしゃるけど、とても素敵な人ですよ?」

 「まあ……それは俺が判断することじゃねぇしな……」

 素敵、ねぇ……。睨み付けられたことを思い出してキレそうになる。あれの、どこが素敵だよ! ……いやそれは人それぞれ、どう感じるかだもんな……。

 「姉さんたちったら、あんな素敵な人のところから去るなんて酷いと思いません? 見る目がなさすぎます」

 「えっ?」

 ルルゥの言葉に俺は間抜けな声が出た。

 「バツイチなの?」

 彼女の話から察するに、あのじじぃはルルゥの姉貴と結婚してたってことだろう。

 「ばつ……?」

 どうやらこの世界にバツイチという言葉は存在しないらしい。

 「ルルゥの姉貴と結婚して離婚したの? ってこと」

 「離婚……は、わかりません。姉さんたちは旦那様に何も言わずに出ていったらしいから……。家にも戻ってきていないので……」

 「待って、姉さん『たち』? 一人じゃないの?」

 「ええ、姉は六人いましたの。それで六人ともどこかへ行ってしまったんです」

 絶句。上六人に逃げられて、末妹と結婚したってこと? ちゃんと離婚したのかすらわからないで?! はぁ、キッショ!!

 「……ッショ」

 なんとか全部言わないようにした。ちょっと漏れちゃったのは許してほしい。ムリムリ、我慢できん。

 「でもさ、ルルゥはそれで幸せなのかよ」

 言い方は悪いけど、ルルゥは七番目ってことだろ? 一番目に自分を選んでくれなかった男のそばにいて、嫌な気持ちになったりとか、姉貴六人への劣等感とか抱いたりしないのか?

 するとルルゥは目を丸くしてまばたきをしたあと、にっこりと笑った。

 「幸せよ。だって旦那様は、わたしのことをとても愛してくださってるもの。愛する人に愛されるのなら、それ以上に幸せなことなんてありませんわ」

 「料理とか作らされてるのに?」

 普通こんなデカイ屋敷なら、使用人とか雇ってやるもんじゃねぇの? それって愛されてんの?

「わたし、旦那様のためならなんだってできましてよ?」

 でも俺は、そんなのが幸せだなんて思えなかった。


 出来上がった食事をルルゥと一緒に食堂へ運べば、おっさんは既に座って待っていた。

 「お待たせしました、旦那様」

 ルルゥが嬉しそうに言って、おっさんの前に食事を並べていく。すべて並べと終えると、おっさんは俺たちを置いて食べ始めた。

 「今日はハンバーグにしてみました。人参は甘めのソテーにして、マッシュポテトは――」

 「説明は結構だ」

 「はい……。そうだわ! ワインはお飲みになられますか? 一昨日開けたやつが残ってい――」

 「不要だ。食事中は静かにしろ」

 「申し訳ございません……」

 ルルゥが楽しそうに話していると、おっさんはルルゥの話を最後まで聞かずに遮っていらないと切り捨てる。悲しそうな顔をするルルゥを見て、俺まで悲しくなってしまう。こんな雑な扱いをされて、なぜルルゥは愛されていると思えるのか。

 「ミヤコホマレと言ったな」

 「え、はい!」

 くそじじぃ……と思いながらおっさんを見ていると、不意に名前を呼ばれた。なんとも形容しがたい発音のそれに、俺はライアンを思い出す。

 「この屋敷には好きなだけ滞在を許す」

 なんでそんな偉そうなんだよ、と言いたかったが、屋敷の主人ならそりゃ偉いことに気付く。危ない、口を滑らせるところだった。

 「しかし、地下室の大廊下にある小部屋だけには決して入ってはならない。鍵はルルゥが持っているが、何か起きても入るな。ルルゥもわかっているな? 小さな黄金の鍵だ」

 なんだその人を試すような表現は。入られたくないなら鍵ぐらい自分で持てよ。俺はちょっとイラついた。しかしこんなバカデカイ屋敷なのに、さらに地下室まであるとは思わなかった。

 「安心してください。わたしは絶対に旦那様を裏切るような真似は致しません」

 「……」

 ルルゥの言葉に返事をしないおっさんに、更に俺はイラついた。

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