第十七回 説明不要で不用な感情

テーマ『扁桃体の存在意義』


 「ホマレ!」

 鬼気迫る表情で、ライアンが俺に向けて手を伸ばす。突然のことに俺は彼女の手を取るどころか、自分の手を伸ばすことすらできず、闇へと落ちていった。


 ちょっと調子に乗りそうだからやめてほしいってぐらい俺を全肯定するライアンだが、そんな彼女が唯一渋い顔をするときがある。

 「またそれを観るのかい?」

 「おう」

 それは俺のお気に入りのお姫様が出てくる映画の一つだ。内容としては、赤ちゃんの頃に魔女にさらわれたお姫様が盗賊と出会い、恋に落ち、そして本当の家族のもとへ帰る話だ。俺が夢見たお姫様とはちょっと違うし、王子様がいないけれど、それでもハッピーエンドで終わるこの話は好きだ。

 俺は短くそう返事をすると、ブルーレイディスクをプレーヤーにセットする。

 「もっと素敵な映画はあるだろう? それにしないかい?」

 遠回しに観たくないという意思を伝えてくるライアンだが、それを無視して再生ボタンを押した。嫌なら観ないという選択がなぜかできないライアンは、しぶしぶ俺の隣に座った。

「いや、本当になんで無理して観ようとするんだよ」

 あきれながら言えば、ライアンが「だって――」と口を開いた。

 「君といたいんだ。今まで一緒にいられなかったぶん、ホマレといたい。同じものを共有したい」

 ライアンのわがままに、俺は大きくため息を吐いた。


 「よ~、かった!」

 二時間足らずの映画だが、一気に観ればそれなりに疲れる。エンドロールまでしっかり観た俺は、大きく伸びをして凝ってしまった体をほぐす。時計を見れば時刻は夕方になっており、夕飯のおかずの食材を買いに行かなければいけない時間だった。

 「スーパー行くぞ」

 「おや、もうそんな時間なんだね」

 心なしか嬉しそうにライアンが言う。心なしかだが、これは絶対に映画が終わって喜んでるな。本当になんでそんなに嫌なのか、今後もこの映画を観たい俺としては今度しっかり話し合う必要がありそうだな。

 「今日はしょうが焼きと言っていたから、豚肉と玉ねぎを買いに行こう」

 ライアンが立ち上がり、恭しく俺に手を差し伸べる。俺はその手を取らずに自分の力で立ち上がると、ライアンがちょっと悲しそうな顔をした。

 「準備するからちょい待ち」

 「もちろんだとも」

 そうしてリビングを出ようと、閉じられていたリビングのドアに近付いたときたった。家には俺たち以外誰もいないはずなのに、ドアがゆっくりと開いた。

 「誰だ?」

 それだけでも驚いたのに、ドアの向こう側に人が立っていて俺はさらに驚く。

 ――警察呼ばねーと!

 どう見たって泥棒。どうしたって泥棒。俺はこたつに置きっぱなしにしていたスマホに飛び付こうとした。しかし後ろから洋服の襟首を掴まれ、俺は動けなくなる。

 「ホマレ!」

 「ラプンツェル」

 ライアンが俺の名前を呼んでこちらへ駆け寄ろうとしてきたら、後ろから女の人の声がした。するとライアンが立ち止まり、赤い目を大きく見開きこちらを見た。ライアンの目は信じられないものを見るかのようにして、俺の後ろへと視線を送っている。

 「こんなところにいた……。あなたは早くあなたの物語に戻らないと」

 地を這っているかのような抑揚のない声だが、だからこその怒りを感じる。

 「ッ! ホマレを離せ! 彼を傷付けることは、私が許さない!」

 「この男のせい? まったく、あなたは本当に――」

 ライアンが吠える。そして再び俺のもとへライアンが駆け寄ってきたと思ったら、俺はぐい、と体を強く後ろに引かれた。

 「……え?」

 「手のかかる子!」

フローリングに倒れると思った俺は目を閉じて頭を抱え、衝撃に耐えようとしたが、いつまで経っても痛みが訪れない。

 「……?」

 不思議に思いゆっくりと目を開けると、俺は自分の家のフローリングではなく、底の見えない暗闇へと倒れていっていた。え、なんだ、これ。非現実的な現象に、思考と体がフリーズする。

「ホマレ!」

 鬼気迫る表情で、ライアンが俺に向けて手を伸ばす。突然のことに俺は彼女の手を取るどころか、自分の手を伸ばすことすらできず、闇へと落ちていった。


 ライアンが見えなくなるほど落ちていったあと、ぐるりと世界が回転した。


 今度こそ背中を何かに強く打ち付けられた。頭も打ち付けた俺は痛みに悶えながら周囲を見渡せば、家の中にいたはずなのに俺は見渡す限りの草原の中にいた。

 「ライアン?」

 ライアンの名前を呼ぶが、ライアンからの返事はない。ここはどこだ。あの侵入者はなんだ。俺に何が起きたんだ。わからないことが山ほど浮かんでいく。でもどれも答えを教えてくれる人はいなくて、疑問は溜まっていくばかりだった。怖い。広い草原でひとりぼっちなことも、消えない疑問も全部が怖くて不安だった。でも、それより、俺を不安にさせたことは、

 「ラプンツェルってなんだよ」

 侵入者はライアンのことをラプンツェルと呼んでいた。それはライアンが嫌いな、あの映画に出てくるお姫様の名前。ライアンは俺に嘘をついたのか? そんなことライアンがするはずがない、そう言いきりたいのに、今の俺にはそれができない。

 「お前はライアンだろ?」

 ライアンのことは何も知らない。ライアン自身も自分から喋ろうとしなかったし、俺もそれでいいと思ってた。ちゃんとライアンを知ろうとしてれば、こんな感情にはならなかったのだろうか。

 「こんなのいらねぇよ、バカ……」

 王子様が、お姫様を不安にさせるな。

 心のどこかで、幸せが崩れていく音がした。

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