第二回 夢の痛覚

テーマ『殺せ!メアリー・スー!』


 あれはきっと夢だったのだ。

 朝起きて、俺はまっさきに昨日見た夢を思い出す。世界で一番きれいだと思った女の子が、俺のことをお姫様と呼んでくれた。なんて素敵な夢だったんだろう。俺はあのあとてんぱって、添えられた手を振りほどいて叫びながら逃げて入ってしまった。けれど、あのまま勢いに任せて——お姫様になりたくて——結婚を受け入れたら俺はどうなっていたんだろうか。

 あんなに俺にとって都合のいい夢なんて、もう二度と見ることはないだろう。そう思うと、夢だったのならもっと好きなようにすればよかったなぁ、なんて後悔も少しだけする。いつかまた、そんな夢を見ることを願いながら、俺はベッドから出た。今日は日曜日。昨日は映画を観に行って疲れたし、今日は一日家でごろごろして過ごそう。


 冷たい水で勢いよく顔を洗って目を覚ます。洗面所の鏡に映った俺の顔は今日も変わらず、見飽きた特徴もない顔だった。そう言えば、夢の中のあの子は銀髪に赤眼と珍しい容姿をしていた。夢というフィクションなんだしおかしなことではないとは思うが、まったく見たことも想像したこともない姿をした人間が夢に出てきたのはちょっと怖い。昔観た映画に、あんな感じのキャラでもいたかな。うぅん、記憶にないな。

 「おはよ~」

 「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」

 外出していたし母さんが気にかけてくれたのだろう、なんだか母さんらしくない言葉尻だなと思いながら俺は「ぼちぼち」と返事をした。リビングに目もくれず、腹が減っているのでまっすぐ台所へ向かう。いつもなら日がな一日テレビをつけている母さんだが、今日はよほど見る番組がないのかテレビがついていない。静かだな~。

 適当に食パンでも焼いて食おうとしたところで、肝心の食パンがないことに気付く。 たまーに賞味期限ぎりぎりのやつを冷凍庫に入れてたりするんだよな。冷凍庫を開けるけど、やっぱり食パンは見つからなかった。カップ麺が入っている棚を除けば、ちょうどよく俺の好きな味噌味のカップ麺があった。

 「あー……。俺、食パン買ってくるわ。いつも通りの八枚切りでいい?」

 朝からカップ麺はないって。食欲旺盛な男子高校生だってそこまで見境のない食欲じゃない。

 昨日の映画での出費からの食パンはちょっとお財布に厳しいが、俺が食パンを食べたいのだからここは我慢だ。さっさと部屋に戻って服を着替えて、コンビニに行こうとしたときだった。

 「すまない。わたしはよく分からないから、君の母君が戻るまで待っていてくれないか?」

 ――ん? ちょっと待って、どちら様ですか?

 明らかに母ではない声と発言に、俺の動きが止まる。廊下にいた俺は駆け足でリビングに戻り、周囲をぐるりと見回す。すると見覚えのある、銀髪が目に入った。そのまま走って銀髪の主のところまで行けば、赤く輝く瞳が俺を捉える。そこにいたのは、昨日見た夢にいた女の子だった。女の子――確か昨日の夢ではライアンと名乗っていた――は俺を見ると、柔らかく微笑んだ。

 「おはよう。わたしのプリンセス」

 俺はまだ夢を見ているのだろう。頬を叩くと痛いけど、夢にだって痛覚はある。夢という自覚はあるのだから、早く目を覚まさなくては。

 「どうしたのかな。しょくぱん?を早く食べたいのかい? あぁ、しょくぱんは食べ物でいいんだよね?」

 俺の夢はどこまでも俺に都合がよく、女の子は腫れ物を扱うように俺の頬に触れた。結構手があぽっかぽかだな、この子。夢でも温度はあるよ、知らないけどさ。

 「あっ、はい」

 そう返事をすれば、女の子はさらに笑顔になった。なんでこんなかわいい子が、俺のことをプリンセスなんて呼ぶのか。深層心理というやつか? まったく、俺の夢はいったいどうなってるんだ。

 「それはよかった」

 「じゃあ、俺は食パン買ってくるんで」

 無理に目を覚まそうとするのではなく、もうなんとかなれー! で俺は夢の中で日常を続行することを選択した。女の子の手を、今度はできるだけ優しく俺の頬から離す。女の子が悲しそうな顔をしたのが少し心が痛んだが、ただの登場人物に感情移入をしてどうする。夢ってふとした瞬間に目が覚めるんだよな。個人的によくあるのは、もう少しだけ見てたかったっていうタイミング。

 「待ってくれ!」

 二度と会うことはないけれど! みたいなノリで機微を返してリビングを出ようとしたら、女の子が俺の手を勢いよく掴んだ。そしてそのまま彼女のほうに俺は腕を引かれ、女の子と向き合った。この前の夢で転びかけた俺を、やっぱり同じように腕をつかんで倒れないようにしたりとか、この子はなかなかに力が強いな……。

 「名前を教えてくれないか? わたしはライアン。以前出会えたときに名乗ったけど、もう一度名乗らせてくれ」

 どうやらライアンであっていたみたいだ。ていうか待って。こうも都合よく夢の続きは見れるものなのか? そりゃまた見れたらなって願ってたけど、いざそうなるとどうしたらいいのかわからない。

 「えーっと……、俺は誉。都誉」

 ひとまず俺も名乗れば、ライアンは「ホマレ」となんだか形容しがたい発音で俺の名前を言った。

 「ホマレ、ホマレというんだね。あぁ、やっとわかった……。会いたかったよ、本当に、本当に会いたかった」

 俺の夢なのに、俺がついていけない。置いていかないでくれ。頼むから一人で勝手に盛り上がって、勝手にクライマックスな気分にならないでくれ。

 混乱で立ち尽くしていると、ライアンが俺を抱き締めた。ねぇ待って! 本当に待ってってば!!

 「プリンセスの君が望む、理想のプリンスにわたしはなったよ」

 そうだ。お姫様には王子様が必要なんだ。それで、そう、色々な冒険をして、王子様はお姫様を迎えに来る。俺にとってのお姫様には、王子様が必要なんだ。

「たくさんの困難を乗り越え、敵と戦った。ねぇ、ホマレ。今度はわたしが君を迎えにきたんだ」

 あぁ、なんて、なんて俺にとって嬉しいことばかり彼女は言うんだろう。たとえ夢だとしても、こんな俺の理想の人間なんていてたまるかよ!

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